モノホンの逞しさ。

 最近、矢継ぎ早に逞しい若者に出会った。人の心を動かす人は大地にその足で立っている。農業に従事しているかとか森の知識が豊富だからという意味ではない。人の心を動かす人は自然の仕組みやリズムや意義や価値を知っている。というよりも見事に共生しているのだ。何かのきっかけで明日から農業をしろ林業をしろと言われたら状況から適正ならばパソコンをチョエンソーに変える覚悟はできているものの、しばらく躊躇の猶予が必要だろう。つまり、覚悟の問題が本気の度合いと比例しているという意味で、大地に立っているということはモノホンだということ。当然、相手が自然だったり動植物だったりするのだから逞しくなる。相手がパソコンだったりソフトだったりインターネットだったりするとそうなるように。結局、生活というのはこのどちらかだったりするから、不器用な人は逞しい。

 どこにでもあるような目標を持ち、どこにでもあるような達成感で満足できる器に問題があるのか、器など最初からどこにもないということ前提で起こる全ての事象を目的だとも満足感だとも捉えずにただ行動の軸をぶらさないということがいかに現代に欠落しているかを知るともでも言おうか。年収1億を目指すことは悪いことではないし、高級車に乗っていることは否定する対象でもない。しかし、最初から最後まで価値感に縛られて終わる人生なのか、価値感を自分のモノにして日々を暮らせるのかで人生の豊かさに根本的な違いが生まれる。誰かと比べて何かが優れているかではなく、自分の中の声に素直に正直に行動できる逞しさがあればいい。

 ご多分に漏れず、そんな若者と出会ってしまうと、49歳とおっさんは元気になれるのだ。挑戦しているひと、観察している人、淀んでいない人は逞しい。