時を越えて・・・。

 「時を越えて君を愛せるか?」というフレーズが多用されている。愛の物語の誕生から死別までをつなぐための優しいフレーズだ。時を越えるとはどういうフィーリングか?それを皆自分自身のモノサシや経験値で捉えて自分なりのディテールに消化しているのだろう。

 自分自身の物語はどこから始まってどこで終わるのかを考えていると、いつ始まったのか?もう終わってはいなだろうか?という不安に支配されてしまう。これを整えるためにいろいろな欲望や価値感が用意されてきた。それが人間の歴史。愛を追求・探究することでその均整を整えるもよし、戦いの中で自分自身のアイデンティティを実感するのもよし。つまり、人は完成された成果物や方程式や分かりやすい教科書を最初の段階では求めるが、一回、それを知った瞬間次の不安と探究心向けてのリセット準備を行ってる。つまり、全ては現在進行形の中で、どう立ちまわるのかということに尽きる。

 「時を越えて君を愛せるか?」と聞かれても誰も明確な答はもっていない。それは永遠に誰の手にも落ちてこないモノだから。

 などと、頭の中がゴニョゴニョしているのは、今、相方とある挑戦をしているから。この挑戦は自分で始めた挑戦だが、一番近くにいた相方がそれを完全にサポートしてくれている。美しい方程式は要らない。本当に欲しいのは時を越えて君を愛せるかという感覚。

 心に沁み込む言葉はある意味「投げっぱし」でいいと思うし、現代は「投げたあと」のことを気にし過ぎだ。投げることもせずに魚を疑似体験で仮想空間で釣り上げて何が楽しい?ただ、ルアーを投げなければブラックバスはバイトしてくれないのが自然の法則。

 ゲームプログラムの中でランカーを釣っても私は楽しくない。釣りの楽しさはリアルな1匹目から始まる。どのような条件と状況でその1匹目に出会えたかが全ての始まりである。釣りなら最初の1匹目が物語のはじまりだとして、これが仕事なら、人生なら何に置き換えることができるのか?それを考えるための1本目を私は今ひねり出そうとしているということなのだろう。