2014年08月 アーカイブ

バスフィッシング論

 というほどの理論ではないが、27歳の頃、琵琶湖で初物を釣ってから、多くのブラックバスをルアーで釣ってきた釣りバカとして、また、50歳になっても鮮度の高いモチベーションをキープしながら、フィールドに通っているおっさんアングラーとして、最近、考えることがある。それは「何故?こんなにルアーフィッシングが楽しいのか?」という疑問である。ルアー釣りはよく餌釣りと比較される。バス釣りやルアーフィッシングをした経験がない人はよく「何故、ルアーで釣るのか?」という疑問を抱いている。「フックに餌を付けて水の中に入れておけば勝手に魚は釣れるのに・・・」という心理だ。勿論、バス釣り(ルアーフィッシング)をする前にいろいろな餌釣りを経験したが、結局結果、現状、餌釣りは楽しくないので行っていない。まだまだ、世の中にはいろいろな趣味としての釣りが存在するから、「餌釣りは二度としない」などという結論に足しっているわけではないが、現状「ルアーフィッシングは楽しく」、「餌釣りは楽しくない」と感じている。

 一番の理由は「餌釣り」では「魚を釣った」実感が非常に薄いのだ。魚が確実に食べる餌を針に付けていては「釣った」よりも「釣れた」実感が強すぎて、釣り人としてアングラーとして軸足が自分よりにない感覚なのだ。「釣った」「釣れた」の微妙な違いなど気にせず、結果的に「釣れればいい」というタイプではないのだ。とは言え、「釣れた」感覚の中に主体性が微塵もないと感じているわけではない。タックルを用意して餌を用意して然るべき身なりでフィールドに出向かなければ「釣れた」さえ実感できない。しかも、相手は自然と生物だ。磐石の体制で餌の付いたリグを水の中に入れても、そのフィールドに魚が存在しなければ、回遊して来なければ、その餌は食べないのだから、当然、ボウズを食らう確率もある。ボウズがあるから「釣れた」の価値が生まれるのだ。

 しかし、ルアーフィッシングは、ルアーをラインに装備し水の中に入れているだけではほぼ100%ブラックバスは反応しない。着水時に反応するケースも勿論あるが、それはルアーの着水時のアクションがバスにアピールするだけで、ルアーに対して食性が反応したわけではない。ブラックバスが攻撃的なタイプだけに着水時のルアーのアクションがバスにアピールするだけなのだ。

 ルアーのタイプや種類が多いのも楽しさのひとつだ。鯛を釣るならほぼ餌は海老か岩虫でいいし、鯉ならば、練り餌の調合を工夫するだけで、ひとつの魚に対して餌の種類は片手で足りるだろう。しかし、ルアーフィッシングのルアーの数は比較にならないし、現在も新しいタイプのルアーが次々と企画・開発されているのだ。それは何故か?やはり、餌釣りよりルアー釣りの「釣った」実感の醍醐味があるかだろうと思っている。

 では、「釣った」という感覚をゲームフィッシングに適用して少しその醍醐味を分析してみよう・・・。

その手に、大きな成果を。

 「これまで以上に作業の効率を上げたいなら、iPadが最適です。そのパワフルなアプリケーションは、iPadならではの能力を最大限に活用できるように作られています。だから、あなたが本当に重要なことをするために必要なものがすべて手に入ります。」

 作業効率を上げるためには、何故iPadが最適なのだろう?

 パワフルなアプリケーションが能力を最大限に活用できるとは具体的に何の能力だろう?

 あなたが本当に重要なことをするためにと限定されても・・・。

 「すべて」が手にはいる。そんなに結論を急いでどうするのだろう?

 「その手」が、大きな成果を生み出すのであって、iPadは何ができるのか?

 豊富でパワフルなアプリケーションがあるのは現実だろうが、多いことが大前提で、
 選んでいないから、大きな成果を得らていないだけですよ、と言いたいのか?

 どうも、アップルは大きな勘違いをしているように思える。

 「成果」は、アップルが決めるものではないし、どのように能力を最大限に活用するかも、正確にはアップルは知る術はないだろうし。徹頭徹尾、ただのプラットフォームなんだから、そのゾーンはクリエーターに任せるべきだ。モノヅクリ屋がクリエイターの手に「大きな成果」を直接、誘発させることはできないのだから。どうも、オゴリとホコリを誤認している。

 アプリやプラットフォームが生み出せる「成果」について、開発者はいつの時代も現状に立ち返り、無謀な予測や過剰に飛躍した展望を抑制し、「成果とは?」について充分に再認識する必要がある。それはクリエイターとて同じだが。

新しい名刺

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 新しい名刺デザインです。明日ぐらいに印刷が仕上がります。

 裏面のイラストは芸大生の娘の仕事です。グッドジョブ!

 なぜ、「ハチドリ」と「蟻」と「ピラニア」なのかは、その時が来るまで封印です。

神の風

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 8月15日、富士山8合目付近から未体験の強風と水平に降りつける豪雨を経験した。神の領域だと崇められているゾーンにのみ存在する実感だった。立っていられないほどの強風に膝まづいている時、人間の弱さを痛感し、それでも自身の中から生まれるモチベーションを同時に実感できた。5回目の挑戦となる富士山、その偉大さと魅力を存分に堪能することができた。美しさの裏側に潜む自然の脅威・威力を、わずかながら身体の中に取り込めた実感だ。

示したいこと。

 「リーダー待望論が蔓延して久しいが、日本社会が直面する数々の課題は一向に解決の糸口が見えない。それは、リーダーの定義の問題である。一般的、かつ万能なリーダーはあり得ない。置かれている状況に適した人格と能力を持ったリーダー、すなわち、シチュエーショナル・リーダーが必要だ。日本の次世代リーダーたちは「グローバリゼーションの流れをリードし、日本の未来を切り開くべき主体」として自らの能力や専門性に何を加え吸収し、それらをどのように統合し、活用していけばいいかを自覚するかどうかにかかっている。」

 「【日本企業の経営力低下より深刻な「世界から尊敬される日本人」不足】日本人は、東洋と西洋の良い面も悪い面も受け入れ昇華させる“特技”を持つ。さらに、古くから世界各国に起源を持つものを取り入れ学び、原型とは似ても似つかない多くのイノベーションを生み出してきた。私たちは比類ない強みを持っているのに、世界で存在感を発揮できていない。」

 という記事はよく読む機会があるが、いずれもあまり価値のない表彰状のようなモノだ。私たちはトロフィーや認定証が欲しいために生きているわけではない。全力でトライした断片的な結果が「トロフィーや認定」、「リーダーシップ」、「存在感の発揮」なのだ。最初からそれを求めてては正に本末転倒でしかない思考だ。統合するにも、活用するにも、自覚するにも、自分勝手な基準で推測・予測・査定しているから、対象が曖昧になり、断片的になり、鈍化する。

 それらの全ての原因が経済力の低下を引き寄せているのに、それでも、「絵の中の餅」をまだ食べたいらしい。「ITソリューション」「経済対策」「グルメ志向」はポンコツチームの主軸プレイヤーだ。「勝つ強さ」ではなく、「負けない強さ」を世界に示したい。

お昼寝

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 只今、お昼寝中。

磁場や電気が見える。

 人間の脳が60%活性化すると磁場や電気が視覚的に捉えることができるらしい。誰もそれを実感したことはないだろうが、その手のイマジネーションには様々な仮説があるのだろう。100%活性化するとどうなるのか?これがこの映画の狙いなのだ。世界でもっともセクシーな女優とリュック・ベッソンのタッグがどのような世界を描くのか映画「lLUCY」は期待してしまう。

 少し前にもJ.デップの人工知能をテーマにした映画があり原作のみ読んだが、映画のテーマ設定の傾向と流れが、宇宙の旅からアルマゲドンになり、環境汚染やウイルスによる終焉になり、脳に向かっている。この流れにも誰かの意識が作用しているとしたら、「想像したモノは実現可能だ」という逆説もリアリティーを帯びてくる。

 とうもろこしは重力に逆らうために糖分を分泌するらしい。磁場や電気が見えたら人間は何を想像するのだろう?

 などと思考を巡らせながら、映画「LIFE」のショーン・ペンをもう一度楽しみたい。

ロビンの自殺

 生命感溢れる演技が魅力的だったロビンが自殺した。原因はうつだったらしい。アルコールや薬物に依存していたと報道されている。「レナードの朝」で不器用な医師を演じながら生きることの大切さを全身全霊で演じていたロビンが。あれだけの名優なのに、人はかくももろい生き物なのだ。ただ冥福を祈る。

平穏な琵琶湖

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 台風が過ぎ、昨日は穏やかな琵琶湖でした。

カラスの朝食

今朝も元気にキャットフードを食べています。逞しい。

映画「LIFE!」

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 恐らく、これから死ぬまで、一番多くこの映画を観ることだろう。この時代に何故、この映画が生まれたのかその理由を考えるだけで思考の震えが止まらない。と同時に「このタイミングなのか・・・」と不思議な高揚感に包まれる。例えば、1年前なら、10年前なら、学生の頃ならと考えると、この映画から受けた様々なタイプの刺激は、「今」でなければならなかったのだろうと。

 刺激的でエンタメな映画は多い。感傷的なシクミが狙いの映画も多い。まして、それに値しないウンコのような映画も多い中、今、このタイミングでこの作品を観れたこと。それがたまらない。この言葉に出来ない感情は何だろう?しばらく心の中がこの感情で支配されるだろう。つまり、言葉にならない感情を表現するための手法が映画だからだ。そして、その手法から生まれてこそ「言葉」に価値が生まれるのだ。

 早速、DVDをアマゾンに注文しよう。

それも、また、必ず、去る。

逆に、必ず来るということだ。去るモノを追わず、来るモノを拒まず。いろいろ考えを巡らせていると、結局、同じ場所に戻ってくるような感覚がある。いつも同じ場所で高揚し、いつも同じ場所で落胆している。このパターンを無理に変えようとするよりも、環境の変化に連動することの方が意義があるという意味だろう。それは、思い出せないことが妙なタイミングでふと思い出せたり、思い悩んでいた状況が、雲間から日が差すように気持ちが晴れていくような感覚。「今回は耐えたなぁ~」「でも、まだまだ。」と鼓舞しながら、過去の後悔も、未来への不安も、そこそこにして、「今」この時を丁寧に生きましょうよという意味なのだろう。言葉は解釈次第。イライラしていても、消沈していても、それもまた必ず去るモノなのだから。

シクミシクミ。

 自分のクリエイティブスタイルを精査しようと体感や論理の法則を探究していると、いろいろなことを発見することが多い。まず、なぜ、探究しようとしているのか?という根拠が生まれたのか?ここが出発点なのですが、その奥にもさらに本当の出発点がある。芋づる式のこのループにどこかで適正にナイフを入れなければいけないのだが、「おっ、まだあるぞ」状態でなかなかナイフを入れることができない。掘り起こした芋がいろいろな形やサイズだったりするために、この驚きが楽しい。当然、手はどろだけらけで、不自然な体制で芋を掘っているために筋肉は疲労しているのですが、それでも楽しい。
 バスフィッシングのようにそこにバス君がいると信じてキャストを続けて、確証のない状態でも、釣り続ける、キャストし続ける感覚と似ています。確かにこの状態は「バスを釣っている」「バスを狙っている」状態なのですが、確証は釣れるまでないのです。昨日釣れたポイント、数分前に誰がバイトを取ったフィールドだが、自分にヒットする保証はない。だから楽しいのです。特にルアーフィッシングは餌釣りと比較してここの部位に意義を感じられなければ、ただの成形物を水に投入している行為に他ならない。しかし、魚を狙っているという意義に置き換えられるから、楽しさが得られるのです。
 クリエイティブの意義などと勝手に捉えているが、その意義、誰の意義でもなく私自身に全て収束していることを大前提に、だから、生み出すことが楽しく意義があり、生み出したコンテンツが誰かに評価を受け、リアクションを得られる実感があるからこそ、また、キャストするの循環。このシクミの効率やパフォーマンスを上げるためには、この循環のトルクを惰性でも余力でもいいから、永久機関のように五感でエネルギーを供給し動かしつづけられれば、電気もガスも水蒸気も必要ないはず。エネルギー問題の根源を産業革命まで辿らずとも、現状の問題が机の上の議論の中で削除できるはずはないのだから、絵に描いた餅の焼き方や食べ方を議論するよりも、手ごまとポテンシャルの確認と自分のベクトルの仕組みを実感に意義を見つけたいものです。そこに過剰な仮説は必要なし。
 そのためにも「仕組みづくり」が永久に劣化しないクリエティブ力を生み出すような気がします。自分の意義を適正に創り出す力に変換する「自分のシクミ」をどのように実感できるか?まずは、全てのソースの受け止め方から変えていこうと、変えなければいけないのかなと思っています。