自己満足。

 プロのこだわりは時と場合により他人から「自己満足」と分析・洞察をされることがある(多い)。果たしてどこから自己満足でどこまでが自己満足ではないのか?これはなかなかディープな問題である。

 昨晩のテレビ番組「ガリレオ」で物語の結論の部分でこの言葉が使われていたが、確かにあの流れだと「自己満足」と称して値するような気がするが、利己的な私欲に駆られた衝動の軸足は自己満足そのものだとしても、自己満足のために他人を殺めたり、自分自身の価値感だけで判断し行動することへの伏線はどこから捻じれ始めたのだろう。

 まぁ、蒼井優さんだったから良かったものの、この役、しょっぱい女優さんならかなり厳しい構造になっただろう。あなたの自己満足には着いていけないわ!的な展開はよくあるが、そもそも、全ての満足は基本「自己満足」から連動しているはずだから、あながち「自己満足」を頭ごなしに否定してしまうと、なんとか主義のなんとか思考のなんとか派というテンプレートに依存することが「満足」に代入されてしまうことになる。なるというかそれが結構な割合で人類の歴史を形成しているから、逆に本能のひとつレイヤーの上あたりで、「自己満足」を嫌悪させるプログラムがインプリントされているとかされていないとか。それも慣習であり文化。科学的であれ非科学的であれ、「自己満足」のレンジと振幅は想像以上に広く大きい。

 「自己満足」のプロセスをスルーさせようとするベクトル・波動にはデリケートに敏感になっておきたいものです。逆に。