2014年05月 アーカイブ

使えるか?

 「現場のビジネスに、データの「使える化」を!」とよく目に耳にするフレーズだが、まるで、ビジネスの現場にデータを使っていなかったような語感がある。タブレットを使用しているだけで、スマホを使用しているだけで、「活用」してるとは言えないし、デジタルデバイスを使用せずとも世の中の情報を使っている人は多くいる。その部分をそのように線を引くことに、このマジックのネタがあるのだ。「見える化」って、おやじギャクの寒いダジャレレベル!?と処理しかけ、ふと思うのは、いやいや、このダジャレ路線が意外と有効なのかもしれないという捉え方。扱うテーマはデジタルビックデータ、ツールはデジタルデバイス、だけど、アプローチや訴求する時はダジャレが有効だという方程式なのかもしれない。スマートな商材をスマートに使うためには、ベタベタが数字(営業結果)を持っているのだろう。しかし、ビックデータをデジタルソースだからスマートと決めつけてもいけない。逆にベタベタなソースをベタベタなツールで使うことがスマートだという方程式に置き換えることができるのかもしれない。例えば、たこ焼きは大阪の屋台で食べれば当然「ベタ」だが、パリのカフェでフランス人のカップルが食べれば「スマート」みたいな違い。そこで、「たこ焼き」というソースは、果たして、使えるのか?と。

 デザインの仕事は正にこの部分の置き換えの連続であり、時代を越えて普遍なソースと時代と共に変化・進化したソースをデスクトップ(机の上)に並べて、どっちが「使える化?」と腕を組んでいる状況が意外と多い。

UFO

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 なかなか痺れる(いろいろな捉え方で)CMだ。すみれさん、高橋ユウさんは素敵だ。

同調圧力

あらゆる場面で作用する共有の思考・感情がある。世の中の賛成派と反対派が導く結論がそれを増幅しているのだが、そもそもの根源は脳幹にあるホルモンらしい。社会構造における多数派と少数派にもこの作用が常に適用されて我々はこの同調圧力を重力のように無意識で感じ思考を繰り返している。例えば、この「我々」という意識。1人称と2人称ではこの意識は生まれない。3人称で問題をとらえようとする時、記憶や情報に同調圧力がかかる。それが例え偉人の言葉であれ、井戸端会議のお隣の奥さまの言葉であれ。さらにこの同調圧力の表面的な部分、つまり、言葉でコミュニケーション可能なツールでは特に強く作用している。ネットの炎上がその典型的な事例だ。0と1の2進法で記述されたアルゴリズムがそれを活用する人間の思考のバイアスを受け見事に3人称に変容するのだ。そこで生まれる同調圧力が優劣をランキングし言葉で判断できる倫理の限界ギリギリまで鍔迫り合いを繰り返す。このエネルギーを電力に変換することができたら原子力も地球の有機資源も枯渇しないだろう説もあり、決して空想のSFの中の仮説ではないそうだ。米国のベンチャー企業が、糖尿病患者の家族の症状をネットワークでモニターする装置を自作し医療現場で活用されるようになったのがスマホなのだから。同様にiPodのホイール機能もアップルが開発した機能ではない。当初は別の目的で採用された技術なのだ。
 同調圧力を有効に活用するアイディアはすでにハードのテクノロジーに転用される事例があるらしいが、感情のベクトルが生み出す「摩擦」や「誤差」や「歪み」に大量生産型のシステムには存在しない物理定数では測定できないレベルのエネルギー融合比率があるとしたら、もっと人は「中立的な視点」で多様性の潮流を見極めなければならないはずだ。すべては「白と黒」ではなく、「YES OR NO」でもない、グレイゾーンに無限の可能性が埋蔵されているのだ。「分かりやすさ」は同調圧力を抑制すると捉えがちだが、実は「分かりにくさ」を克服しなければ心が生み出す同調圧力を次の価値へ転用できない仕組みなのだ。

不思議な語感

「新規事業開発のためのマーケティング戦略立案セミナー」というタイトルについて。さらりと読み流せば別段ごく普通のセミナータイトルだが、じっくり向き合うと不思議な語感を受ける。

まず、「新規事業開発」とは具体的に何を指しているのだろう?飛躍し過ぎかもしれないが、「新規事業開発」ということは、既存の第1次~第3次のどの分野も包括しているのだうか?第6次産業的なノリの語彙も創造されて久しいがそれは概念的なニュアンスが強く本質は1~3に分類されるはずだ。マルチにグローバルにを合言葉に商材やコンテンツを融合させたとしても、この取り組みは根幹になるソースを多面的に捉えているだけだから、結局、ソース本体が変容しているわけではない。発信する経路が多様になっただけで本質・真価は変わらない。逆にノイズを含有する余地が増え、スピード感に悪い影響を及ぼすことを危惧したい。その「新規事業開発」のためのからの、マーケティング戦略立案となると、コスタリカの原生林の中で文明を避け密かに生息していた太古の恐竜を上野動物園に持って来たような感覚になる。仮に新規事業が「医療・薬剤」の分野だとすると、新規と銘打つならば、新医療なり新薬を期待する上、事業への展開となるとすでに天文学的な予算が費やされているはず。ミニマムに捉えたとしても、既存ではない事業を開発しているのが個人であれ企業であれ、設計図をなしに開発が完結したわけではないだろうし、関わった人も新細胞の開発みたいに偏っていなければ、設計図通りに然るべき発表の場があるはずだ。その上で、マーケティング戦略を立案するということにどのようなアドバイスや適正情報があり、何をどのように誘導してくれるか?というビックQだ。言葉遊びが目的なら大きな机を囲み結論の出ない時間を過ごせばいいが、その空間で生まれるモノは恐竜でもなく、なんとか細胞でもなく、適度な疲労感とわずかな高揚だけだろう。

海外のプレゼンテーションの番組で、「新しいビジネスの創造とは必ず個人の中から生まれ、最も近くにいた2人目に伝染し、3人目の共有が生まれ評価されれば、その創造に価値があれば適正な速度で細胞が分裂するように増殖する。」とプレゼンテイターが言っていた。つまり、最初から方程式を引き出して適用しようとしても、伝染も増殖もしないのだ。不思議な語感は有効なサインなのだ。

MOZU

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 毎週、木曜日の夜が楽しみだ。他のテレビドラマがマクドナルドのキッズセットのおもちゃのようだ。

WORKSPACE

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 雑然とした仕事場の中にある法則こそが次の着想へのトリガーだ。

キャラが命。

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 「漫画は主人公のキャラが生命線だ。」という名言があるが、感情移入させるための手法や生命感を描写するための表現手法として、描き手の中から生まれる鼓動のようなモノが絵の力となるのだ。描き手がどれだけのディテールをインプットしているか、消化されたそのソースがどのように変換されテクを起動させたのかを絵は語る。

不思議な写真。

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 創り手と受け手の間で起こる化学反応。この写真が何を伝えたいのか?感じさせたいのか?そして、想起の触手が何を掴むのか。

ナポレオン・ヒル

 巨万の富を手に入れた人々の言葉は一見、真実値が高いように思える。道理は簡単、自らのリアルな成功体験をそのまま記述すれば紛れがないのだから。とある基準と比較して成功したから「成功への軌跡」が成立しているのだ。ほぼ99%この視点は小さい「妬み」なのだが。では、成功体験とは無縁だった巨万の富をその人生の中で獲得できなかった多くの人達の言葉はどこに残っているのだろう。ヒルは「思考が現実化する」条件は万人にあると言っている。それは間違いではないだろう。しかし、言葉を残せる人には、類稀なる思考術があり、その思考を人生の中で実行したからだけではない、別の理由があるはずだ。この思考はすでに私自身のバイアスを帯びているから、世界有数の書籍に意義を申し立てるわけではなく、私自身の「読書感想文」として書いているに尽きる。確かにヒルの言葉はヒルの真実として世界中の多くの人に受け入れられ、多大なる影響を与えたという事実は事実。その中に、ベルがいてエジソンがいてとなれば、誰も有無を言う隙間はない。巨万の富をその手に入れた人間の頭の中からあふれ出る言葉を、私自身の器で受け取れない故の拒絶感なのだ。そんな、時にヒートアップしながら、時にクールダウンしながら、ヒルの言葉は自分の意識の中に存在しない、どこか未知の部分を痛烈に刺激する。「現実化する思考」ならどうにか自分の意識の中で処理できるのだが。

寂しい写真。

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 昨日は琵琶湖能登川の伊庭内湖で開催された、7パームスさんというショップ主催の大会に参戦しました。自己5回目の伊庭内湖、陸っぱりが1回なのでボートでの釣りは4回目でした。釣果としては3回は釣れて2回は0匹。伊場内湖での大会には2回目のエントリーとなりました。バスフィッシング大会に参加した後、自分が釣ったブラックバスの写真データがカメラの中に一枚もないという程、寂しいことはありません。このブログに掲載した写真がすべてを物語っています。辛い。
 表彰式でパワフルな入賞者の笑顔を見て、釣り仲間達の楽しい表情を見て、運営者の満足そうな表情を見た後、ふとお店(7パームス)の前のベンチに座っている寂しげな自分を発見。しかし、2014年はまだ2回しかバス釣りに行っていないのですが、1匹ぐらい顔を見せてくれてもいいのに。何も入賞者の皆様のような見事な40~50センチのバスの顔を見たいとは言いません。せめてチビ君でもいいので出会いたかった。恐らく、ではなく、間違いなく、私にそのテクがなかったのです。今更ながら、バスフィッシングとはなんともきびしいガチの趣味なのですね。この悔しさを噛みしめながら伊庭内湖をあとにしました。
 入賞者の方を始めバスを出した人のポテンシャルの高さを改めて実感した一日でした。

 さて、今年は何月頃に1匹目に出会えることやら。

 53名の精鋭の皆様、7パームスさんの運営の素晴らしさ、そして、伊庭内湖のフィールドとしての魅力、すべてが晴天の元繰り広げられた素晴らしい大会でした。唯一、そのエネルギーの輪の外で、ブラックバスのバイトに出会えず、カメラのシャッターを押すだけの迷子状態の私。いつもより右肩がうずいたのは「五十肩の使い過ぎ」以外にも理由がありそうです。もう、手漕ぎでバスフィッシング大会に参戦するには歳をとっているのだろうか。いやいや、私と同年齢の人達とも素敵な現場でのコミュニケーションがあったのだから、これにめげることなく、60歳になっても、強い元気な若者の中に混じりモンスターをひねり出したいです。同年代のプレイヤーも2~3名いたが、その表情は老いからの悔しさではなく、大会で上位になれなかった悔しさだったはず。つまり、私もその同年代の皆様も「負けないぞ!」という心の裏返しなのです。まだまだ、この程度でへこんでいるわけにはいかないのです。それがバスフィッシングの大きな魅力のひとつなんだから。

消滅する自治体

 2040年、人口減少に伴い全国の自治体の50%近くが消滅するらしい。人口減少だけがその理由ではないだろうし、あと20数年で消滅するという予測の背景にある現状の分析結果がとても興味深い。テレビの中のコメントに、「地方活性という名目で浪費されている予算枠がいかに多いかが露呈している。」と言っていた。机の上では「活性」なのに結果は「浪費」となる仕組み。もしもこの構造がこの国の経済の劣化・老朽化を促進しているとしたら、どのように組み替えて、現状あるエネルギーを創造へ変換できのかを国レベルで取り組まなければならないはず。原因があるから結果だろうが、原因が明確だとしても、違う結果をひねり出すために新しい構造や手法を創造しなければならないということだろう。本当の日本沈没はSF映画のような地殻変動が原因では、どうやらなさそうだ。

KS対決。

 休みの日ぐらいはと、愛犬チョップ君の散歩を平日よりじっくり目に時間をかけています。平日なら約15分程度なのですが、休みの日の朝は早起しきてじっくり40~50分かけて、歩いたり走ったり変化を楽しみながらの散歩です。当然、愛犬の散歩だからその時がやってくるわけですが、人間も毎日その時がやってきます。それは体調を確認するもっとも適正なモノサシであり、それが出なければどこか体調が微妙に狂っていると判断すべき。今日も散歩中にその時が2回ほどありました。非常に硬いハードでつやつやした健康的なアウトプット。チョップ君はうちにやって来て12年目。人間の年齢なら60歳あたりなのですが、私が今年で50歳ですから、60歳と50歳のコンビが早朝からセットでウロウロしている構図。チョップ君の2回分のそれは見事な健康KSでした。「おお!やるなチョップ君、あなたもまだまだ体調は盤石ですな。」などとつぶやきながらそれをビニール袋へ。当然、私も早朝の散歩で身体が目覚めるので胃腸も動き出す。朝飯はしっかりオレンジジュース、ヨーグルト、パン、リンゴを身体に入れましたから、当然の反応が散歩後にやってくる。いわゆる「自然が呼ぶ」という状態。チョップ君のそれを見てるだけに、50歳のオヤジも負けじとふんばる。結果、今朝はGWに普段よりちょっといい食事をしたことや、ビールを入れていることなどが影響してか、ちょっと粘度があったようだ。ハードだから、ソフトだからと一喜一憂するわけではないが、色や硬さや粘度は体調を正直に確実に反映している。その日の気分でのどから出て来る曖昧な言葉や、心が発信する感情よりも、胃腸が適正な処理をして出たそれを確認することが一番の健康指標となるのだ。
 結果、今朝の軍配はチョップ君の勝ちのようだ。Shit!

釣果は0匹。

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 昨日は午前4時15分、つまり、日の出と共にルアーを投げ始めた。最初は陸から、そして、ボートに乗り込み午後4時までルアーを投げ続けた。しかし、釣果は0匹。終盤戦でふと湖面から突き出たプラスチックのポールの上に同じ方角を向いたカモメ!?を発見。風上を向いて休憩しているのだろう。ひさしぶりの釣りでしたから、プランだけが頭の中で肥大して状況の正確な把握ミスと、それに足りる技術不足が原因だろう。頭が熱いのは睡眠不足と5月の日差しでの日焼け以外にも原因がありそうだ。湖面3メートルあたりはどの程度の強さの風が吹いているのだろう?こんな不安定なプラスチックのポールの上に乗るためには相当のバランス感覚が必要だろなどと考えながらカメラを向けた。心地良い湖面を進みながら、何故、バスが釣れないのだろうと考えを巡らせたが、釣れない理由を無理矢理絞り出すことはやめて、釣れなかった事実を素直に受け入れた。そして、次の大会には新たな気持ちで臨もうと決意を固めて、カメラのシャッターを押しながら、心のスイッチをオフにした。その瞬間がこの絵だ。今週末、日曜日の大会で、1匹目を釣った時、恐らくこの絵が私の頭の中のスクリーンに最初に映ることだろう。釣果は0匹だったが大会への準備は出来た。
 本質的に技術もモチベーションも高い大会だから、頭でどれだけ考えても優勝できる確率は限りなく0%だ。しかし、自然はことごとく人間の英知を無視する。道具が不十分で戦略も技術もないから頭では0%だと捉えているが、ブラックバスも自然の一部、最高のスペックと経験で臨んだ人を無視して、曖昧なプランの太公望をチョイスするかもしれない。だから、「0%」ではなく「限りなく0%に近い」のだ。まだ、今年になって1匹もブラックバスを釣っていない、ただの妄想大好き人間を自然はチョイスするかもしれないし。本当にブラックバス釣りは楽し過ぎる。

五十肩

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 まさか、50歳になって、いきなりこのタイプの洗礼を受けるとは・・・。どうも3月ぐらいから右肩が調子悪かった。懸垂したり壁のボルダーにぶら下がったりしていたから、少し肩の腱を痛めた程度だろうと思っていたが、右肩を下にして寝ると痛かったり、とっさに右手をひっこめたりすると軽く激痛が走る。あれ?これは、いわゆる五十肩か?と。まさか、そんなことになるとは想定外だった。身体の老化は誰にも止められないということ。ならば、一日も早い復活を願い漢方薬に頼ることにした。これで復活してほしい。まぁ、バス釣りにも山登りにもゴルフにも五十肩は関係なさそうだし、やんわり挙げればまだ右手は上がるので、さほど重傷でもないと自己分析している。ただ、右手一本でボルダーにぶら下げがるのだけはやめておこう。早め早めの対応で五十肩を払拭したい。