動くこと。

 「身体が動くと心が動く。」同じ場所で思考を巡らせることも大切。同じ場所でじっくり情報を収集して整理することも大切。戦略を構想するために同じ場所で自分の中の集中力を高めることも大切。恐らくこれらの先入観は義務教育や日本の均一的な教育の場がベースになって人格形成に影響を及ぼしている不思議な価値感のような気がします。ただ、それをいい悪いで安易にジャッジできないことなので、ここでは何も言えないが正解。言ったところで何がどうなるわけでもないし生産的な考察にはならない。昨今のブログの炎上やコミュニケーション上のトラブルはすべてこれらに起因しているような気がするが、そのトラブルでさえ誰もいい悪いの判断の対象にするのはちょっと違う。デバイスを介するコミュニケーションの利点は一定の距離感があり対人に対して必ず途中にデバイスを介するためにそこで一旦熱量や論理のディテールがフィルタリングされるということ。お互いにそれを理解しているのがルールだから、細かい文脈・文節にフッカーをあてるのも自由だし、例えスカイプのリアルタイム映像でさえ、2次元の情報に脳はさほど反応はしていない。

 だから、自分自身が動く必要がある。動けば視界が変わる筋肉が動き情報のスクリーンが変化する。つまり、心が動き出すから、体温のある情報が得られ体温のある信号を発信できるのだ。「動くこと。」で想定外の事象にどう対峙するかという部分から自己を守り過ぎると、悪い意味で、適正な筋肉が退化あする。退化すれば食べる・寝る・考えるバランスが何か別の機能で補填しようとするから、血管や腱に疲労が蓄積し内蔵の消化吸収のリズムが変化しあそこが痛いここが痛いという「痛い身体」を創ることになる。ここまで来たらそれを「ストレス」と呼ぶのか「悪腫瘍」と呼ぶのか「悪習慣」と呼ぶのかは個人の自由。

 とにかく、動くこと。