本気の対話。

 この1ヶ月ほど本を読んでいない。すると日々の思考がいかに読んでいる書籍の内容に引っ張られていたのかということに気がつく。恐らくテレビや音楽など気がつかないうちに相当ひっぱられていたのだと気がついた。頭の中を何かで満たしていたいからという本能だろうか習慣だろうか、とにかく、いっぱいにしておきたかったというのが真理だろう。よほどのことがなければこのようなトライはしないのだが、よほどのことが起こったのだ。少しづつ少しづつ有益無益に関わらずノイズが減ると心の中が澄んでいく感覚になり、それまで雑音でごまかしていた自分の気持ちやうそぶいて開き直っていた気持ちが見事に沈殿していく。その代償にそれまで沈殿していた不安や後悔や焦燥が一気に舞い上がった。つまりこれらを黙殺するためにノイズを満たしていたということなのだ。ようやくその状態になったのだろうと自覚している。すると、それまで黙殺していた不安や後悔や焦燥が実は棚に上げておくべきモノではなかったことに気が付いた。不安や後悔や焦燥こそが自分の本体であり本質なのだから、「お前はいつまで雑音で体裁だけ整えてごまかし続けるんだ!」ということになる。その声をイマドキのスピリチュアルの世界観で捉えようが、自己啓発と安易に言語化しようが、体裁はもうどうでもいい。情報の中のノイズを有益な生産的なパルスに変換するためにまだまだ本気の対話をしていこうと考えている。自分と本気の対話ができない人間に誰かの心を動かせるはずもないと。若い頃ならばノイズを次から次へと引き込んで刺激を楽しむのも生産的だと誤解できただろう。それが過渡期であるならば、足し算に掛け算を繰り返していれば正解を導き出せただろう。しかし、裏から表にベクトルを向けたいのなら、このタイミングで自分自身を再構築しなければならない。