世界にたったひとつの花。

 創造意欲と破壊衝動は表裏一体である。経済の発展や文化の振興の裏には必ずそれに伴う、それ以上の代償があった。人間の歴史は略奪の歴史だというテーマが根源に流れている物語は多いのもこれらのテーマに著者が脚色し理解しやすいチューニングを施術した成果物。例えば、地域振興というテーマにこの法則を適用すると、やはり、見える世界と見えない世界があり、見える世界とは繁栄で、見えない世界とは滅亡となる。これほど極端に事は人の気持ちを無視した速度で進行するわけではないから、ゆっくりと悠久の時間の流れの中でこれらの一進一退を教授しながら我々は今いる場所で生きている。テーマが何であれ、同じようなことが起こっていると仮定すると、見えている世界と見えていない世界の均衡の中心点をどこに設定しているかで個性の存在が明確になる。

 世界でたったひとつの花という価値観の提起は非常に多くの日本人に受け入れられたようだが、誰もがそれぞれに存在価値があるというメッセージと「世界」というのフレーズに相関させて代償を黙認させようとした戦略が成功したのだ。世界の中心で~あたりからその戦略は勢いを定番化させ、グローバル化社会の到来というのぼりを見上げ慣れない刀を磨いているということ。これ以外にも根源になるテーマは多く存在するが、「個性」というアプローチで刺激されると破壊衝動が助長される性質の精神構造が多く存在するのだろう。この傾向は日本に限ったことではないだろうし、繁栄を求めるばかりに滅亡していく存在を黙認する訓練は充分にいろいろな国で取り組まれている。それが教育というもの。教え育むためにはゴールの設定が重要であり、誰でも世界でたったひとつの花になりたくないとは考えない大前提。もっとも、人間の存在をクラウドアトラスのように捉えてしまうのはユーモアからもウィットからも逸脱しているように見えてしまうが、いやいや、さらにその深部には壮大な遊び心が存在している。

 中二病でも恋がしたいか・・・、AKB48化する数多のムーブメントのルートをオブザベーションしながら、この山には登るべきか否かを躊躇してしまう私のこの気持ちは、創造か破壊か?どちらのタイプなのだろう。花は花、今この時も自分自身の設計図を元に代謝と複製のみを目的に存在している。つまり、人も同じ。