2015年01月 アーカイブ

ダイヤの糸ノコ。

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 これはダイヤの糸ノコです。主に石を切る予定です。あとは万力と細工用のヤスリと電気ドリル用のアタッチメントなどを用意して自然石を加工し作品をつくりたいと思っています。また、途中経過や完成品をこのブログで紹介していく予定です。何故、石を加工したくなったのか?ただ好きだからです。

 人(私は)はなんでも鑑賞しているだけでは飽きてきて、どうしても我慢できず、手を入れたくなったりするものなのです。頭で感じているとそれはただの石だが、心で捉えると石の中に「天使」を発見したりする。と、そんなミケランジェロの言葉が残っているそうです。

高等遊民

 「高等遊民(こうとうゆうみん)とは、明治時代から昭和初期の近代戦前期にかけて多く使われた言葉であり、大学等の高等教育機関で教育を受け卒業しながらも、経済的に不自由がないため、官吏や会社員などになって労働に従事することなく、読書などをして過ごしている人のこと。閲覧できる範囲では『読売新聞』明治36年(1903年)9月25日の「官吏学校を設立すべし」での論説が、高等遊民に触れられている最も古い資料である。また、一時期は上級学校への入学や上級学校卒業後の就職が叶わなかった者が高等遊民となり、高等知識を持った彼等が自然主義、社会主義、無政府主義などの危険思想に感化され、それらが社会問題に繋がると考えられていた。」ウィキペディアより抜粋。

 最近の杏さんのテレビドラマで初めて知った言葉「高等遊民」。太宰も森鴎外も夏目漱石も康成らのスタンダートな名作はほぼすべて読んでいるが、その主人公たちが「高等遊民」という名称の属性だったとは知らなかった。改めて言葉のニュアンスの多様性に驚きを感じている。

 さて、「ニート」か「引きこもり」か「高等遊民」か?という議論がこのドラマではよく登場するのだが、定職に就かない人を総じて悪いと思ったことはなく、心のどこかで羨ましさを感じてる自分もいる。確かに漱石や太宰の描く物語の主人公は現実離れしていた。行動・能力・思考が独自で浮世離れしていた。その感覚が美辞麗句にまみれ憧れとなっただと理解しているが、否定は全くしていない。一方、主人公の一人杏さんはガチガチの理系女子。明確な根拠と理論で日常生活を送っている。志も高く実力も能力もある。しかし、一般常識には欠け、いわゆる空気の読めないタイプ。この二人が織り成す物語を介しこのドラマの制作者な何を訴えたいのか?ただ、数字狙いの異物と鮮度の高い物語を現代の風潮に照らし比較させたかったというだけではないだろう。

 ここで「仕事」という価値観が明確に浮き彫りになる。「働かざる者食うべからず」なのか、「悠々自適の輝かしき隠匿生活はあえてあり」なのか。現代に大きなメッセージを投げている作品です。誰に師事したわけでもなく自分や家族の生計は己で稼ぐことが当然と捉えてきたが、もし、一生遊んで暮らせる金銭的な余裕があれば自分自身はどう立ち振舞っていたのか?とも自問してしまう。高等遊民のルートを選択したのだろうか?そのような状況でも、仕事の意義に正面から取り組み自分の存在を社会に照らし合わせ、ひとつでも多くの確信や実感を貪欲に引き寄せ、成果を生み出すために試行錯誤したのだろうか?と。

 多様な時代、本質を見極め自己評価を1点に絞り込むことは難しい。ただ、無駄なノイズが多い時代だということも明確だ。瑣末なことも多い。

ジュラシックパーク4

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 「ジュラシックパーク4」がこの夏、公開されるらしい。1・2・3と楽しい映画だっただけに期待が大きく膨らみます。ほぼ第1弾の原作を書店で初めて発見したのが25年以上前だから、恐竜をテーマにしたSFの中でもこの映画は別格。小手先の浪漫にはあまり興味がないのですが、「恐竜」と「宇宙」と「タイムトラベル」には浪漫を強く感じます。

映画「LUCY」

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 映画「LUCY」が16日DVDレンタル開始だったので昨晩、期待を膨らませながら観ました。映画公開時の評価はあまり高くなく、例えば「ストーリーに無理がある。」などというコメントが多かった。映画告知用のチラシの情報からも強烈な設定のヒロイン像だとは推察していたが、結末が抽象的で概念的になるのはテーマと設定が仮説だけに仕方ないとしても、あまり高い評価は見当たらなった。さらに、ヨハンソンの過去の映画を観ると、どうも彼女の美貌やルックスに依存する傾向にあったことも否めないしなどと期待と不安があった。
 しかし、結果、エンドロールが終了するまで映画の余韻を楽しむことができました。
 「脳が100%活性化する」というイメージをこのような映像と物語の展開で体験できて、とても満足でした。このDVDは「買い」です。

健康は大切。

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 結局、どんな分野の仕事であれ己の身体が資本です。心も身体も健康でなければ狙いどおりの成果は得られないし、知識もテクニックも獲得できない。脚力の衰えは身体の老化となり、連動して、心も老化する。そうならないためにも、14秒を切るためにも、このシューズが最強のツールとなる。

バス君CG

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 恐らく、想像ですが、このルアー(リグ)に対するバス君のアタックはこのような体制かなというシュミレーションCGです。琵琶湖には多様な条件のフィールドがあり、多様なタックルのセットアップがあります。バスアングラーはそれぞれの経験値と熱意とテクニックでこの瞬間をイメージしてルアーを水中にキャストしているのです。私もムダに釣りバカだからその瞬間をイメージしながら、ドキドキ・ワクワクしながらこのCGをつくりました。

2015年七つの目標。

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1.この年齢になるといろいろなことが億劫になる。老化だから仕方がなく自然の道理だろうから、過剰に反抗して若い頃のような無理はやめておこう。無理をすればしただけの見返りを頂戴するハメになるからだ。しかし、50歳には50歳のやり方がある。身体能力、特に視力や体力の低下は受け入れなければならないし、記憶力や着想力の鈍化も受け入れなければない。これはもうどうすることもできないと正直諦めている。合わせて感覚的なセンスも敏感さが低下するだろう。でも、それを小手先のテクニックで補うのではなく、沈着冷静に、そして、謙虚に軽快に向き合うことでこの年齢に合った成果を生み出すことができると考えている。この捉え方をキャリアだとか経験値だなどとも捉えたくないし、今この時、何を考えてどう行動し意思決定するのかを丁寧にひとつひとつ自分らしくひねり出していきたいと考えています。

2.ユーモアや愛嬌を常に忘れないこと。情報過剰になりがちな現代、電子機器や情報技術の進化は留まることなくさらに加速していくだろう。景気や消費が低迷している以上、社会の構造や仕組みはより緻密になり、より多様になる。その中には当然、有益無益があり、手を伸ばせば届くモノもあったり、届かないモノがあったり。常に貪欲でありたいが無謀な人にはなりたくない。スマートにクレバーに立ち回りたいし、いろいろな意味でスベりたくない。だから、ユーモアと愛嬌を忘れず元気なおっさんでいたい。眉間にシワを寄せて重々しく言葉が出てたら要注意。そんな大義名分は楽しくないのだから。

3.やはり技能(テクニック)は大切。いつの時代も自分の精通している技能の需要が世の中の供給を上回っているかをしっかり見極めて、大きな社会のシステムや機械やソフトに代用されないように、そして、広く理解されるための努力を怠ることなく、いつまでも、デジタル職人としてもアナログ職人としても成立できるために努力し、探求心・向上心・好奇心を失わずにいろいろな仕事案件やライフワークに挑戦していきたいです。振り返ると、いろいろな挑戦と失敗の連続であり、効率の悪い技能やノウハウもありますが、それも含めてすべて自分のテクニック。ツールがどれだけ進化しても丁寧に1から始めればいいだけ。誰かと比較して自分のダメ加減気づくことも大切なテクニック。推し量り、仮説を立て、ひとつひとつリサーチし検討し取り込めば、それらがすべて新しい自分らしいテクニックになるのです。

4.「類は友を呼ぶ」。性別・世代を問わず、自分と同類・同タイプとの新しい出会いを心から渇望しています。インターネットでの出会いは「明日は明日の風が吹く」だろうし、自分の足で動けば「犬も歩けば棒にあたる」だろう。ただ、自分の五感を頼りにただ前へ進むだけ。

5.公式の100m競技にエントリーする。目標タイムは13.9秒。

6.6回目の富士山登山にアタック。

7.伊庭内湖のバスフィッシング大会で優勝する。

2015年の僕。

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 ということで今年の年賀状。50歳になり何事も落ち着いて冷静沈着に謙虚に、年令相応にやるべきなのでしょうが、本質の部分では「ちょっと前のめり」のままで行きたいと思います。若い頃の老婆心や蛇足やフライングはしないできないとしても、ちょっとだけ前のめりの前傾姿勢で進んでいきたいです。まぁ、どっちが前か自分で決めるしかないのですから、相棒がいて、パートナーがいて、ライバルがいる以上、どんな些細な勝負もおそろかにすることはできません。じっくり熟考することも大切。しかし、考えすぎは成果物を鈍化させ致命的な敗因になることも知っている年齢なので、「冷静・謙虚」と「前傾姿勢・勇み足」を天秤にかけ、微妙なバランスで2015年というブレードの上を駆け抜けるランナーでありたいです。

ご縁があり。

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 あるお仕事で映画公開前からこのフォルムを見る機会があり、ポスターやチラシやノベルティーのデザインを作成しました。毎日、このフォルムを見ていて感じたことは、この飽きない完成度です。この比率、この質感、このストーリーと、どこをどうチェックしても作り手の熱意が感じられる。天下のディズニーだから当然といえば当然ですが、天下の???ということもよくあることなので、このフォルムの完成度はさすがです。まだ、物語は知りませんが、これはDVDを予約する予定です。しかし、「優しいロボット」とはなんとも圧巻です。どうもガチガチのロボット系には反応できなかったタイプなので、このようなロボットの物語は心が震えました。また、ロボット=戦いという構図も人間の都合ですから、創造=破壊みたいなテイストになりがち。創造も破壊も紙一重のところではありますが、紙一重といえばデザインの仕事もそうですし、世の中のあらゆる仕事も紙一重。ブレードの上を駆け抜ける勇気がありますか?という投げかけからはじまったロボット(アンドロイド)映画のテイストもここに来てベイマックスに到着したのかなと感じてしまいました。アナ雪からのベイマックスの展開は、トイストーリーからのウォーリーみたいな素敵な素敵な展開力です。

素敵な世界。

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 すると、このような世界にも素直に感動している自分に気づきます。空前の大ヒットアニメ映画。しかも、ディズニーと来て、私は「どうせ・・・」と拒絶し否定していました。しかし、絵の力を確認できたからこそこの作品を自然体で鑑賞し、その世界観を楽しめることができました。世界の多くの人の心を揺さぶった作品を無意味に否定し、「どうせ、子ども騙しの・・・」という適当な言い訳で意味のないバリアをはっているただの裸の王様だったようです。改めて「アナ雪」のテイストをかみしめている自分に気づきました。素晴らしい作品でした。あえてこの物語、あえてこの二人だったのですね。

イラストレーター

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 2014年はいろいろな仕事を頂きましたし、新しい気づきも失敗もたくさんありました。中でも印象的だったことは「自分の絵のスタイル」についてしっかり向き合った1年でもありました。その理由は自分は何者なのかという疑問が生まれたからです。いろいろなデザインの仕事に取り組み、いろいろなアプローチやスキルを習得してきたが、本当は何をやりたいと思っていて、何にやりがいや達成感を感じているのかを確認したいと思ったのです。
 そもそも、大きなデザイン制作会社を30歳で離れ、自立自営のルートを選んだ背景にも同じ要因や根拠があったのだと振り返ることができたからです。一般的に組織や会社の歯車になりたくないレベルのお話ではなく、もっと深い場所に装備していたデザインの仕事に対する向き合い方です。そこには「イラストレーション」があったのです。マンガ家になりたい、イラストレーターになりたいという衝動があった(今でも諦めていない。)からこそデザインの仕事を選択したのです。別段、ラーメン屋でもケーキ職人でも大工でもよかったのですが、私はデザインの仕事を選択したのですから。今更(50歳)になってそんなことどうでもいいことかもしれませんが、2014年はそれをひとつひとつ確認する必要があったのです。そんな気持ちで描いたイラストです。
 何をどう考えてこうなったのかは正確には思い出せませんが、改めてこのイラストを見ていると自分にとってイラストレーション(絵)がいろいろな思いや狙いや希望を閉じ込め刻印する最高の手段だということは自身、一目瞭然なのです。つまり、イラストレーション(絵)とはそういうモノでなければならないと気づいたということなのです。
 一方、論理や理論や法則や情報処理は得意ではありません(改めて痛感)。整理することよりも直感的に意思決定するバイアスが「プロの感」だとこれまで自分自身に言い聞かせてデザイナーの自分を操ってきましたが、それも限界を感じたのでしょう。非言語と言語情報の効果や作用を天秤にかけ自由に操ってきたんだと思い込んでいましたが、私自身はイラストレーション(絵)の人なんだと再確認・再発見した次第でした。アートデレクターとかクリエイティブディレクターとかデザイナーとか名刺には入れていますが、根本はイラストレーターでありたいと願う自分との再会だったのです。すると、いかに無駄な余計な過剰なウエイトを抱えて行動力が鈍化していたことに気づきました。これをただの「老化」で済ますこともできたでしょうが、そうそう簡単に老化で片付けられない自分。鈍化の原因が老化ではないとしたらと無謀で強引で乱暴な仮説を立て、老化による劣化も現実としてありますが、それは便宜上の止まり木だったようです。理由や言い訳を抱えて飛ぶことを諦めそうだったので、私の中のイラストレーターが警笛を発したのでしょう。改めてそんな「絵の力」に無類のエネルギーをもらったという一年でした。だから、2015年はどんどんどんどん絵を描いていこうと思っています。