バスフィッシング論

 というほどの理論ではないが、27歳の頃、琵琶湖で初物を釣ってから、多くのブラックバスをルアーで釣ってきた釣りバカとして、また、50歳になっても鮮度の高いモチベーションをキープしながら、フィールドに通っているおっさんアングラーとして、最近、考えることがある。それは「何故?こんなにルアーフィッシングが楽しいのか?」という疑問である。ルアー釣りはよく餌釣りと比較される。バス釣りやルアーフィッシングをした経験がない人はよく「何故、ルアーで釣るのか?」という疑問を抱いている。「フックに餌を付けて水の中に入れておけば勝手に魚は釣れるのに・・・」という心理だ。勿論、バス釣り(ルアーフィッシング)をする前にいろいろな餌釣りを経験したが、結局結果、現状、餌釣りは楽しくないので行っていない。まだまだ、世の中にはいろいろな趣味としての釣りが存在するから、「餌釣りは二度としない」などという結論に足しっているわけではないが、現状「ルアーフィッシングは楽しく」、「餌釣りは楽しくない」と感じている。

 一番の理由は「餌釣り」では「魚を釣った」実感が非常に薄いのだ。魚が確実に食べる餌を針に付けていては「釣った」よりも「釣れた」実感が強すぎて、釣り人としてアングラーとして軸足が自分よりにない感覚なのだ。「釣った」「釣れた」の微妙な違いなど気にせず、結果的に「釣れればいい」というタイプではないのだ。とは言え、「釣れた」感覚の中に主体性が微塵もないと感じているわけではない。タックルを用意して餌を用意して然るべき身なりでフィールドに出向かなければ「釣れた」さえ実感できない。しかも、相手は自然と生物だ。磐石の体制で餌の付いたリグを水の中に入れても、そのフィールドに魚が存在しなければ、回遊して来なければ、その餌は食べないのだから、当然、ボウズを食らう確率もある。ボウズがあるから「釣れた」の価値が生まれるのだ。

 しかし、ルアーフィッシングは、ルアーをラインに装備し水の中に入れているだけではほぼ100%ブラックバスは反応しない。着水時に反応するケースも勿論あるが、それはルアーの着水時のアクションがバスにアピールするだけで、ルアーに対して食性が反応したわけではない。ブラックバスが攻撃的なタイプだけに着水時のルアーのアクションがバスにアピールするだけなのだ。

 ルアーのタイプや種類が多いのも楽しさのひとつだ。鯛を釣るならほぼ餌は海老か岩虫でいいし、鯉ならば、練り餌の調合を工夫するだけで、ひとつの魚に対して餌の種類は片手で足りるだろう。しかし、ルアーフィッシングのルアーの数は比較にならないし、現在も新しいタイプのルアーが次々と企画・開発されているのだ。それは何故か?やはり、餌釣りよりルアー釣りの「釣った」実感の醍醐味があるかだろうと思っている。

 では、「釣った」という感覚をゲームフィッシングに適用して少しその醍醐味を分析してみよう・・・。