検事生活26年。

 「「目を見えて話せ」は逆だった!嘘の見抜き方」という若狭勝氏の書籍がある。たちまち増刷ということで、弁護士であり元検事という方の「嘘」を見抜く方法は!みたいなコンセプトの書籍。例えば、「表情の継続時間に注意せよ。」とか「つま先の方向は正直だ。」とか「嘘を言わずにカマをかける方法」とか「イエス・ノーで答えさせない。」などなどの非常にキャッチーなフレーズが散りばめられている。まぁ、その道のプロなわけでそれぞれにいろいろなプロの技術があることだろう。

 しかし、「嘘」を見抜くとはその言葉の真意を見極めるということだろうが、「嘘」なのか「嘘」ではないのか?という判断は何らかのロジックの食い違いや表情との誤差でパターン化されているだろうから、そこをプロ26年の経験値で見極めるのだろう。が、まず、なぜこのタイプの書籍がヒットするのか?どのような人達がこの書籍を何のために買うのか?という素朴な疑問がある。私の仕事はマーケティングではないので、その割合を知ったところであまり意味はないし、仮に一般的な嘘のルールを知ったところで、まるで、誰もが「嘘つきかもしれない」ありきで対人するのは、できればやめたい。どこかでそのようなニュアンスのフィーリングになったとしても、この法則だからこれは「嘘」だとか、もし、この書籍のテンプレートで対人的なシチュエイションで感じてしまったとしたら、それは、自分にとってメリットなのかな?と疑問。

 よりも、その人の言葉の中にある「真実」の質量を見極める方法が知りたいものです。だから、必ずしも「嘘」はいけないとは思わない。誰もが清廉潔白でありたいと理想をもっているだろうが、人生はケースバイケース。「嘘も方便」ではないが、時には「効果的な嘘」が脚色となり潤滑油となりより対比された真実を強調させるということもあるだろうし、常に正直であることなど人間社会で可能か?と自問自答すれば、そんなことこそ至難の技のような気がする。人の心を傷つけるような嘘や悲しませるような悪意のある嘘はナンセンスとして、「嘘」を見抜けたとして、その「嘘」に対する適正な対処方法までをケアしている検事生活26年ならこの著者は素敵だ。

 検事生活26年というモノサシが一般の私達のようなモノサシとは明らかに異なり、タフなモノサシに仕上がっていることだろうが、人はそんなに根本で悪い生物ではないと思いたいですね。

 デザインの仕事生活26年のモノサシはどの程度なのだろう?自分自身はデザイン生活26年でどんなモノサシがあるのだろう?