バズワード。

 一見説得力があり魅力的なニュアンスを含みつつも具体性にかけ実は説得力がないフレーズのことをバズワードという。ご多分にもれず「まちづくり」もその対象だ。同様に「活性化」という言葉が独り歩きし過ぎて方向が定まらず惰性で動き続けることを、「活性化」と曲解するほど本質と呼称のずれがある。しかし、まちづくりに取り組めば取り組むほど、打つ手のなさ加減を鮮明に明確にしていることに気がつかなくなってしまう、黙視的な思考パターンは何故だ?気がつかないというよりも黙認できるほどに、まだその枯渇加減に実際は余裕があるのだろう。致命的にはまだ少し距離のあるイエローゾーンならまだ自転車で登れる程度の坂道の角度なのだ。反比例してその手のエリアには狭い視野と古き良き歴史の継承者達が時間の流れを無視して淀んで生息できるエリア条件だから、これまた致命的な結果へ滑落する可能性も少ない。比較する対象が圧倒的な過去の事例だったとしてもだ。しかし、世の中の坂の角度は段々加速度的に傾斜を帯びてきている。歩いてさえ登れないほどの傾斜になった時、その足だけでは登れななくなった時、何も鍛えずしてクライミングのツールも準備できていなければ、ただ、大きな壁の前でレッドゾーンへの変化を待つだけなのか?小さなポイントや数ミリのクラックにハーケンを打ち、その壁に自らの四肢でしがみつき登り始めるスキルを準備しなくていいのか。みんなでいっしょに!だけが合い言葉では、結果、みんなでその壁の前に沈黙することしかできなくなる。壁が自分の四面を囲まぬうちに自分の踏破ルートをクリアしておきたいものだ。できないまでも壁を登れる筋力と観察力とツールだけは準備しておこうと思っています。最後の一言がバズワードに飲み込まれないうちに。