子どもは論理的ではない!?

 人気番組「ガリレオ」で湯川先生が「子どもは非論理的だからジンマシンが出る。」と言っていた。まぁ、湯川先生はそういうキャラだからいいのですが、さて、「子どもは非論理的」という部分がひっかかった。うん?論理的な子どもって何故いないのか?いるのか?という疑問。すると、「論理的」ってなんだろうと検索すると「1 論理に関するさま。「―な問題について書かれた本」 2 論理にかなっているさま。きちんと筋道を立てて考えるさま。「―に説明する」「―な頭脳の持ち主」」となっている。ということは、子どもは論理に長けていない。つまり論理を認識していないから・・・ということなる。きちんと筋道が立てられていれば論理的なんだとしたら、子どもは子どもなりに筋道を立てているとも言えなくないし、大人にも筋道が立たない人がいるだろう。確かにジンマシンは極端だが、この人、人前で話さない方がいいよな・・・、リーダーシップとは無縁だなぁ・・・という人はつまり論理的でないということになる。頭の中で組み立てるという作業はなかなか難しいことだが、組み立てても忘れるという人はどうなる?せっかく組み立てたのに忘れて然るべき場面でそれを披露できずにいる人は論理的ではないとなる。

 逆に子どもの論理もあるだろうし、大人の論理を前に怖気づく人も論理的ではないとなる。電話で特に最初からお話を聞きながら言っていることの論理・筋道を構築し、疑問点を指摘すると、どの部分が指摘しているのか分からない人がいる。分からないようなことは決して言っているつもではないのですが、委縮してしまっているから論理が組み立てられないというだけなのに。委縮がリミッターを越えると何を言っても筒を抜ける。こうなるとコミュニケーションはできなくなるので、結果、非論理的な非言語的文脈を探るしかなくなり、感情に訴えることになる。しかし、一旦委縮した心を軟化させる言葉は見つからない・・・と。

 元気のない人はこの典型で話を盛れば盛るほど引き潮のように引き続ける。潮干狩り状態である。ということは元気のある子どもは論理的か否かは別として子どもなりの筋道を持っているという方程式が成立するような気がする。子ども目線で会話しましょう的なことをよく初等教育の現場の人は語るが、目線?目線じゃないでしょ?あなたが子どもの論理を聞きとれていないだけでしょうとなる。

 なぜ、こんなことをつらつらと書いているのか?文字で何かを伝えるためには、自分自身に対して論理的にならないといけないということを考えていたから、この言葉がトリガーになりこうして非論理的なことを書きながら、頭の中を整理しようとしているのです。文字にするって難しいです、ホント。