2013年11月 アーカイブ

パソコンができる人。

 この時代、仕事を探す時の必須アイテムが「パソコン」らしい。車の普通免許と同じぐらい就職にパソコンのスキルが必要なのだ。ある職人のお客様が「この歳で今からパソコンを覚えることはできるでしょうか?」という質問を私にされた。答はYESだが、その職人さんは「パソコンができる」ということの具体的な作業や知識をあまりご存知ではなかった。当然、「ソフトウエア」についても「インターネット」についても別世界のお話のようだ。誰も教えてくれる人が家族にも知人にいなくて、かなり以前からパソコンを使いたいと思っているのだが、何からどう始めればいいのかが分からないとのこと。なるほど、確かに、「パソコンができる人」とは具体的にどのようなことができるのだろう?例えば、メールを書いて送るという作業についても、全く知識や経験がない人はパソコンのスイッチのことから始めなければならないのだ。マウスやキーボードの使い方を覚えてメールソフトの使い方に挑戦する流れ。

 逆にデジタルネイティブの現代の若者は「使うこと」には何のコンプレックスやアレルギーもなくスムーズに使ってる。というよりも、使わされているに近い状態だが、使うことは問題ない。ソフトやアプリを自由に使いこなして仕事や趣味として活用している。でも、就職に有利な「パソコンができる人」とは少し違うような気がする。パソコンを何かの目的のために活用するということは、どのようなソフトウエアを使いこなせるかというテクニックや知識・知恵の部分。知識や経験や教科書通りのテクニックが、どのような仕事の現場で生かせるかは疑問だ。ということは、「仕事ができる人」が「パソコンができる人」に近いニュアンスとなりますし、いずれも「できる人」でなければならない。パソコンができなくとも仕事ができる人はいる。当然、パソコンも仕事もできない人がいる。この「できる」「できない」を見極める境界線が緩いので、とりあえず誰でも「パソコン」を使えるようになってひと安心のようだ。

 仕事ができる人こそ、「パソコンができる人」に一番近いのだろうと思った。

古き友よ。

 古き友よ柿をありがとう。人生いろいろそれぞれを生きてきたのですね。私はあれから変わったとも言えるし、変わっていないとも言えます。自分なりに変わらなければいけない部分をがむしゃらに変化させ、変えてはいけない部分を頑固に維持しています。しかし、変わらなければならいないなどと大袈裟に言葉にしたところで大した変化は起きていませんし、変えない部分と自分で思っている程度で時代と共に時間の経過で摩擦されているのか研磨されているのかは不明。ただ時間は経過したということだけが重く心に蓄積している感覚ですね。父上のお身体が少しでも良くなることを、遠く琵琶湖の湖畔から祈っております。初めてあの場所で出会いもう30年以上が過ぎてしまいました。あなたはあなたのまま、私は私のままです。ひさしぶりに声を聞けてとても興奮しました。頑張ってください。では、また。

 突然、こんなメルマガが届いた。「突然ですが、あなたの「やりたい仕事」はなんですか?カリスマ就職コンサルタントの坂本直文さんよると、やりたい仕事を見つけるためには、まず「夢を描くべき」だといいます。仕事ができる社会人の多くは、仕事やプライベートの夢を持っているそうです。下記コンテンツでは、夢を描くことが「やりたい仕事」を見つけることになぜつながるのかを解説していますので、転職を考えている人はもちろん、今は考えていない人も、ぜひ一読してみてくださいね。」 当然、そのメルマガにはいろいろな切り口のコンテンツが用意されているサイトのURLが列挙されているという仕組みだが、その部分にはあまり興味はない。そこよりも「やりたい仕事」というフレーズが「夢」とどのように連動しているのかという部分が気になる。カリスマ就職コンサルタントという仕事はこの本文の坂本さんの「やりたい仕事」だったのだろうが、転職を考えている人に対してどのようなアドバイスをしておられるのだろう?

 さて、「夢」について古美門先生ならなんと表現するだろう?「夢」が果たして「やりたい仕事」にどう繋がっているのだろう?夢を描いて大学に進む人、夢を描いて新しい免許や技術を取得したいと考えている人、夢を実現するためのヒントは人それぞれで他人がアドバイスできるようなことなのだろうか?受け身で夢が成立するとは思えないのだが、能動的になる機会がなかったはずはない。私が「夢」を定義するとすれば、「自分自身の記憶の中にある、まだ芽を出さずに埋もれている種」のようなものだと思います。それをDNAで解釈することもできるだろうし、誰かコンサルタントの言葉の中に探すのもいいだろうが、なんでもいいから種を探してきて土に植えて水をやれば芽が出るものではないと思います。

不可能。

 「不可能を可能にするためには何が必要か?」才能か?努力か?幸運か?全て必要だったと不可能を可能にした人達は口を揃えて言っている。「不可能だと自分で決めて行動をしないだけ。あらゆることが不可能だと決めた瞬間に本当に不可能になる。」とも言っている。「不可能」と「可能」の間にある谷は実際どれぐらい深いのだろうと最近よく考える。捉え方として「不可能」ではなく「無謀」と捉えれば「不可能」のニュアンスは少し和らぐような気がする。「可能」という言葉選びも「伸び代がない」「期待値がない」「無難な想定内」と捉えてしまうと、現実的過ぎて「可能性は私には必要ありません。」と保守モード全開、置きに行く感じ満載の微弱なニュアンスに陥る。

 あれ、これはもしかして「不可能なのかな?」レベルがちょうどいい。しかし、想定内から抜け出す思考術は長年の悪癖に引っ張られて至難である。至難であるが故に「不可能」に向かうのだが。さて、自分にとって「不可能」な事柄を整理するといろいろ出てきた。荒唐無稽な破天荒なモノもあれば、実現したいがアウェイエリアになりそうで警戒してしまうレベルのことなどなど。全て今現在は「不可能」なことかもしれないが、常に世の中は変化し状況も変化している。私とて世の中の変化に対して追い風の時もあればアゲンストの時もあったが、変化と相性はいいと思い込んでいる。変化が大好物とは言わないまでも、変化こそが全ての原理だと捉えているので、今こうしてそのことをブログに書き出していられるのだ。

 さて、この私に「6キロのブラックバスは釣れるのか?」レベルのことから、ライフプランのメインビジョンまで、不可能とは捉えずに、緩くしなやかにトラップをクリアしていこう。

書籍ってやっぱいいですね。

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 この書籍の存在感がある限り書籍は書籍で在り続けるだろう。

こぼれた。

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 夕陽が湖面にこぼれ落ちているような琵琶湖の美しさだった。そして、さざなみの音が心地いい。

琵琶湖オープン最終戦!

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 兵(つわもの)どもが夢のあと。このタテが欲しい。

成功事例。

 「成功体験」「成功事例」「成功ノウハウ」「成功実例」を紹介している書籍は若い頃(20歳~30歳)はよく読んだ。勿論、成功したいから読んでいた。成功という状況が何かを知りたかったということが80%で、成功した人はどんな性分なのかを知りたいが20%ぐらいの割合だっただろうか。若い頃は比較的、日本の景気が良かったので「成功像」を読者に描かせる書籍の企画が的を得ていたのだろう。実際、メディアでも成功した人達が贅沢な家に住み贅沢な振る舞いに対して注目されていた時代。一方、最近のテレビを壮観すると、「グルメ関連」か「自給自足関連」が中心で、どうやら「セレブ」という人達を紹介する企画の価値は降下したようだ。私個人の私見だが、高級なバックや時計や車が成功のシンボルというよりも価値感の狂いのように捉えられている、「捻じれ」のような象徴として画面に映っているのだろう。「グルメ映像」なら、企業広告として充分成立しているし、テレビがインターネット化している事例として最適の内容だし、いろいろな企画を分析していると、実際インターネットに転用できそうな企画が多い。ただ、タレントだけはテレビが抱えているからそこをなんとか民間で用意しなければならないが、そこさえなんとかできれば「グルメ番組」は簡単に制作できるだろう。一方、「自給自足番組」もテレビ電波に流れやすい企画構造である。つまり、「ブランド高級志向」「セレブライフ」の発信率が低下し、「グルメ」「自給自足」路線が上昇したのは景気の構造を反映しているからだとして、では、世の中の「成功者」はどこで葉巻を燻らせワイングラスを回しているのだろう?世間に投影して自らのIDを映し出せるスクリーンがなくったら、比較されなくなる。優劣や順位こそが「成功者」のモチベーションだったのだろうから、「ただの金持ち」では、「自給自足」と同じである。「自給自足」の方が心がいい感じに満ち足りているようなので、資産のあるなしは関係なく何事も「そこそこ」が「成功」となるような状況だ。

 「成功」が変化したようにテレビからインターネットへスクリーンの設置条件が変化した。しかし、昔と今と人の「ふるまい」は変化したのだろうか?「HOW TO 本」もいまだに百花繚乱だが、この変化に順応しているのだろうか?これからの時代には、どのような目的でどのような立場の人が、どのような「成功」を選択するのだろうか?国の引力が乱れた時、糸の切れた凧のように彷徨うことにならぬよう、自分だけの「赤い糸」だけは確保したいものだ。それは、数多の成功事例ではなく、自分の中にある「relationship」だ。あとは野となれ山となれからの、Let it be!(なんとかする能力)だろう。

方針。

 勝海舟がこんな言葉を残しているそうだ。「人はよく方針方針といふが、方針を定めてどうするのだ」と。つまり現代はそういう時代なのだ。温故知新、どんなにインターネットが浸透し、各種デジタルデバイスが進化しようが、変えてはいけないことがある。いや、変える変えないではなく、変わらないものがあるのだ。それを変えるためにどれだけ高い大義名分を装備してもこの山は動かない。つまり、方針とはそういう存在でなければならない。と、勝海舟は言いたかったのかもしれない。

名画が30,000円で。

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 いつもお世話になっているレンタル写真サービス会社のアマナイメージさんからメルマガが到着した。歴史に残る名画シリーズを、なんと30,000円以下で名画の印刷用やWEB用のカラーデータをお貸ししますよというサービスである。レンタル写真サービスに「名画シリーズ」があったという情報を初めてこのメルマガで知り、ちょっと複雑な心境です。レンタル費用が30,000円ということは、もう画家本人は生きていなからどこかの所蔵機関にこの中からレンタル費用の仕入れ費用が支払われる契約条件なのだろうが、30,000円という設定の内訳が知りたい。名画シリーズなので、「モナリザ」もある。原画なら天文学的な販売価格が、デジタルデータで複製すると30,000円になる仕組みとは?広告用に印刷物やWEBサイトコンテンツに流用したとして、どのようなニーズが適正なんだろう?

 「モナリザ」のデジタルデータを30,000円以下で仕様できるのは嬉しいが、偉大なる名画がそぐわないツールに曲解されて転用活用されているコンテンツをいつか目にするのだろうな、と考えると、寂しい気持ちになる。この絵画だって、この質感やテーマの解釈が芸術の歴史のいろいろな場面に遭遇し、いろいろな人の目や心に触れて現在に至っていることを考えると、30,000円の価値にどう向かい合えばいいのかと、正直、戸惑いますね。つまり、戸惑わない人向けのサービス価格だということだろう。

六つの法典

 日本国憲法・民法・商法 ・刑法・民事訴訟法・刑事訴訟法という法律を指して「六法」と呼ぶらしい。法律に私たちの生活は守られている。権利と義務について日常生活において深い知識がなくとも、弁護士や検察官や法の番人ら専門家がいてこの六法を根拠に正義を管理してくれている。経理の面で税金に関する法律が一番身近な法律だろうが、この税金に対しても充分な知識は世間一般の人達は意識が薄い。5%が8%になることをテレビや新聞で知り、テレビの司会や新聞の編集意図のまま、8%のデメリットとメリットを表面的な情報としてインプットするレベル。例え不徳な思いが心の中にあったとしても、それを1枚の紙で国政に参加しているという意識で沈下させている。させられているというニュアンスの方が正しいかもしれないが、それ以上、実際は関わることができないのが現実だ。

 でも、ほんとに関われないのいか?このことについて少し考えてみたい。そのためにも、六法全書を入手してみようと思っています。今から法律の専門家になることなどできないが、少しでも視野を広げるためにも「秩序と規律」について知り意識することはデザインやアートの仕事にもマイナスではないだろう。

 デザインの仕事において「いいデザイン」と「悪いデザイン」についてクリエイターが自らの知識やセンスや技術や気持ちで取り組んでいるが、この判断には法律における六法全書が存在していない。弁護士とクリエイターを単純に比較すると、向こう側は大学を卒業して試験に合格すれば年収は最低でも600万円からだそうだ。一方クリエイターはどうだろう?恐らく私の感覚では50%以下だ。このリアルな違いにはいくつか理由があるのだが、その理由について突き詰めて考えたことはなかった。つまり、同じ専門的な知識を持ち社会の循環に対して自らの素養で取り組んでいるのに、社会的な地位や具体的な年収となると明らかな格差が生じている。それはニーズ次第で社会的な価値が貨幣価値に置き換わっていると仮定するしかないだろう。

 確かにMACとアドビのソフトが使え、名刺に「グラフィックデザイナー」「WEBデザイナー」と印刷すればその瞬間から仕事ができるタイプと、義務教育から大学まで専門の勉強を積み重ね、厳しい試験をパスして得た知識と技術とでは、国の認定度合いに格差が生じるのは仕方ないが、適正な結論に導くというアプローチだけを捉えると「法律」も「アート・デザイン」も仕組みは同じ。インターネットが社会の規範や構造にメスを入れた以上、領土内の規範だけで解決できないグレイゾーンが一般生活にも悪い影響を及ぼす機会が増えているはず。恐らくテレビや新聞はおひざ元だからグレイゾーンには無力だろうし、教育の分野も50歩100歩だろう。やはり、ペンと絵筆の自由さを閉じ込めるCUBEは創れないということ。地層と地層の間に流れる地下の水脈のように、深海の海底の鉱物が山脈から流れ出したミネラルが地球上の生命に大きな影響を与えているように、ペンと絵筆で生まれたクリエイティブがデジタル信号に置き換わったとしても、それらは、人間の本能と知能とモラルに呼応しながら、同期し循環しているのだ。

クランクベイト見参!

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 なぜ?10年以上も封印していた心の玉手箱を開けたのか?この箱はもう開けないと決めたのに。自分のスタイルを崩してでも手に入れないといけない狙いが見えたから。自分のスタイルでやり切ることも大切で楽しいのだが、状況の変化が確実に見えているのに、小さいスタイルに固執している自分がとことんカッコ悪かった。言葉ではなんとでもなるんだ、その場所で、動いて、フィールドの変化が見えたなら、不細工なこだわりは捨てるべきなんだ。

 狙いはひとつあの白い台の上に立つことのみ。

「デザインは、呼吸する。」と。

 「デザインは、時代を呼吸する。「今」のではなく、「次」の時代を。それはアートであり、ライフであり、時代を先取りするストラテジーであり、未来の見取り図そのものであるかもしれない。時代の歩幅は大きいが、「次」の予感は、この年鑑の中にある。今年のADCは「読む年鑑」です!「ADC展」作品のほか、約8500点の応募があった2013年度審査会にて、ADC会員の厳しい眼によって選ばれたおよそ1000点の秀作が掲載されます。各界の筆者による社会・デザインの潮流に対する評論とADC会員による受賞作品や広告デザイン、表現についての発言をまとめた、別綴じの冊子が付きます!」という書籍のご案内メルマガが到着した。「呼吸する。」とはなかなか練り込んだフレーズだ。日本を代表するデザインが集結した書籍であり、デザインの指標ともなる一冊だからこそ、このフレーズが成立する。

 デザインはアートでありライフでありストラテジー(戦略)であり未来予想図であると。確かに間違いない分析だが、私はその先にまだ大きな結論があると考えている。日本のデザイン業界の最高峰でもあるデザイン年鑑をどう捉えてどう思うか?なのだが、「呼吸」だけではデザインの価値を文章化できていないと捉えている。言葉遊びとしてではなく、真理に対してどこに立つかの問題。「何故、呼吸しているのか?」を見極めないと最高峰の図鑑もただの美しいゴミになるのだから。

アジカモ君登場。

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 どこのイベントの必須アイテム「ゆるキャラ」君。確かに場の空気を和ませられる強いツールです。

落ち葉

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 秋ですね・・・(柏原の神社にて)。

Are you hungry?

 昨晩、テレビでサッカーの長友選手が言っていた。「日本の選手は勝つことに対する闘志が少ない」と。技術レベルでも戦略プランについても世界レベルだが、勝つことに対する気合いが少ないというニュアンスだった。闘志以外の全て準備ができているが世界で勝つためにはもっと闘志が必要なのだ。全員で勝ちにいく姿勢というフレーズも言っていた。世界トップレベルのチームで活躍する長友選手ならではの貴重で鋭いコメントだ。

 私はサッカーの経験がなくテレビで試合を観戦していても、選手の能力や技術や戦略が世界の他のチームと比較した時、その優劣が全く分からない。結果だけを見て「勝った」「負けた」を楽しんでいる程度。それでも解説者のコメントや過去のメジャーな選手の話を聞いていると、けっこうな割合で日本チームの「闘志が足りない」という類のコメントが多い。日本のトップレベルの選手たちが日本を代表して戦っているのだから、まさか闘志がないわけではないだろうが、それでも「闘志」の重要性の話をされていることが多い。「もっとがむしゃらに!」とか「しゃにむに前へ!」という気合いの入った、コメントを聞くにつけ、やはり、日本のチームは世界と比べるとおとなしいのかなと。

 では、ハングリー精神に火をつけるのはどんな理由や状況なのだろうか?

 自分の仕事に置き換えて客観的に考えてみると、確かにいろいろな面でハングリー精神には程遠い。リアルにハングリーになれば火がつくのかという状況にも、できればなりたくないし、そこそこ余裕があるタイミングで貪欲にレベルアップするために、日々試行錯誤し貪欲に対峙しているつもりでも、安定感のある状況を選択した状態で、「出来る限り限界まで」ではなく、「想定内で頑張ろう」になっているのだ。仕事はサッカーの試合とは違い、決して勝ち負けだけが優劣を決めるモノサシではないが、闘志を意識しながら仕事でも思考し行動し挑戦していたい。

 瞬間風速を上げることだけが商売ではないし、継続こそが力なりと自分に言い聞かせながら、その対極にいつも落ち着きなく闘志を煮えたぎらせている、もうひとりの自分もいてほしい。

エリジウム。

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 もう、予約開始なのか・・・。映画「エリジウム」。結局、映画館には行かなかった。映画の公開とDVD発売のサイクルが短くなったからかもしれない。二人が出ているSF映画なのだからこの作品のDVDは買わないわけにはいかない。さぁ、アマゾンへ予約!

飛ばしの極意。

 日々いろいろな方からのメルマガが無作為に届く。SNSをやっているとこれまた突然のコメントやダイレクトメッセージを送っていただける。興味や魅力を感じる内容は2割ぐらいであとは残念な情報が多い。中には厳しい警告や中傷もあるしモラルや倫理を無視した内容も多い。しかし、発信側が直接手打ちで送っている場合であれ、オートマチックに発信するツールであれ、発信するという行為・努力に対しては敬意を払っている。ポイントがずれているメッセージや混沌とし過ぎてあきれてしまう内容もあったりするが、それはそれで面白い。その中で興味がある内容に限定すると、ゴルフ、バスフィッシング、登山、クライミング、チェス、アウトドアグッズ、映画、書籍などの趣味が分野が受信して嬉しい情報だ。勿論、発信側は何かを買ってもらいたいという意図があり、ビジネスの一環で発信しているのだが、情報にビジネスプランを盛り込む手法については、それぞれのメルマガにいろいろな試行錯誤の跡があり、工夫やアイディアの巧みさにいつも感動する。

 今日もタイトルが「飛ばしの極意」ということで、ゴルフのドライバーの飛距離の伸ばし方について簡単な世間一般の実情から、あなたのスイングの間違っているポイントや練習方法の不完全さを列挙しているメルマガが届いた。読むと確かになるほどなるほどと納得できることが多かった。世の中のスコア100前後のアベレージゴルファーにしてみれば、ドライバーというクラブはとても大切なギアなのだ。私自身は今のドライバーが安定し始めてから約3年、買い替えることは考えていないが、ゴルフを始めた27歳の頃から振り返ってみるとドライバーという商品は、とてつもない進化を遂げている。クラブメーカーのクラブ開発者にアベレージゴルファーは踊らされていることは否めないとして、それだけニーズが多様だということを受けて開発者もアイディアと技術力でそのニーズに応えようとした結果が、多種多様なドライバー商品だと捉えると、アベレージゴルファーのドライバーに対する熱意を推察できる。

 私自身も正確に覚えてはいないが新品から中古までゴルフを始めて20数年間でドライバーは20本以上買っている。今使用しているドライバー以外のドライバーは中古ショップに売ったり知人に譲ったりで手元には置いていない。ゴルフを知らない、例えばウチのかみさんにしてみれば、何故そんなに買い替える必要があるのか?となる。決して安価な商品ではないのだから慎重に大切に・・・と警告されるが、特にドライバーとパターは使う人のこだわりや技術との相性があり、高価だから、設計が最新だから、仕様が理にかなっているかとかという一般的な理由以外に重要なポイントがいくつかあるのだ。

 ドライバーというクラブはゴルフコースに行くと18ホールの内、14ホールで使うことが多い。ロングホールとミドルホールでも、コース設計に合わせてドライバーを使用しない場合もあるが、ショートコース以外は一般的にはドライバーを使う。それにしても本コースで1日100打を打つ競技でたった14回しか使わないのに、何故20本以上買い替えたのか?となるが、その理由はいいスコアを出すためだ。ミドルホールならセカンドショットでグリーンを狙える場所に、ロングホールならサードショットでグリーンを狙うために最適なポイントに運べるようにと、ドライバーでの第一打は非常に重要なのだ。そこで、ドライバー(自分自身にが正しいのだが・・・)に期待することは2点。飛距離と方向性である。それぞれのこだわりを語り出したら無限に続くので、「飛ばしの極意」について言えば、私は見切っている。つまり、私のドライバーは飛ばすための道具ではなく、方向性を一番に重視してクラブと自身の筋力を踏まえて標準の距離が出れば納得しているのだ。しかし、そんな私でもある日突然「飛ばしの極意」というメルマガを読んでしまうと、煩悩が疼き、迷いが生まれる。「スイングを変えるだけであなたもプラス30ヤード」などと書いてあると、前体重になってしまう。つまり、「方向性以外は気にしていない、わけではない。」のである。

 たかが、ドライバーのメルマガの情報でこの有様なので、デザインの仕事やアートに関連する情報には貪欲さが止まるはずがない。

 ドライバーの「飛ばし」というテーマと、デザインの仕事を強引に素直に連動させて考えてみると、ドライバーで「飛ばし」を諦め「方向性」を重視してきたように、仕事でも同じ思考・スタイルになっていないのか?という自問自答から、一抹の危機感を覚えたというお話でした。やはり、飛距離も欲しいのだ。

絵の具のような語彙。

 あるアンケートで出版されている雑誌を日本とアメリカとイギリスで調査した時、語彙の数が日本の雑誌は英語圏の雑誌の6倍だった。なるほど語彙だけでも6倍。さらに、いろいろな造語や外来語が混合しながら文法も複雑な日本語。小学生の頃、12色の絵の具を箱を開けた時の感覚を想い出した。どの色を使ったら自分の想いどおりの絵が描けるか、心が高まるというよりも、12色の絵具をどのように使ったらいいのかと迷った。実際、絵の具の種類が多いことは、嬉しいことでなければならないのに、使い慣れていない段階では、まず迷いが生じるのだ。語彙も文法も同じ。多様な語彙は日本語を使って何かを記してきた先人達の知恵の結晶。迷っているのは正しく使っていないから。語彙や文法を絵の具のように使いこなしたいものだ。絵の具の種類が多いことが、美しい絵が描けるとことと直接関係はないかもしれないが、素材を選び、完成品を想像し、設計し、創作することにおいて、絵も文章も同じだ。

バズワード。

 一見説得力があり魅力的なニュアンスを含みつつも具体性にかけ実は説得力がないフレーズのことをバズワードという。ご多分にもれず「まちづくり」もその対象だ。同様に「活性化」という言葉が独り歩きし過ぎて方向が定まらず惰性で動き続けることを、「活性化」と曲解するほど本質と呼称のずれがある。しかし、まちづくりに取り組めば取り組むほど、打つ手のなさ加減を鮮明に明確にしていることに気がつかなくなってしまう、黙視的な思考パターンは何故だ?気がつかないというよりも黙認できるほどに、まだその枯渇加減に実際は余裕があるのだろう。致命的にはまだ少し距離のあるイエローゾーンならまだ自転車で登れる程度の坂道の角度なのだ。反比例してその手のエリアには狭い視野と古き良き歴史の継承者達が時間の流れを無視して淀んで生息できるエリア条件だから、これまた致命的な結果へ滑落する可能性も少ない。比較する対象が圧倒的な過去の事例だったとしてもだ。しかし、世の中の坂の角度は段々加速度的に傾斜を帯びてきている。歩いてさえ登れないほどの傾斜になった時、その足だけでは登れななくなった時、何も鍛えずしてクライミングのツールも準備できていなければ、ただ、大きな壁の前でレッドゾーンへの変化を待つだけなのか?小さなポイントや数ミリのクラックにハーケンを打ち、その壁に自らの四肢でしがみつき登り始めるスキルを準備しなくていいのか。みんなでいっしょに!だけが合い言葉では、結果、みんなでその壁の前に沈黙することしかできなくなる。壁が自分の四面を囲まぬうちに自分の踏破ルートをクリアしておきたいものだ。できないまでも壁を登れる筋力と観察力とツールだけは準備しておこうと思っています。最後の一言がバズワードに飲み込まれないうちに。

考えることと書くことは分ける。

 デザインの仕事ではアイディアやイメージを考えて創るという作業を、一連の流れで取り組んでいるが、文章を書くという作業は考える作業と書くという作業を分けなければいけない。時間に余裕がないからとか、考えながら書くという作業に慣れているからなど、という理由で文章を書くことはよくないのだ。それなりに文章になっているから問題ないだろうとか、書いてから推敲すればいいだろうという緩い気持ちでは本当の強い文章力は身につかないのだ。文章力の本質は、観察する、情報収集力する、構想する、書き出す、そして、訴求する魅力を装備するという5つの段階で構成されている。デザインの仕事で取り組んでいる作業工程でもある、この工程の3つ目までは苦ではないのだが、どうも「文章を書く」という工程を誤認していた。文章を書くことは楽しいので、慣れ親しんでいるようで実は支離滅裂で大切なルールや法則を無視して文章を書いていたのだ。考える時間と書く作業を分けることで文章が研磨され軸が太くなることを改めて知り、自分自身がいかに文章を「流して」いたかを自覚している。もしや、デザインの仕事も「慣れているから」という理由で「流して」いたとしたら、とんでもない間違った感覚だ。長年、デザインの仕事に取り組んできたのだからという奢りがあったのではないのかと、改めて反省し日々のルーティーンを再確認している。世の中の変化や自分自身の考え方や感じ方の変化を柔軟に引き込み、自分のデザインの仕事に適用しなければいけない作業だけに、「慣れているから」という気持ちの構造の中にある小さな穴が大きくなり、大切なアイディアやデザインの品質がその穴から漏れださないように意識を改めよう。

 直感的・感覚的であると同時に、緻密であり柔軟であることの大切さを早く頭と心の中に完全に定着させ馴染ませたい。その後、身体の中に取り込まれたデザイン的な思考と緻密な文章力が何を創出してくれるかが、とても楽しみだ。もう、「デザイン」のいい悪いは興味がない。興味があるのは「強いデザイン」だ。

ワイルド&ビューティー

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 どちらかの球根を外側に植え、どちらかを中心にまとめて植えた。すると、外側から芽が出てきた。さて、花が咲くまでどちらの花だったかは分からない楽しみ。

 この季節なら、チューリップかヒヤシンスなのだが、この球根が入っているラベルの「ワイルド&ビューティー」という文字に魅かれた。どの花も私の記憶にはない花。植えっぱなしで何回も咲くらしい。チューリップや冬を彩る大輪のメジャーな種類ではないだろうが、その素朴さと逞しさに手が出た。

 球根も直径1cmほどの小さい球根がそれぞれのパッケージに確か5~6個入っていた。全てここに植えたので冬の温かい日に素朴で小さな花をつけるだろう。

パテマか・・・。

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 日本のアニメはいつまでも不滅ですね。まだ詳しい物語の内容は知りませんが、予感として間違いなさげですし、かなり期待度が高い作品です。映画を観る前なのに勇み足で原作本を買ってしまった。

一番大切な能力。

 貪欲に情報を収集しようとする姿勢はこの仕事を始めた26年前から変わらない。また、芸大の頃ならば、福井から大阪に出ていろいろな刺激に触れることで、貪欲に求めるという意識や行動が加速した。現在もそのまま加速しているという意識と状況の中、手当たり次第に収集できる「気になるモノ」に触手を伸ばし続けている。世の中に情報が溢れていると言われてるが、具体的にあふれている情報と自分自身との距離感を推し量りながら思考し行動している。貪欲であるということや、情報で頭を満たしていることのみがポジティブさを実感できると思ってきた。デザインの仕事における新しい技術や知識や思考などのスタイルを自分自身に取り込むことと、日々取り組ませてもらっている仕事への適用にのみ注視してきたのだ。あと6ヶ月あまりで50歳になる。この状況で一番大切な能力を確認することができた。それは、デザイン表現やコンセプトワークにおける思考術ではなく、もっと基本の能力だ。その能力が何を成すために必要な能力かと言えば、この年齢だから「すべて」だと言える。根拠もあるし確証もある。そのことが嬉しくもあり苦しくもあり。

「1万円起業」という書籍

 書籍「1万円起業」のレビューページより抜粋。

「『私、起業を始めたんです』――
普通のサラリーマンが、二枚目の名刺を差し出してそう挨拶する。
本書が示すのは、そんな未来だ。
ワクワクしない訳がない! 」
安藤美冬さん(マイクロ起業家、コラムニスト)

「『起業か、残るか』そんなことは、
稼いでから決めればいい。 ちょっとしたアイデアを、
食えるビジネスに育てる方法が満載」
藤井孝一さん(『週末起業』著者)

「アイデアをビジネスに変えるのは、
あなたが考えているより簡単だ。
どのアイデアに時間を割く価値があるかを
選ぶのはあなたの役目だが、あとはこの本が助けてくれる。
毎朝、次のステップに向かう意志を与えてくれるだろう」
トニー・シェイ(ザッポスCEO、『顧客が熱狂するネット靴店 ザッポス伝説』著者)

「まさに一石二鳥の本。
夢に向かってスタートを切るための起爆剤であり、
スタートを切ってからは頼れるロードマップとなる。
この本を読んでもビジネスが始められなかったら、
もう一度読み直す必要がある」
ダニエル・ピンク(『ハイ・コンセプト』『モチベーション3.0』著者)

 なるほどなるほど、つまりイマドキの書籍だということか。当然反響はある。あるだろうなぁ、このコンセプトの書籍で実際に実例が豊富なら「夢」が「現実」になるかもしれないという期待値が上がる。実際、私もこの書籍を新聞の広告で知ってから、かなり気になっている。たかが書籍一冊でこの期待値は原作が素晴らしいのだろうし、それを翻訳しようとチョイスした人の感覚も素敵だ。起業は人生の一大事ではない!と言ってしまう文化というか慣習というか人生感覚がまず素敵だし、大量生産時代を大企業が独占していた時代からいい感じでのほころびの波が到来しているということ。

 現実問題、ビジネスモデル化するためには、いくつかのチェックシートをクリアしなければならないだろうし、成功事例としても枯れ木に咲いた桜ではないだろうから、どこまでのディテールの内容なのかはとても興味がありますね。1万円で起業してどこまで数字を伸ばせるのか?失敗してもmax1万円ならでいいのか?ガチのノウハウなのか?興味が尽きない一冊ですね。

サカサマか・・・。

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 こんな作品があったのかと・・・。かなりかなり気になりますね。

「黒鱒女子」再起動!

 原点に帰る。サウジアラビアのことわざで「砂漠で迷った時は自分の足跡をたどる。」ということらしい。何事にも迷いはあるのがリアル。だから楽しく苦しいのですが、経験値はそこそこあるつもりでも、やはり、迷う時は迷う。迷わない状態の方が言わば危険な状態。しかし、かなり迷っていたが、やはり、原点に帰ろう。何故フリーズしてしまったのかは明確に分かっている。その原因が今現在解決出来ているかと言えばそうではないが、もう一度、あの場所に帰り新しい道を探そうと思っています。やはり「漫画」は私の特別な存在。あの頃から少しは視野も広くなっているし、捉え方も深度があるという自信が、再起動を決意させたのだ。ボトムから波動を生み出すために足跡を辿り戻っています。

「うつ」は確かに・・・。

 「とにかくうつがひどくて毎日が辛い。」「夜は眠れないし、朝起きるのも辛くてたまらない。」「毎日不安に押しつぶされそうになる。」「いつ治るのか、いつ働けるようになるのか不安でたまらない。」「もうこのまま治らないのでは・・と不安になる。」「実は、うつから抜け出すことは、あなたが思っているよりもずっと簡単なことです。」というメルマガが到着した。いつもの感覚ならそのまま削除するのだが、改めて「うつ」について考えてみた。よくよくその突然のメルマガを最後まで読んでみると、自分自身がいくつか同じ気持ちになったこともなくはない。そういうことは他人のお話だと自然に見切れている時はなんとも感じないのだが、これも何かのタイミングで、ふとひかっかったようだ。不安で夜眠れないということが自分の人生で1日もなかったとは言い切れないし、不安で押しつぶされるような気持ちなったことが1回もないとは言えない。そんなひっかかりと「あなたが思っているよりもずっと簡単なことです。」と言われてしまうと、というか、このライターはあなたがどこまで考えているのかを知っているような大前提がある上、その大前提で「うつ」をどう抜け出させてくれるのかという期待さえ抱いてしまった。「うつ」で体調を崩したりモチベーションを失ったりする話も聞くし、現実問題、「うつ」で仕事を失う人もおられるはず。相対的に比較すれば私の不安など軽傷なのかとも捉えるが、絶対的には何と相関させるか?だから、健康・健全に過ごしていても、恐らく「うつ」とは表裏一体のような気もしなくはない。

 逆に私が怖いのは「躁状態」だ。これは意外と厄介である。心の特性上、躁鬱は自然の摂理だろうが、心は柔軟だから心なのだと捉えても、辛い時は辛いし、嬉しい時は嬉しい。というのは、この感情の感性のコントロールがデザインの仕事にはとても深く関連しているからだ。デザインの仕事に限らず、他の仕事でも同じなのだろうが、心の在り方、心の状態がデザインの着想や企画のイマジネーションに結構深く関連していると最近気がついた。今更!?みたいな感覚なのだが、改めて整理していると、ほんとに気づくことが多いし、今までそれに何故気がつかなったのかとさえ思えるような驚きの連続なのだ。実際に「うつ」や「躁」と思わなければなんでもない些細なことが、意識すると深部が見えてくるみたいな。つまり、そういうスピード感覚で日々の仕事に取り組んでいたということなのだが、気がつくということは嬉しい反面辛い面も露呈するのだ。向き合うか向き合わないかは自分次第だが、結果、性分として、「明日は明日の風が吹く」と捉えてしまうタイプなので、なんとか自分の心と上手くつきあえてこれたのかなと感じている。逆にこの性分を崩すのに苦労している結果が実は「うつ」なのかなとも考えている。

団塊経営者の大量引退が始まった!

 なるほど、世の中はそういうことになっているのか。団塊経営者の引退ラッシュということは、次の世代が継承モードになっているというこだから、時代が大きく変わる可能性が大きくなったということだろう。いわゆる次世代という立場の人間がどれだけのポテンシャルかということで、一代で会社を牽引してきたトップが新しい頭に変わり今後の未来像をどう描くかということを、いろいろな属性の人間が強く意識化し始めているという見地で間違いなさそうです。

 「劣化国家」という書籍が注目されるのも、「限界集落株式会社」という書籍がヒットするのも、どうやら中心だと思い込んでいた先入観はほぐれてほつれていると見て間違いなさそうですね。パブリックの人間が公的な予算を懐に入れている事件が多発しているが、結局、この国のシステムは外側からは強固に見えて内側では緩かったという証明だ。辞任しても罪を逃れられない民間企業の経営者は外側は柔軟に変容を受け入れつつ、内側では鋼の精神で頑張っている。システムが人間を変えたのか、本質的にそういうポテンシャルがシステムに集合したのか、GOD KNOWSだが、それも中和させることができそうな時代ということ。

サボテン。

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 珍しくサボテンが気になったの購入。自分の頭を見ているようで親しみを感じた。サボテンにしてみれば迷惑な話だが・・・。

セット完了!

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 今日は朝から新しいPCのセットアップ作業です。ソフトはまだ何も入っていないしドキュメントもなし。とりあえずネットへの接続設定とLANとの連動が完了。しかし、早い。「時は金なり」か・・・。

 ここからが大変な作業が始まります。ソフトウエアだけで30近くありますし、ログイン情報などなど、気が結構飛びそうになるぐらいの作業です。それぞれのソフトウエアについても使える状態にするには細かいチューニングをしているので、仕事をしながら少しづつ設定していこうと思っています。

 これは映像編集を中心に使っていくために購入したので、諸設定やチューニングもそれ仕様にする予定です。映像のレンダリングスピードが今から楽しみです。

NEW PC到着!

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 「第4世代インテル® Core™ i7-4770 プロセッサー (8Mキャッシュ, 最大3.9 GHzまで可能)とメモリ16GB」がいかなものか楽しみ楽しみ。