50歳

 明日50歳になる。何をどう考えても50年間生きてきたことになる。紆余曲折、試行錯誤、七転八起、この実感を自分自身でどう捉えたものか?この感情を言葉にして実感するにはしばらく心を整理しなければならない感覚だ。でも、50歳ともなれば、ひと通り振り返ることもしなければならないのだろうし、いやいや、まだまだと自分自身を鼓舞することもしなければならない。上の娘が大学に通いはじめ、下の娘はすでに私と同じぐらいの身長だ。恐らく(間違いなく)100mを走れば負けるだろうという現実がまず一番のリアリティーだ。20代の頃、お世話になったデザインの世界の諸先輩方が50代だったが、ちょうどあの感覚が自分の身に起きているのだ。名が残るような偉業を達成したわけでもなく、ただただ一歩づつ歩を進めてきて、気がつけば50歳という実感もある。このままこのまま明日も明後日も同じように一歩つづしかできないのだから、50歳で無理な飛躍を目論むこともしないつもりだが、どうせ何かを目論むならば50歳なりのプランがあるのだろうとも貪欲に考えている49歳の自分もいる。限りなく現実的に限りなく夢見心地にしばらく50歳を体感してみたいと思っています。メンタルもスキルも恐らくピークは過ぎているだろうが、人間性の部分でポテンシャルはまだまだ進行形で進化し覚醒したいものだ。間違いなく視力や体力や思考力は老化し劣化しているが、「人間力」は最後の最後のその瞬間まで覚醒し続けるという言葉を何かの書籍で読んだ。この言葉を信じて明日からも「らしく」あろうと思っている。