新しいこと。

 一般的に年々新しいことへのチャレンジするエネルギーが減少していくと思う。経済的に余裕ができてくれば年齢を重ねるごとに新しいことへのチャレンジできる可能性は大きくなると捉えたいが、チャレンジできる数は増えるだろうが、その質量というかサイズは確実に制限を受けている。手短にオリコミチラシを見て資料を購入して始めるあれは正確にはチャレンジではない。そういう商売にシンクロしているだけでチャレンジというのはもっと刺激的なことである。刺激的なことであると言いながらもずる賢くなった分だけリスクが見えてしまうから、リスクを覚悟で想定内のチャレンジしかしなくなることも制限のひとつ。ではなぜ制限を設定してしまうのか、現実的に不可能なことをチャレンジだと言っても絵に描いた餅だからか、そもそも、チャレンジに対する固定観念から脱却できないからか。仕事のルーティーンでさえ、50歳が近くなると挑戦は控え引き出しの中の貯金を切り崩すことでバランスを低く整えている。この状態もどうひいき目に見ても「新しいこと」とは遠い。

 子どもの頃、プロ野球選手になりたいと考えていた子どもたちの中で何%がその夢を実現したのだろう。プロ野球選手になる夢というのも今考えるとあまり魅力的ではないが、子ども頃はモノゴトの一部分しか見えないので夢のための夢が設定できたのだろう。

 では、「新しいこと」とはそれを設定することでどういう利点があり効果があり自分の仕事や人生にどんないい作用があるのだろう?「新しいこと」にはそんな魅力やエネルギーの源泉が潜んでいるように考えています。しかし、思考も筋肉も確実にその機能が低下しているから慎重に。でも、慎重にしているだけでは挑戦が楽しくなくなるし・・・。と、このモヤモヤした感覚が実はいいのかもしれない。