技術の継承

 その分野で屈指の知識と技術を持っている方の言葉のバリエーションとポテンシャル感は身体の芯が震える。非常に専門的で特殊なお話だったためにブログレベルで詳細をアウトプットする事ができないのが残念だが、屈指の知識と技術とはサーバに複製しない方が価値がある。というか文字や写真で紹介したところで、それをモニターで目視しているだけでは1%も伝わらないからだ。何故サーバを介して書き出すhtml言語にはディテールを込めることが難しいのか。何故、車を5時間も走らせて直接お会いしなければならないのか。その理由はその場所でそれを実感した人しか分からないのだ。決して出し惜しみしているわけでもないし、広く伝えるべきタイミングはいずれ想定しているが、その時までこの情報は出さないし出せない。1次元の情報を2次元に変換し、さらに3次元に再構築さたなら、それをアウトプットする適正は方法はインターネットではないのだろう。屈指の知識と技術とはそういう価値がある。
 断片的なお話ができるとしたら、「技術の継承」についての話だろう。景気が後退し沈滞し失業者があふれている現代。企業は人件費と開発費と広告費を抑えて収支を整え、自己の持久力をキープしている。この現実の構造の中で生まれた歪みや摩擦は、確実に技術の継承率を低下させている。伝えるために有効なツール(インターネット)を手に入れたのにもかかわらずだ。その理由は1次元と3次元の問題が構造的な要因だとしたら、感傷的な要因は継承を受けるべき人達が聞く耳を閉ざしているからだろう。仕組み的に学ぶ施設や機関やコンテンツはビジネスを活性化するために増殖しているが、その場所へ継承すべき水が流れるルートが何かの原因で断たれているのだ。その理由を経済や景気に限定したり、政治や社会構造の歪みだと責任を転嫁するこは頭で考えれば簡単・容易かもしれないが、本質はもっと高く深く、そして、目の前直下にあるような気がする。見ているのに見えない、聞こえているのに聞こえない、伝えているのに伝わらない本質(性分)にあるのだろう。すべてがクラウドの中にあるわけではないのだ。在るのはただの情報に過ぎないことをもっと真摯に受け止める必要があり、そういう次のステップに来ているのだろう。見ない聞かない言わない3匹の猿の美徳が捻じれているのだ。平準を重んじる人間の心に潤滑油が切れて「遊び」と「良い加減」が劣化しているのだろう。
 私には屈指の知識と技術がある。充分ではないだろうし、誰にも負けないレベルの知識と技術ではない。しかし、そのキャパシティー(埋蔵量)と優劣の軸は無視していい。ただ、「在る」か「無い」かが重要なのだから。