六つの法典

 日本国憲法・民法・商法 ・刑法・民事訴訟法・刑事訴訟法という法律を指して「六法」と呼ぶらしい。法律に私たちの生活は守られている。権利と義務について日常生活において深い知識がなくとも、弁護士や検察官や法の番人ら専門家がいてこの六法を根拠に正義を管理してくれている。経理の面で税金に関する法律が一番身近な法律だろうが、この税金に対しても充分な知識は世間一般の人達は意識が薄い。5%が8%になることをテレビや新聞で知り、テレビの司会や新聞の編集意図のまま、8%のデメリットとメリットを表面的な情報としてインプットするレベル。例え不徳な思いが心の中にあったとしても、それを1枚の紙で国政に参加しているという意識で沈下させている。させられているというニュアンスの方が正しいかもしれないが、それ以上、実際は関わることができないのが現実だ。

 でも、ほんとに関われないのいか?このことについて少し考えてみたい。そのためにも、六法全書を入手してみようと思っています。今から法律の専門家になることなどできないが、少しでも視野を広げるためにも「秩序と規律」について知り意識することはデザインやアートの仕事にもマイナスではないだろう。

 デザインの仕事において「いいデザイン」と「悪いデザイン」についてクリエイターが自らの知識やセンスや技術や気持ちで取り組んでいるが、この判断には法律における六法全書が存在していない。弁護士とクリエイターを単純に比較すると、向こう側は大学を卒業して試験に合格すれば年収は最低でも600万円からだそうだ。一方クリエイターはどうだろう?恐らく私の感覚では50%以下だ。このリアルな違いにはいくつか理由があるのだが、その理由について突き詰めて考えたことはなかった。つまり、同じ専門的な知識を持ち社会の循環に対して自らの素養で取り組んでいるのに、社会的な地位や具体的な年収となると明らかな格差が生じている。それはニーズ次第で社会的な価値が貨幣価値に置き換わっていると仮定するしかないだろう。

 確かにMACとアドビのソフトが使え、名刺に「グラフィックデザイナー」「WEBデザイナー」と印刷すればその瞬間から仕事ができるタイプと、義務教育から大学まで専門の勉強を積み重ね、厳しい試験をパスして得た知識と技術とでは、国の認定度合いに格差が生じるのは仕方ないが、適正な結論に導くというアプローチだけを捉えると「法律」も「アート・デザイン」も仕組みは同じ。インターネットが社会の規範や構造にメスを入れた以上、領土内の規範だけで解決できないグレイゾーンが一般生活にも悪い影響を及ぼす機会が増えているはず。恐らくテレビや新聞はおひざ元だからグレイゾーンには無力だろうし、教育の分野も50歩100歩だろう。やはり、ペンと絵筆の自由さを閉じ込めるCUBEは創れないということ。地層と地層の間に流れる地下の水脈のように、深海の海底の鉱物が山脈から流れ出したミネラルが地球上の生命に大きな影響を与えているように、ペンと絵筆で生まれたクリエイティブがデジタル信号に置き換わったとしても、それらは、人間の本能と知能とモラルに呼応しながら、同期し循環しているのだ。