何人も。

 「六法書」の文頭によく「何人(なんびと)も」という表現がある。日本国籍を持っている、法律(憲法)の対象となる人全てを指して「何人も」と規定しているのだ。例えば日本国籍のお話。日本国民である条件についていろいろ六法書には書いてある。非常に丁寧で誤解をまねかないような表現がされているのだが、それぞれの規定が細かいために、前後の設定値を踏んでいる上でのお話や、他の法律を踏まえてという記述が多い。確かにこれで商売をしようとする人、かなり記憶力が達者なでなければ、法律を扱えないだろう。全てこの全書からの組み合わせでひとつの真実に向かっていく経緯たるや、凄まじく精密で綿密な論理と規定の網の目が幾重にも折り重なり、違反・逸脱・虚言に対して鉄槌を落とすのだろう。法律家の人達の頭の中はどんな構造なのだろうと改めて想像しまう。自分の中のモラルと真理を徹頭徹尾ゆるがせることなく、外因的なあらゆる状況を法律で裁くのだから法律は素晴らしい。言わば、人の英知の賜物なのだ。気分や感情や一時の誘惑にも負けない鉄の心が法律家にはあるのだろう。そんな法律にしっかりと守られている日本人は実はとても幸福な国民なんだと改めて感じた。

 一方、アートやデザインの世界はどうか?ルールもあるし原理もあるが、法律のように共有できそうでできないブラックボックスがある。何が出てくるのかと、期待したり警戒したり、アートやデザインのCUBEには何を装備・用意・準備しておくべきか?と考える。いや、何かを用意したところで状況は変化し環境は進化し続けているのだから、その中に方程式らしいものを持っていたとしても、それが通用する期間は短いし、正確には次に通用する方程式などない。それぐらいめまぐるしい変化がアートやデザインの仕事には求められているから、逆にその方程式を規定している法律があれば、どんなに楽だろうとさえ考えながら六法を読み、楽しんでいる。

 何人も、自分自身の正義のため、利益のため、未来のために生きているのだが、法律では導けないルートもあり、その状況ごとに羅針盤の針の方向を変えながら、答の出し方の多くをアートやデザインは担っている。政治や経済が法律の上に成立しているのなら、人間の思考や技術はアートやデザインの上に成立している。びっしりと記された法律の文字間や行間や文字の裏側にある原理をアートやデザインは受け持っているのだ。ただ、「六法全書」のような法典が存在しないため、それは座標を規定できないのだ。座標も属性も数値化できなからこそアートやデザインなのだが。

 もう少し、六法を読み進めてみよう。