情景描写。

 そもそも心象を描写することと情景を描写することを比べたら、明らかに情景を描写することが得意だったはずがいざ文章で何かを伝える、イコール、心象を語るべきみたいな先入観に捉われていた。ブログも匿名性と抽象性であえてフォーカスを緩くすることに終始し過ぎ、本来言い切り型の人間が微妙な文脈のテクニックを得たかのように曲解しつらつらと書いては満足していた。仕事で広告用のコピーライトをチェックしている時もそう、伝えるべき内容を心象で捉え過ぎ、結果、結論はどこかへということで、コピーライトの真髄を極めたような錯覚に陥っていた。一番伝えなければならないこなどどこかに丁寧にしまい込んで伝えたいことを隠しながら語るテイに泥酔していた。これが意外と気持ちいのだ。ええっ!ここまで言って感じられないのなら何を言っても伝わらんぜ!と隠し捻じ曲げフォーカスを緩めることがテクニックだと。でも、言い切り型の人間だからそれが心地いいみたいな感覚。

 いい例がこの文脈と論理。何を言いたいのかは避けている。間違いなく避けている。これは、恐らく世の中のブログ論理やSNS論理に引っ張られているのだろう。言い切れば痛い目に会う世界だからだ。この論理が世界中をハリケーンのように全ての真理をなぎ倒しているとしたら厄介だ。たかがデジタル信号が形作るこの画面に何がある?何もないことありきでただのデジタル信号に真理は転写できない。まだ、そこまで人間はデジタル信号を信じる能力を得ていないのだから。

 目の前で末尾のカーソルが点滅している。CPUのリズムに同期するように、キーを叩く。打ちこまれるテキストが変換キーでネガからポジに変わるリズム。どこで終わるのか?まだ、何も始まっていないのに。

comments

変わる良さと、変わらない良さ? 
ひと歳いくとなかなか新しいモノを自分の中に取り入れるってやらなくなりますよね。
ひと歳が、どのあたりを差して言ってるのか自分でも分かりませんが。
成功体験が強いからか、失敗体験が辛いからなのかそれともそもそも興味がないのか分かりませんが?
僕はここ数年新しいことを取り入れるのが楽しいです、新しいことを自分の中に取り込む時の心地悪さが心地いい?
慣れないことを少しずつ吸収していく過程、ぎこちない作業やぎこちない思考が徐々に整理されて、少しずつ自分のモノなっていく感覚が好きですね。
変わる良さと、変わらない良さ。 何もしなくてもこれは語れますが、100の新しい事を吸収して360° 720°回ってもここにたどり着いても同じ。
自分と対話して試行錯誤した人の言葉は質量が違う、どちらがいいかは人それぞれですが、自分には前者は無理です(笑)


  • kuni
  • 2013年09月14日 09:24

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