2013年07月 アーカイブ

認められるために。

 「なぜ今の若者は有名企業をすぐに辞めるのか?」「なぜ優秀な若者がNPOで働こうとするのか?」 「なぜ若者は何の報酬ももらえないのにSNSで発信するのか?」「なぜ若者は友達がいないことを異様に気にするのか?」「なぜ若者はソーシャルゲームに夢中になるのか?」「なぜ若者はずーっとスマホをいじっているのか?」という疑問がかなり深刻な問題になっているらしい。49歳の私には現代の若者の諸子を単純にこの側面で規定してはいけないのだろうと捉えつつも、実際、私自身の年齢やこれまでのキャリアを経て分析・洞察すると「よく分からない」と乱暴にも置き去りにしてしまう気持ちが強い。これらの質問のディテールというか問題提起がどの方向へ誘導しているのかという意図の部分と、相対的に感情移入して自分なりのリアリティーで捉えてみたら・・・の部分を合わせて答が出せるとしたら、「誰かに認めてもらうための行動」に他ならない。では、現代の若者は誰から認めてもらいたいのか?という疑問に対して思うことは、自分の若い頃のことを振り返ると、会社の上司であったり、お得意先であったり、仕事仲間であったり、好きな女性であったりしたはずだ。その時の気持ちが「認めてもらいたい」だったかどうかは正確には想い出せないが、自分の存在価値を認めて貰いたい人に対してアピールすることに対しては貪欲だったと記憶している。この「認められたい」という気持ちと、「自分を主張したい」という気持ちのニュアンスには微妙に世代間の誤差が存在するようにも思うが、何を証拠・確証として「認められた」が現代社会では非常にあやふやなんだと思います。ふわふわしている、いや、誰かが何かの目的のためにふわふわさせていると捉えると、その狙いは「確証やリアリティーを獲得させない」という構図になり、もし、それがゲームやスマホを市場に送り出すことで成功させているとしたら、このデベロッパーはかなり狂気だ。人間性の成長過程で「認められたいエネルギー」を逆回転にさせて利を得ているシステムが存在するだとしたら、私のようなゲーム大嫌い、スマホ反対派のようなやっかいなおっさんが何かこの現状の問題解決に対して一石を投じれる隙間も存在するのかもしれない。

 安易な暴論で締めくくるが、「認められた。認められなかった。」などどうでもいいこと。自分自身の中にある評価点が一定レベルをクリアし続ければ、あとは野となれ山となれ、明日は明日の風が絶対に吹くと考えている。つまり、自信は共鳴してから作るのではなく、まず、苦労して苦労して試行錯誤を経て自分自身の中でしっかり創りましょうということです。SNSで友達が作れるはずないじゃん!友達申請して友達が増えたら苦労はしないですって!他人の言葉に敏感になる前に、自分の中の気持ちに敏感になりましょう!ということ。

 仕事柄、オンラインなので、諸々を成立させるためにオフラインで全てを完結させることはできないが、思考は常にオフライン状態でありたいと考えています。って、オンラインの恩恵を何%受けられているかは定かではないが・・・。

O2O

 Online to Offlineの時代がやって来たらしい。てっきりOne to Oneのことかと思いきや、時代の変化は相変わらず目まぐるしい。しかし、こうして何かが提唱され一般メディアに反映される頃、すでに、次の展開が最先端の現場では新しい源泉として湧き上がり、その基本的構造は産声を上げているのだろう。結局、食物連鎖や輪廻転生のように巡回・回遊しているのだろうけれど、その回遊速度が速すぎて基礎体力がないと振り落とされてしまう。つまり、この危機感をどう消化して栄養に変換させるのかという胃液の力が試されているのです。気圧や気温や酸素量をしっかり体感できないと思考も行動も止まってしまうのです。こうして新しいフレーズを新聞や書籍で発見する度に冷たい汗が出る。その昔、原始の人達が夜な夜な洞窟で身を寄せ合いながら聞いた猛獣の声に似ている。

杉本先生おめでとう!

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 恐らく、大野ダムで一番強い人が優勝した。これを当然の優勝と言うのだろう。最高の実力者が最高の結果を出す。これがその瞬間ですね。おめでとうございます杉本先生!

3Dプリンターの未来。

 いよいよ次世代型!?3Dプリンターの波が本格的にやってきたようです。それに伴いよくある問題が具体化している様子。完全コピーできるモノのクオリティーがここまで高まると、イマジネーションを高めているのは善人だとは限らないという問題。でも、何か一回作ってみたいですね。ちなみに、自分の顔の完全コピーマスク制作はモデリングとプリント費用で¥30,000ぐらいらしいですね。誰でも007時代の到来!?なのかな・・・。

世界にたったひとつの花。

 創造意欲と破壊衝動は表裏一体である。経済の発展や文化の振興の裏には必ずそれに伴う、それ以上の代償があった。人間の歴史は略奪の歴史だというテーマが根源に流れている物語は多いのもこれらのテーマに著者が脚色し理解しやすいチューニングを施術した成果物。例えば、地域振興というテーマにこの法則を適用すると、やはり、見える世界と見えない世界があり、見える世界とは繁栄で、見えない世界とは滅亡となる。これほど極端に事は人の気持ちを無視した速度で進行するわけではないから、ゆっくりと悠久の時間の流れの中でこれらの一進一退を教授しながら我々は今いる場所で生きている。テーマが何であれ、同じようなことが起こっていると仮定すると、見えている世界と見えていない世界の均衡の中心点をどこに設定しているかで個性の存在が明確になる。

 世界でたったひとつの花という価値観の提起は非常に多くの日本人に受け入れられたようだが、誰もがそれぞれに存在価値があるというメッセージと「世界」というのフレーズに相関させて代償を黙認させようとした戦略が成功したのだ。世界の中心で~あたりからその戦略は勢いを定番化させ、グローバル化社会の到来というのぼりを見上げ慣れない刀を磨いているということ。これ以外にも根源になるテーマは多く存在するが、「個性」というアプローチで刺激されると破壊衝動が助長される性質の精神構造が多く存在するのだろう。この傾向は日本に限ったことではないだろうし、繁栄を求めるばかりに滅亡していく存在を黙認する訓練は充分にいろいろな国で取り組まれている。それが教育というもの。教え育むためにはゴールの設定が重要であり、誰でも世界でたったひとつの花になりたくないとは考えない大前提。もっとも、人間の存在をクラウドアトラスのように捉えてしまうのはユーモアからもウィットからも逸脱しているように見えてしまうが、いやいや、さらにその深部には壮大な遊び心が存在している。

 中二病でも恋がしたいか・・・、AKB48化する数多のムーブメントのルートをオブザベーションしながら、この山には登るべきか否かを躊躇してしまう私のこの気持ちは、創造か破壊か?どちらのタイプなのだろう。花は花、今この時も自分自身の設計図を元に代謝と複製のみを目的に存在している。つまり、人も同じ。

なんでこうなるのか?

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 なんでこういうことになってしまうのだろうか?ほんと実感として悪すぎるぞIE!老兵は最前線では戦えないという白旗宣言なのだろうか。ネスケと同じ道を辿るのでしょうね・・・、残念。

DESIGN×WEB×VIDEO=?

 ADOBEが提唱するクラウドプラットフォームへの賛否両論が「迷信化」しているらしい。なるほどそりゃそうでしょうね。APPLEもそうですし、MSもそうですが、結局、そうなるんですよね。でも、それは当然と言えば当然の流れだから、迷信化する前にクリエイターが個々に対応策というか個人レベルの戦略を組み上げているかいないかで迷信になるか伝説になるか(まぁ、伝説にならないまでも均衡を維持できるか)となるのでしょう。もう別のルートはないのだから。崩れる時は一緒なのだろう。もしトラブルが発生して最悪の状況になっても自分のハーケンがまだ有効なら道連れになる前にザイルを切るためのザイル用のナイフを用意しておきましょうということだろう。ザイルはキャンプ用のナイフでは切れないですからね。そして、そこからでも次の一手を目指すポイントに伸ばすというのなら、それが「登る」というリアリティーだろう。

スマホ難民。

 現在スマホユーザー数は国民の約30%らしい。で、スマホ難民という人達が増えているらしい。それは、スマホは買ったけど電話をかけるだけでメールもSNSもアプリも活用できていない人達のことをそう呼ぶらしい。私はスマホユーザーではないのでその難民感が分からない。分からないがそもそも便利だろう、便利かもしれないから買ったのか?みんなが買っているから買ったのか?で活用に対する本気度が推量できるはず。逆に持っているけど使えない難民感が実は欲しかったとか。持っているけど活用はできていないけど安心みたいな気持ちがどこかにあるのではないだろうか。それに活用するって、SNSやアプリを使うことが「活用」だとは思えない私はまだスマホに手が伸びない。

世界ランク34位。

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 日本人初メジャー連続ベスト10入りおめでとうございます。それが、ギリギリな感じではなく、まだまだ、余力を残しつつの連続ベスト10だから頼もしい。頼もし過ぎます。全英についていえばパーオン率が決勝に残った選手の中で第2位って!ワンペナ事件もヒデキマツヤマの名前を世界に知らしめるための出来事でしたね。ほんとうに4日間、ワクワクが止まりませんでした。世界で勝って欲しい気持ちもありますが、日本でのプレイが少なくなるのは残念なこと。でも、日本で松山君の相手になるプレイヤーがいないのだから世界でトップを目指すのはこれ必然当然の流れ。メジャーで優勝トロフィーを掲げている松山君の絵がかなり頭の中で明瞭になっているゴルフファンも多いのではないでしょうか。いやはや大型過ぎる・・・。そして、強い顔です。

ライトマン正座。

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 このキャラなかなかいい。体内には金属の芯が仕込んであり自由な体制になる。それがそこそこの強度で携帯電話ぐらいなら持ってしまうというライトマン。ライトマンだから当然目が光る!?こんな商品を考えて創りだす仕事って楽しいだろうなぁ・・・。5つキャラがあってブルーライトマンはちょっと焦っているのだ。あと4体もいずれ・・・。

煮えたぎるような熱いモノ。

 連夜、松山茂樹君の活躍をテレビの前で応援している。11年前の丸山茂樹さんの優勝争いを想い出しながら。あの時は興奮だったが、松山君のプレイは21歳には到底見えない程の落ち着きを感じる。しかし、松山君に関する国内の評価や人間性に対する記事を読むと少し違った人なりがあるようだ。悔しい時は泣き、嬉しい時はその心の内を素直に表現しているということ。怪物なだけにこれからも松山君はいろいろなマスメディアに対して熱くなる話題を提供してくれることだろう。

 昨晩のプレイで言うと、パッティングの時間が制限時間内ではないというジャッジを審判にされワンペナを食らった。ルールだから仕方ないのだが、そのプレイ後からそれまでの快進撃が止まる。トップまでワンストロークだったスコアを崩していった。解説の青木プロなどは外野のコメントでルールについてや松山君の若さゆえのミスだからこれを経験に~というコメントを入れていたが、18ホール後の羽川プロのインタビューでは確実に目が怒っていた。もう爆発寸前のような表情だったように見えた。言葉も少なにあのジャッジに対する素直な感想を述べながらも、自分のメンタルコントロールの未熟さに対しても怒っていた。なんて素敵なプロゴルファーなんだろう。

 その実力は日本国内のレベルを凌駕しマスターズ、全米プロでも確実にメジャー優勝への階段を登っているように思える。そして、全英のこのハプニング。羽川プロはこの気持ちを4日目のプレイへの集中力に変えてくださいみたいな応援コメントで締めくくったが、それでも松山君の顔は鬼のように怒っていた。煮えたぎるような熱いモノを画面に残して去っていった。

 なんて魅力的な男なんだ。頑張れ!松山君。今晩も応援しますよ!

選挙演説のロジック。

 暑いのに選挙演説者の皆様は御苦労様なことです。決して心地いとは感じられない非日常的なこの違和感を整理してみよう。選挙演説で頑張っていますからという大前提の無神経なその音量が気になるの原因か、選挙運動ということは昔からこういうスタイルだから市民の皆様にご迷惑をおかけしていますという体裁を無理やり押しとおしたベースに私達はこうして炎天下の中頑張っていますという表現で運動中は精一杯頑張っているというアピール姿勢が原因なのか、叫び続けることがだけが至誠だという主張しかなさげなのが原因なのか、さっぱり分からない。やったことがないから勝手な無神経な考えに至っていることは事実なのですが、やらないことにも理由のだから仕方ない。これらを全て日常の一場面だと無理やり大人の理解をしたとしてもそれでも違和感がある。それは恐らくその行為の中に適正なロジックが存在していないからなのかもしれない。言葉の羅列が本気の度合いと反比例しているならまだいいが、その相関性さえ充分に考えていなさそうな人達に見てしまうことと、連呼している主張が非現実的なテーマであり、比較的抽象的なことに終始して結論を避けていることも違和感を感じてしまう理由だろう。

 今日から宮崎監督の映画「風立ちぬ」が公開されている。関東大震災から世界恐慌を経ての戦争の時代に生きた一人の男の物語。宮崎監督はそういう時代だったからシンクロするように「ナウシカ」を創ったとおっしゃっていた。今回の映画「風立ちぬ」も同じ気持ちですとのこと。歳を取ると自分の映画で泣いてしまうという宮崎監督の言葉の重さと選挙演説の中の言葉の重さ。どちらが重いのか軽いのかというモノサシではなく、それを聞いている自分自身にとってどちらが価値があるのかというチョイスをした時、激動の時代なのだから自分の中に何が「強さ」なのかという基準をしっかり見極めることで適正な判断ができるのだと思います。

う・う・うなぎが・・・。

 うなぎが絶滅危惧種に認定されたという話を聞いた。一番好きな食べ物が「うな丼」なのに・・・。これはかなり辛い状況だ。市場に出ている間に食べなければって、結構高価な食材になっているし、気楽に食べるわけにもいかない現実。いろいろ辛い状況です。

演繹的推測か・・・。

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 まるで生き物のような論理学。それは生命力とも表現力とも違う生命を維持するために必要な仕組み。

止まった時計。

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 さらに、校内をうろうろしていると粗大ゴミ置き場が目に止まった。巨大なアート作品のようなゴミの山と壊れた時計の組み合わせがとても印象的だった。

大阪芸術大学の中庭より

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 あの頃はこの像はここには立っていなかった。この中庭を見下ろしているとあの頃のことをいろいろ想い出してしまいます。その後、校内をぶらぶらしていると美術学科の1回生の実習室で作品展示されているという内容の張り紙が目に止まった。中に入ると油絵やデッサンなどの作品がたくさん展示されていた。制作途中の作品もあるようでまだ乾いていない油絵の具の臭いがした。すると、懐かしい感覚が押し寄せてきて20数年前の初めての実習日のことなどがいろいろ想い出された。

富士山 吉田口

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 今年はここからアタック予定。世界遺産については賛否両論ですが、もっとも人気のある登り口だけにいろいろな発見があることでしょう。今回で4年目(4回目)の富士登山。楽しみ楽しみ。

新しいこと。

 一般的に年々新しいことへのチャレンジするエネルギーが減少していくと思う。経済的に余裕ができてくれば年齢を重ねるごとに新しいことへのチャレンジできる可能性は大きくなると捉えたいが、チャレンジできる数は増えるだろうが、その質量というかサイズは確実に制限を受けている。手短にオリコミチラシを見て資料を購入して始めるあれは正確にはチャレンジではない。そういう商売にシンクロしているだけでチャレンジというのはもっと刺激的なことである。刺激的なことであると言いながらもずる賢くなった分だけリスクが見えてしまうから、リスクを覚悟で想定内のチャレンジしかしなくなることも制限のひとつ。ではなぜ制限を設定してしまうのか、現実的に不可能なことをチャレンジだと言っても絵に描いた餅だからか、そもそも、チャレンジに対する固定観念から脱却できないからか。仕事のルーティーンでさえ、50歳が近くなると挑戦は控え引き出しの中の貯金を切り崩すことでバランスを低く整えている。この状態もどうひいき目に見ても「新しいこと」とは遠い。

 子どもの頃、プロ野球選手になりたいと考えていた子どもたちの中で何%がその夢を実現したのだろう。プロ野球選手になる夢というのも今考えるとあまり魅力的ではないが、子ども頃はモノゴトの一部分しか見えないので夢のための夢が設定できたのだろう。

 では、「新しいこと」とはそれを設定することでどういう利点があり効果があり自分の仕事や人生にどんないい作用があるのだろう?「新しいこと」にはそんな魅力やエネルギーの源泉が潜んでいるように考えています。しかし、思考も筋肉も確実にその機能が低下しているから慎重に。でも、慎重にしているだけでは挑戦が楽しくなくなるし・・・。と、このモヤモヤした感覚が実はいいのかもしれない。

ご来光。

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 皆さんこれが見たいのか・・・。まだ、弾丸登山はしたことはない。今年も例のコースを例のパターンで・・・。でも、夜間登山は暑さ対策は半分でいいだろうが、あの斜面を夜登るのはぞっとする。

連日の猛暑。

 連日の猛暑が続いている。今年は特に強烈なようです。いろいろな場所でのきなみ記録ラッシュ。電力の問題やらセシウムの問題やらいろいろある中でさらに状況を沸騰させるかのように太陽が照りつけている。水分と塩分の補給を怠れば身体の変調をまねき高齢の方や子どもなどは要注意。

 しかし、私はすこぶる調子がいい。逆に暑くなるとクーラーとの戦いが始まる。確かに暑い外から帰ってきてクーラーがかかっている部屋に入るとほっとするのだが、長時間はキツイ。クーラーのかかっている部屋での仕事は1時間が限界である。外へ車で出る時は車の中はサウナ状態だが、クーラーは入れない。窓を全開にするだけ。汗は出るがその方が健康にいい。

 何事も自分の性分に合った取り組みをしなければ極端に生産効率が下がってしまうので、体調の管理はそれに直結することだから、デリケートにマイペースに貪欲になる。気持ち的にも「暑い暑い」を連発しないように心がけています。暑いのに「暑い」ってベタだし・・・。

 

人間的魅力のつくり方。

 「魅力があれば他に何もいらない。魅力がなければ何があっても意味がない。」

 ここまで言い切れるこの書籍の著者は素敵だ。さらに、「人間的魅力」をテーマに書籍にしてしまうのだから、誠実で研究熱心で貪欲な人なんだろう。そういう人なんだろうと感じてしまいます。魅力があれば他に何もいらないと言い切る人が目の前にいたとする。その人は何のことを人間的魅力としているのか?という興味が湧く。これがジャブなんだろうし、書籍を手にしてレジまで持って行くにはもう少し理由や動機が必要になってくると思いますが、それでも、何かと反照して「自分は魅力的でない人間だ。」という判断をしてコンプレックスを持っている人(持っていない人などいないだろうが・・・)はこのタイトルに期待してその期待値から¥1,000を支払うのだろう。自分に足らないものを補えたら・・・と。

 で、書籍を買って読むと「なるほど」「確かに」「おっしゃる通り」があった場合この書籍は価値がある。しかし、「¥1,000の書籍にしては内容が軽いなぁ~」とかなってしまったら、なかなか絶対的に「人間的魅力」についてはどうでもよくなり、勝手な期待値と自分の消化加減・理解レベルと相関させて「そして、次へ続く・・・」になるのだろう。

 ひとつの言葉をどう解釈しているか?捉え方を限られたページに規定するということは、時間を切り取るような感覚であり、デザインの仕事と似ている。ミイラ捕りがミイラになることはどうしても回避したい。

 人間的か・・・、凄いテーマです。改めて。

そして。

 小学生の頃、私の作文の中には「そして」が非常に多く入っていたらしい。その時は別に先生にそんな注意をされても、先生が「自由な気持ちで書け」と言ったから、僕は「そして」の連発になったのに、なぜ、先生は注意するのか?と悲しい気持ちになった記憶がある。

 そんなことよく覚えていますねレベルの想い出なのだが、だから!?文章を書く時に「そして」を使うのを躊躇するようになってしまった。

 小中学校の国語で正しい日本語を学習した記憶もないし、高校ではどんな国語の授業だったさえも記憶にない。まして、大阪芸大の4年間で文章を何文字書いたことだろうか・・・という人間だから、社会に出てもデザインの仕事でも文章表現について深く探究することはなかった。

 そして、読むことは楽しく、書くことは苦しいことだと最近気がついた。そして、それが幸福でもある。

時を越えて・・・。

 「時を越えて君を愛せるか?」というフレーズが多用されている。愛の物語の誕生から死別までをつなぐための優しいフレーズだ。時を越えるとはどういうフィーリングか?それを皆自分自身のモノサシや経験値で捉えて自分なりのディテールに消化しているのだろう。

 自分自身の物語はどこから始まってどこで終わるのかを考えていると、いつ始まったのか?もう終わってはいなだろうか?という不安に支配されてしまう。これを整えるためにいろいろな欲望や価値感が用意されてきた。それが人間の歴史。愛を追求・探究することでその均整を整えるもよし、戦いの中で自分自身のアイデンティティを実感するのもよし。つまり、人は完成された成果物や方程式や分かりやすい教科書を最初の段階では求めるが、一回、それを知った瞬間次の不安と探究心向けてのリセット準備を行ってる。つまり、全ては現在進行形の中で、どう立ちまわるのかということに尽きる。

 「時を越えて君を愛せるか?」と聞かれても誰も明確な答はもっていない。それは永遠に誰の手にも落ちてこないモノだから。

 などと、頭の中がゴニョゴニョしているのは、今、相方とある挑戦をしているから。この挑戦は自分で始めた挑戦だが、一番近くにいた相方がそれを完全にサポートしてくれている。美しい方程式は要らない。本当に欲しいのは時を越えて君を愛せるかという感覚。

 心に沁み込む言葉はある意味「投げっぱし」でいいと思うし、現代は「投げたあと」のことを気にし過ぎだ。投げることもせずに魚を疑似体験で仮想空間で釣り上げて何が楽しい?ただ、ルアーを投げなければブラックバスはバイトしてくれないのが自然の法則。

 ゲームプログラムの中でランカーを釣っても私は楽しくない。釣りの楽しさはリアルな1匹目から始まる。どのような条件と状況でその1匹目に出会えたかが全ての始まりである。釣りなら最初の1匹目が物語のはじまりだとして、これが仕事なら、人生なら何に置き換えることができるのか?それを考えるための1本目を私は今ひねり出そうとしているということなのだろう。

百田さん。

 本日は彦根で百田さんの講演会を撮影してきました。なかなかテンポの言い方でビックリしました。元々テレビ番組を作成しておられるお仕事がバックボーンにあり、50歳を超えてから作家活動を起動されたそうです。持ち前のテンポでヒット作品続出なんですね。私はボックスともう一作品しか読んでいませんし、「0」も「海賊」も読むつもりはありませんが、なかなか百田さんご自身は素敵な方でした。ちょっとファンになってしまいました。次から次へと出て来るあのマシンガントークはそのバックボーンの大きさを感じずにはいられなかったです。

至誠、天に通ずる。

 「天地が天地たるゆえんのの本体、本質、これを誠という。別の用語で言えば真実である。この誠という文字も非常に考えられて造られている。偏の「言」は「事」という文字で、その言(こと)(事)の端(は)が言葉だ。要するにこれは事実ということである。創造、クリエーション自体を言という。創造の営みによって創り出されるものが言である。その端、先端が言葉である。だから人間が成長する始まりは言葉だ。モノを言い出すというのが成長の始まりです。」と言われても・・・という人には関係がないのだが、そのニュアンスに心が少しでも動いたのなら、その至誠は必ず天に通じるのだろう。この場合の天とは何を指すのかが問題である。

 天文学と占星術の違いは軸がどこなのか?と同様に、言葉を信じるということが具体的にどのような作用があり効果があるのかを知覚してこそ・・・なのである。

 有言実行という言葉がよく学校の廊下や教室に貼ってたが、その深い意味を理解しないまま、誰もが学校を卒業して社会にでる。そういえば学校の廊下にそんな言葉が貼ってあったなぁ~と勤め始めた会社の社長が会議で引用して想い出すみたいなあれ。最初に何故言葉ありきなのかは突き詰めらとしたら相当深いはず。脳が発信する信号で神経から筋肉に何かが伝わっている仕組みである以上、それが通じる通じないではなく、一体であることを知る。

 ゴッホの原子を吸いこんでゴッホになれるという仮説があるらしいが、だから、ゴッホになりたいかと聞かれれば、返答はNOだ。ドバイの億万長者になりたいかと聞かれても返答はNOだ。原子論を茶化せばキリがないが、最初は言葉ありきだとしても朽ちれば皆同じ。

マルクス・マルサス・ダーウィン。

 この3名にフォーカスしなければならない時代だとロイドは言いたいのだろう。そして、次の新しい原理や倫理が生まれる時、それはこの3つをベースに構築されるべきなんだろう。途方もないモンスターが現代でもどこかで火を吹き続けているとしたら、その業火に焼かれるのは誰だろう。

 人間は1日6万種類のことを考えているらしい。その中で新しいことは多くて3,000件。ほとんどの人が昨日と同じ6万種類のことを考えて過ごしているらしい。このシステムはある意味素晴らしい生物としてのシステムだが、ある意味「変わらない・変えない」という信号を素直に筋肉と骨格と神経系が実行している生物だと言える。4分間、「右手よ伸びろ」と念じると数ミリ右手は伸びるらしい。精神と身体の不思議な関係を持てあましている我々は複製と代謝、創造と破壊の中で、人間性というリミッターに一喜一憂して過ごしているということか。

 なるほどなるほど、確かに蔓延るはずだ。

3人の魔女か・・・。

 なるほどなるほど、近代には3名の魔女がいたのか・・・。

 書籍「137億年の物語」を昨晩読み終えた。なんとも量感のある読後感である。

 ビックバンから3.11まで、137億年の歴史が何を意味しているのだろうか。

 非常に壮大な物語だった。

 やはり、いろいろな世界観が少し変わったような気がしています。

 その後に読み出した「青い象~」にスムースに繋がっていく感じがなんとも痺れた。

琵琶湖オープン!

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 トロフィー2本!カッコイイ!!!!!!!!