相対か絶対か。

 モノゴトは全て相対であればいいと考えてきた。相対でなければ仕事は成立しないのだと。多種多様なニーズに答える誠意と技術さえあればデザインの仕事は成立すると。そう考えられるようになったのも結構最近のお話で、そんな答を出すことさえも不謹慎で図に乗っていると自分に言い聞かせてきたような仕事のスタイルだった。しかし、その方法論では上手くアウトプットが機能しないケースがあることを知る。多種多様なニーズへの対応力こそが生命線だと信じてきたことが実は自分自身で緩めのリミッターを設定してその中で試行錯誤だの挑戦だの紆余曲折だのと小さく(精一杯だったので小さくもないのですが)まとめようまとめようとしていたのだと。その状態で横腹あたりにデットボールを喰らった。自分からボールを打ちに行くために踏み込んだのだが。

 この数ヶ月、強力な強制ギブスでこの思考規範と行動規範を「絶対モード」に変換させようとしています。勿論、ホームランを量産するためだ。最初は手足がその強力なバネで動かすこともできなかったのが、ようやく最近は相対モードと絶対モードを切り替えるきっかけが見てきた。具体的に何でそう感じられるのかと言えば、実はさほど目新しくも奇抜で斬新なモノではなく、これまで普通に見てきたり聞いていたことばかりだった。光と陰と言えば適正かもしれないが、同じモノを見ていたのに相対モードの時は陰の面ばかりを見ていた感覚だ。少し立ち位置を変えれば光の面が見えただろうに、ただ同じ場所に固執していたのだ。

 ただ、いくつかのきっかけに確実に遭遇し、自分の中の変化を認められるようにはなったが、これまでの思考癖を強制するには時間がかかることを実感し、焦っても仕方ないと素直に変化を受け入れている。五感と思考が絶対モードへの変換に対して馴染み、新しく見えている面からの新しい情報がインプットが絶対モードで循環しなければ、新しいコンテンツを創り出すことはできないのだ。私のO型の血液が相対モード用だとしたら、その50%を別の血液型に入れ替えて身体に新しいタイプの血液を馴染ませるぐらいのオペなのです。反作用や副作用や拒絶反応が発生したがなんとか融合させるにためのルートを今は獲得した。

 しかし、相対モードは「仕事モード」なので切り捨てることはできない。でも、相対モードではアウトプットするものが緩くなり意味も価値も緩くなくなる。だから、ハイブリッドモードを会得しなければいけない。相対モードを維持しながら、絶対モードを覚醒させたい。

 私の中では「アート」が絶対モード、「デザイン」が相対モードなので、自分自身のルーツを辿ることで絶対モードになれたが、感覚的には諸刃ではなく、二刀流でもなく、分身の術でもない。どうやら、そんな小手先のスキルではないのだというところまでは分かってきた。

 この強制ギブスはとことんまで楽しい。したがって、絶対モードでのコンテンツの完成は近い。