ソーシャルネットワークのマナー。

 例の奇稿事件で企業や店舗はそれぞれにSNSに対するマナーづくりに動き始めたとニュースで言っていた。食品管理をしている冷蔵庫に寝転んだり、衛生上の問題になるような場所に不衛生な行為をしている写真などなど。モラルのお話だが、インタビューを受けている人達は嫌悪むき出しにそんな若者の行為を一括しているという構図。しかし、SNSを日本人特有のマナーづくりで制御はできない。法律を設定して罰則を適用してもこのモラルの欠如は割合の問題だからマナーブックを制作しただけで解消される問題ではない。企業に勤務する人達が職場条件や労働条件の不満やストレスをこのような行為で示す先をSNSの中に見つけてしまったのだから、端末を取り上げることしかできない。しかし、世の中はどんなに強力で管理側に有効なフィルタリングを施してもその網目は荒い。便宜上ということで体裁を整えるしか方法はない。最終的には個人のポテンシャルの問題だからだ。

 さて、そのSNSですが、便利だ魅力的だ最新だと言っているうちはいいが、本当のコミュニケーションはそこで起動はするだろうが、フォローアップもメンテナンスもできない。まして、炎上しトラブルがリアルになってきたらそれを喰いとめる技術は存在しない。だから「便利」なのだということを、スマホを売る人、アプリを開発する人、このデバイスで販促を展開する人達が、心得ておく必要があるのだろう。私自身は確かにSNSはいくつか起動したものの、活用術が見い出せずに保留している。日々、活発に更新している人の記事を読んで、「なるほどなるほど、この人も大変だなぁ~」と思う程度。唯一、このブログだけが続けられているのだが、最初の起動時はブログも「個人からの発信だ!」とモチベーションが高く、アクセス解析結果に一喜一憂していたが、先程の洞察の通り、フォローアップもメンテナンスもできないことに気づいてから、自分で読むためのメモとして活用している。気楽にいつでも管理画面に入り、思ったことや感じたことを綴るだけ。誰が見ているからと意識することはなくなった。つまり、純粋にWEB-LOGとして活用するだけになった。コメントも受け付けていないし、ただ、未来の自分に今の気持ちを文章化して送っているようなツールになった。でも、これが実は一番、ブログの効用だということに気がついた。それは、頭で思っていることを文章化するということは、一見整理しているようで、実は、クリエイトしているのである。この整理する力を文章力だと捉えて「ブログが書けない」と言っている人は「書けない」のではなく、「書く気持ちがない」のである。逆に起こったことだけを記述しているタイプは書く気持ちはあるのだが、クリエイトができていないのだ。ラーメンの写真を掲載して「美味しい!」はカラスの「カァ~!」と同じである。すると、そのラーメンの写真をSNSの中で発見した人が「カァ~!」と鳴く。そして、それが連鎖してSNSの中はカラスだらけ。カラスの「カァ~!」の方が意味があるんじゃないかと思えるほどSNSにはカラスの鳴き声で飽和している。と書いたが、決してカラスを馬鹿にしている訳ではないし、「カァ~!」に価値がないとは言ってはいない。カラスの「カァ~!」にはしっかりルールとマナーがあるが、人間の「カァ~!」はアーカイブには適していないということ。

 SNSのマナーがある人はどんな状況・条件でもマナーとモラルがある人で、日常生活でも欠けている人、微弱な人は、SNSでも見事に同期している。ただ、アーカイブされるから露呈したということ。この仕組みは誰も多かれ少なかれ気づいているはずなのに、表出しなければ反応できないということで、ここが一番のキモなのだ。ブログやSNSの画面に一文字でも入力することが表出の第一歩であり、そこにどのような意図や狙いがあったのかを自分のモラルに照合して書いているかということから、書かれた情報の本質を多面的にどのように波及させたいのかの狙いの有無にマナーの核の部分が潜んでいる。

 PC世代が、スマホやタブレットを手に入れ、数多の価値をひとつの画面と指一本で教授できる世界が人間の内部にどのようにアクセスして何を得させる仕組みなのか?を考える時期・段階に来ているのだろう。ということを考えると、「書籍」「雑誌」「コミックス」という情報伝達方法が持っている機能は非常に人間的だと言える。情報や文章化された価値が紙の中に編集されクリエイトされた本という存在は、デジタルコンテンツと比較すると優劣があるだろうが、その「劣」の部分が実は「優」だったと学習する未来が近いうちに来るような気がする。この振幅は明らかなに進化・進歩だと捉えたいから、SNSやインタネットコンテンツに期待もするが、過剰な期待はしていない。

 意識してつく「うそ」はクリエイティブで無意識の「うそ」は罪だという言葉をある専門家が言っていた。「うそも方便」「うそこそがクリエティブ」「騙すより騙される方がいい」などと便宜上の切り口は色々存在するが、言ってしまえば、全てが「うそ」なので。嘘をもっと正確に認識するスキルが必要。見破るとか人格に結び付けて評価・判断・洞察するのではなく、酸素のように「嘘」と仲良くすること。モナリザだって実在したかどうか・・・なわけだし、あの人類の歴史上、価値がある「嘘」のひとつだと言える。だから、「この世は嘘だらけだ!」と悲観し世界の中心で叫んでいるぐらいなら、自分の中にある「真実」を共有できる誰かと共に「真実」を高めあいたいと考えてしまいますね。