選挙演説のロジック。

 暑いのに選挙演説者の皆様は御苦労様なことです。決して心地いとは感じられない非日常的なこの違和感を整理してみよう。選挙演説で頑張っていますからという大前提の無神経なその音量が気になるの原因か、選挙運動ということは昔からこういうスタイルだから市民の皆様にご迷惑をおかけしていますという体裁を無理やり押しとおしたベースに私達はこうして炎天下の中頑張っていますという表現で運動中は精一杯頑張っているというアピール姿勢が原因なのか、叫び続けることがだけが至誠だという主張しかなさげなのが原因なのか、さっぱり分からない。やったことがないから勝手な無神経な考えに至っていることは事実なのですが、やらないことにも理由のだから仕方ない。これらを全て日常の一場面だと無理やり大人の理解をしたとしてもそれでも違和感がある。それは恐らくその行為の中に適正なロジックが存在していないからなのかもしれない。言葉の羅列が本気の度合いと反比例しているならまだいいが、その相関性さえ充分に考えていなさそうな人達に見てしまうことと、連呼している主張が非現実的なテーマであり、比較的抽象的なことに終始して結論を避けていることも違和感を感じてしまう理由だろう。

 今日から宮崎監督の映画「風立ちぬ」が公開されている。関東大震災から世界恐慌を経ての戦争の時代に生きた一人の男の物語。宮崎監督はそういう時代だったからシンクロするように「ナウシカ」を創ったとおっしゃっていた。今回の映画「風立ちぬ」も同じ気持ちですとのこと。歳を取ると自分の映画で泣いてしまうという宮崎監督の言葉の重さと選挙演説の中の言葉の重さ。どちらが重いのか軽いのかというモノサシではなく、それを聞いている自分自身にとってどちらが価値があるのかというチョイスをした時、激動の時代なのだから自分の中に何が「強さ」なのかという基準をしっかり見極めることで適正な判断ができるのだと思います。