絵を描ける人。

 今日は改めて再確認できたことがある。私はずっと絵が好きだったし、大学でも独自の表現は追求せず、あるがままのモチーフをリアルに描く技術を求めた。デザインの仕事についても、自分のスタイルよりも、クライアントが欲しいデザインを創れる人でありたいと願い、そのための技術や表現を追求してきたのだ。「自分の絵」とは?「自分だけのオリジナルデザイン」とは?という疑問に対して過剰に反応してしまうのだが、そのレベルで自分自身は絶対に満足できないのだ。技術的なうまさや思考術的な特異性がどれだけ成果物に反映され成立していても、「自分の絵」など成立することはなく、それはただの思い込みであり無知ゆえの満足、増して「自分独自のデザインスタイル」などに価値はないと考えているからだ。だから、芸術大学では自分自身の描写力だけを追求していた。自分の絵に対する評価や自己分析は社会に出なければ正確な判断はできないだろうと(学生の頃にはまだそこまで明確ではなかったが・・・)ぼんやりと考えていた。結果、私は世界中の誰よりもなどと決して言わないが、どこでも通用する絵の技術がある。自分の中にある発想や誰から頂いたテーマについて、自分の思考と技術で絵を描き、そして、評価や分析に対する意見を絵に取り込み適用にチューニングできる技術がある。これは「絵を描くことで食っていく」という決意があったから会得できたのだ。だが、現実は「絵だけで飯を食う」ことはできないと感じ、デザインの仕事をしているのだ。つまり、いろいろあって私は絵を描けるデザイナーなんだと。絵を描けることとデザインができるということは意外にも同位ではないのだと。