仮説。

 ビックデータの中にないデータはないと言い切れるのか切れないのか?という疑問がふと頭に浮かんだ。ここまで!というモラルのリミッターが人間には自然に作用しているから、なんでもかんでも情報がネットの中にクラウドの中にあると思ったら大間違いじゃない!というB.Q.映画の世界ならCIAが国民の個人情報を日々チェックして衛星を使って地球上の全てを監視していると啓蒙されれば、「ああ、そういうこともあるんだ・・・」的なテンションでいい人はいい。しかし、実際の話、リアルな話、サイバーテロの技術力はどこまで高いのか?それがどのように機能してどの程度、人類の日常生活に利益をもたらし被害をもたらしているのか?という一見SFチックな疑問がある。このブログの記事でさえ、強力なエンジンがサーバをチェックしているわけだから、ブラックリストに載るか載らないか誰も判断つかないだろう。仮に在る日突然ブログが書けなくなりネットにアクセスできなくなったらどうする?仮説が仮説を生みどこまでも規制を強いられればネットの中で孤立を余儀なくされるだろう。まぁ、この程度の記事なら何も危険因子は含まないからと判断されて・・・と思いきや、いつか警告が来るまでもなく、サーバからブログが消えているということも可能性として0%ではない。

 全人類は16ケタの数字で管理できる・・・という小説があったが、この結末も結果、入口でシャットダウンみたいなオチだった。そこまでしか踏み込まないのか・・・と思ったが、恐らく、ここから先はいわゆる一線なのかなと想像しながらその小説を終えた。ということを事例にしても、さてほんとのギリギリはどこにあるのか?できることならその線のところまで行きたいものですね。まぁ、平和にこの日本で生活している以上、その線など一生お目にかかることはないだろうが、そのデッドゾーンを想像してフィクションを創造することはできる。あくまでも創造。だが、この「創造」という行為ほどやっかいで楽しい行為はない。それが幻想であれ妄想であれ、創造は人間に与えられた唯一の「自由」だと思うと、これを奪われた世界は想像できない。奪われる奪われない如何に関係なく、命が奪われたらそこでFINなのだから、そこまでどこまでリミッターに迫れるか・・・を楽しくイメージしてきたいですね。それが出来るってことがいわばひとつの平和の指針かもしれないですし・・・。