センスのモノサシ。

 センスを測定するモノサシはない。原器が存在しないからだが、だから、センスは多様で相関性がありいろいろな状況で多用されるのだろう。さて、センスとは感覚です。感覚とは五感です。デザインの仕事はほぼ視覚情報の操作なのですが、最近の情報技術の進化やデバイスの進化で音のセンスもデザインの仕事には取り込まれ視覚情報と合わせて音源との組み合わせもクリエティブのクオリティーを上げる要素として見聞を保有しなければいけない時代になった。とは言え視覚情報のエキスパートでなければならないと同時に、ただ視覚化することの背景にある理論や心さえ総合的に成果物に対して利用活用適用しなければならいなという意識がより強くなっている。職人技でグラフィックデザインが成立していた時代はツールと手のスキルが完成度に深く関連していたが、スキルの部分をかなりソフトウエアが担うことになり、デジタルコンテンツの創り方から技術的な価値が一見消失したかのように思われてる。確かにソフトウエアはなんでもできるが、同時に誰でもできるというフラット化をデザインの世界に浸透させた。フラット化された均一な品質を創りだすスキルを誰もが苦労せずにソフトウエアで手に入れてしまったから手の技を持っていた人が過去の遺物になり、必然的に淘汰された。では、一見消失したかのように思われてる職人達の技術の価値はどこへ転用されたのか?そのスキルはソフトウエアには転用されなかったのか?ソフトウエア自体がツールでありそのスキルはマウスとキーボードが使えれば誰でもどこでもコンテンツを成立させていると思い込んでいるが本当にそうなのか?

 ここでセンスのモノサシが登場してくる。コンテンツの優劣を決めるのはもう手の技の技術レベルではなくなり、PCとソフトウエアがあれば誰でも均一なコンテンツを創れているということは誰も疑わない現実だが、この「創る」が「創るだけ」になっていることを測定するために「センスのモノサシ」がまだ有効なようだ。デジタルコンテンツの創り込みの条件はもう技術の高低ではなく、創る気持ちの量と時間でフォルムが確定し、残りののびしろは創ることに関わっている人の気持ちで左右するのだ。しかし、このモノサシはかなりの自然環境で伸縮するモノサシで、実のところ、創り手の手に負えないぐらいに伸縮をする時がある。気持ちもロジックも「本気」なのだが、外因的要素で伸縮するのだ。気温で変化する元素のように。分子間の運動量は環境条件が同じならば継続して元素を繋ぎ続けるが、外因的な要因でモノサシが長くなったり短くなったりする。この振幅をご本人がどこまでコントロールできるか・・・が、実はセンスというモンスターを制御する技のような。内因と外因に相関させてセンスという生き物の振幅を動的にコントロールする技。これが実はデザインの仕事の本丸だと思うのです。

 どんな外因要素で私のモノサシは長くなり、どんな内因要素で短くなるのか?このテーマはブログではなく、改めてしっかり別のカタチで整理したいテーマですね。