高等遊民

 「高等遊民(こうとうゆうみん)とは、明治時代から昭和初期の近代戦前期にかけて多く使われた言葉であり、大学等の高等教育機関で教育を受け卒業しながらも、経済的に不自由がないため、官吏や会社員などになって労働に従事することなく、読書などをして過ごしている人のこと。閲覧できる範囲では『読売新聞』明治36年(1903年)9月25日の「官吏学校を設立すべし」での論説が、高等遊民に触れられている最も古い資料である。また、一時期は上級学校への入学や上級学校卒業後の就職が叶わなかった者が高等遊民となり、高等知識を持った彼等が自然主義、社会主義、無政府主義などの危険思想に感化され、それらが社会問題に繋がると考えられていた。」ウィキペディアより抜粋。

 最近の杏さんのテレビドラマで初めて知った言葉「高等遊民」。太宰も森鴎外も夏目漱石も康成らのスタンダートな名作はほぼすべて読んでいるが、その主人公たちが「高等遊民」という名称の属性だったとは知らなかった。改めて言葉のニュアンスの多様性に驚きを感じている。

 さて、「ニート」か「引きこもり」か「高等遊民」か?という議論がこのドラマではよく登場するのだが、定職に就かない人を総じて悪いと思ったことはなく、心のどこかで羨ましさを感じてる自分もいる。確かに漱石や太宰の描く物語の主人公は現実離れしていた。行動・能力・思考が独自で浮世離れしていた。その感覚が美辞麗句にまみれ憧れとなっただと理解しているが、否定は全くしていない。一方、主人公の一人杏さんはガチガチの理系女子。明確な根拠と理論で日常生活を送っている。志も高く実力も能力もある。しかし、一般常識には欠け、いわゆる空気の読めないタイプ。この二人が織り成す物語を介しこのドラマの制作者な何を訴えたいのか?ただ、数字狙いの異物と鮮度の高い物語を現代の風潮に照らし比較させたかったというだけではないだろう。

 ここで「仕事」という価値観が明確に浮き彫りになる。「働かざる者食うべからず」なのか、「悠々自適の輝かしき隠匿生活はあえてあり」なのか。現代に大きなメッセージを投げている作品です。誰に師事したわけでもなく自分や家族の生計は己で稼ぐことが当然と捉えてきたが、もし、一生遊んで暮らせる金銭的な余裕があれば自分自身はどう立ち振舞っていたのか?とも自問してしまう。高等遊民のルートを選択したのだろうか?そのような状況でも、仕事の意義に正面から取り組み自分の存在を社会に照らし合わせ、ひとつでも多くの確信や実感を貪欲に引き寄せ、成果を生み出すために試行錯誤したのだろうか?と。

 多様な時代、本質を見極め自己評価を1点に絞り込むことは難しい。ただ、無駄なノイズが多い時代だということも明確だ。瑣末なことも多い。