2015年02月 アーカイブ

ペーパーナイフ

paper_knife150228.jpg

 先日、天王寺で発見したペーパーナイフ。素材は強化プラスチックのようですが、詳しくは分かりません。軽く強い質感のある素材です。この色の他にもあと6色あったのですが、これが個人的にベストでした。何より、このフォルムには心を一瞬で奪われてしまいました。パッケージの情報ではあるクリエイターが企画して開発した商品らしく、価格も¥500でとお手頃でお値打ち商品なのです。
 デザイン(素材・フォルム・色合い)アレンジとアイディアでこれほどにシンプルな魅力的な商品が作り出せるのですね。素晴らしい、ワンダフルです。
 実際、ペーパーナイフとしての機能性も高く、硬い素材の強化プラスチックなので、なかなか商品価値は高いと感じています。PCの上にチョコンとのせているだけで、とてもいい心地になります。いい商品です。
 ずっとグラフィックデザインやWEBデザインの仕事をしながら、このようなテイストのプロダクツ商品づくりを仕事にしたいと思っていたので、そろそろ起動の時期なのかなと思っています。現代の立体作品のテクノロジーで言えば、3Dプリンターなどが旬ではありますが、そのツールはあまり心が震えません。ただ、イマジネーションを立体作品に繋げるテクノロジーが進化している時代の流れを平面から立体へ世の中のいろいろなクリエイティブの流れ(ベクトル)が向かう傾向が強くなったと捉え、自身の立体作品づくりやプロダクトデザイン思考からのビジネスモデルの構築へと、具体的に展開する適正な時期なのかと捉えています。このような展開をするには世の中のニーズと自分自身のモチベーション、そして、何よりも構造や思考を実働レベルに繋げるための相棒が必要です。ここの部分が最近、見事にミラクルに確定したので、キレイなトライアングルが成立したこのタイミングこそが本格起動へのスタートラインだと捉えています。

 これ、かなり、楽しいです。

真鍮だろうか?

chess_piece150228.jpg

 このチェスのコマの素材は何かな?真鍮だろうか?時代によっていろいろなコマのデザインがあり、それぞれに重厚だったり洗練されていたりコミカルだったりする。木の素材や石の素材などもあるのですが、つくり手のこだわりと素材の関係も密接で興味深い。ここまで見事に成形された商品価値の高いコマもあるし、ひとつひとつ手づくり感が漂う木彫のコマもあるのですが、どれも素敵です。チェスの腕前はポンコツですが、黒と白に分かれてお互い16個のコマで戦うというシンプルなゲームに世界中、古今東西の人達が魅了されているわけで、その歴史の末席で私もチェスを楽しんでいます。娘のDSソフトやパソコンのネットゲームでもいろいろなプログラムを活用したチェスゲームがありますが、どれも一様に強い。DSの端末に向かって50歳のおっさんがタッチペン1本で挑み、端末に「あなたの負けです!」と言われ、負けるという屈辱的な現実はなんとも受け入れがたい状況でしたが、それも乗り越えてチェスというゲームをエンジョイしています。なかなか対戦相手が実際に身近にいないので端末に向かってしまうのですが、やはり、上手い相手が身近にいたら、その手のひらの上でチェスの攻防を楽しみたいというのが正直なところです。
 まぁ、あと5年もすれば無料ゲームやオンラインゲームブームも次第に失速し、デジタルゲームユーザーがその知恵熱から覚めた時、モノホンのゲームに回帰していくことも想定されます。やはり、楽しさを追求していくと、顔の見えないプログラマーやSEと対戦しても面白くないし楽しくないという結論に達した人達から順番にチェスのような古典・王道・スタンダードに心を奪われるのが自然な流れのような気がしています。その時、ちょっと自身のチェスのテクが今よりも少しレベルアップしているといいのですが。

羅生門

 小説「羅生門」を引用した国語のマークシート形式の入試テストについて、ある著者が独自の考察・分析を述べていた。
 薄暗い空間、多くの屍の中で力なく佇む老婆。老婆は女性の死体から髪の毛を一本一本抜いていた。という場面で、その光景を目の当たりにした主人公が老婆に対して何を感じたのか?という入試問題が事例としてあげられていて、解答には4つの選択肢があった。いつの時代からか入試テストの正確性を高め、効率化・システム化する目的で導入されたマークシート方式に対する著者の考察・分析である。
 自身、何をどう振り返っても本確的な大学受験に対する勉強を経ているわけではないので、あまりマークシート形式のテスト問題に対する是非に興味はないのですが、その著者いわく、出題者の傾向として3番目に正解を設定するケースが多く、正解に迷った時は3番目という作法があるらしい。また、国語の問題文に具体的な内容があればそれは不正解への誘導であるという作法もあるらしく、本来の長文読解能力とは無縁のこの「どうでもいい作法」の存在にまず驚いた。
 さて、主人公の感情を明記した4つの解答例があったのですが、それも私自身、これが正解だという決定打に欠けるものばかりで、これかな?というニュアンスの解答を選択したのですが、その答はこの問題では不正解で、広義的で最大公約数的などうにでも捉えられる答が正解となっていた。4つの答をここで抜粋することは割愛するが、この正解文を納得することはできなかった。私の国語力の未熟さがそう判断させていることに他ならないのですが、にしても、しっくりこない正解文だった。
 著者が描く世界観を出題者の捉え方でひとつの正解に導く、しかも、たった4つの文例でという、正解選択型の能力を得て、それを何に応用するのか?という疑問だけがその一節から残り、その後、書籍を読み進めるも釈然としないそのマークシート形式の問題の下りが尾を引き、まったく、その一冊は残念な読後感に終わった。結果、著者は最近の学生の長文読解力の低下を嘆きたかったのだろうし、そういうマークシート形式で能力の優劣を決めている日本の教育システムを否定したかったのだろうが、その前に、「羅生門」という作品の魅力の読解力のイロハについて書いてほしかったという気持ちだけが残った。しかし、この部分は著者の気質なのだから、そういう本を選択したのは私なのだから、何をどうこんなところで愚痴っても仕方がないことなのですが、このタイプの「残念な感じ」は書籍に限ったことではなく、いろいろな事象や出会う人にも適用できることです。言いたいことは分かりますが、の次にある、その裏にある気質が「巧くない」とこうも残念さが誇張され特筆され心に定着するものなのかと、改めて気づいた、気づかされた一冊でした。その書籍と著者名はこのブログには書きませんが、書籍をつくる上で充分に注意しなければならない大切なポイント・テクニックなのですね。深い。

大阪モード学園

oosaka_modegakuen150226.jpg

 昨日は大阪モード学園で16年講師を展開しておられる方とお会いしてきました。知名度も高い専門学校でもあり、梅田という立地条件といい、この道の専門学校としては重鎮的存在です。「モード」という言葉から連想する個人的なイメージは、ファッション分野の潮流を牽引している独自で奇抜で先鋭的な印象ですが、実際、ファンション分野を牽引するということは独自性や奇抜性とに反して基礎知識や基礎テクニックが重要であり、自身のテクニックやセンスをコントロールするマネージメント力やメンタル面での強化も必須なのです。確かに、技術が進化しビジネスや経済の構造が多様化したから、独自の個性や表現を発揮する場が大きく広くなったとは言い難いわけで、いつの時代にもベーシックな「創り出す基礎能力」と「伝える基本テクニック」のつばぜり合いなのです。最近の若い世代の一般的な印象は一見「弱い」「線が細い」という捉え方を(50歳のおっさん思考)してしまいがちですが、講師の方にお話をいろいろ聞くと、「センス溢れる繊細なタイプ」「探究心旺盛な貪欲なタイプ」「自分で切り開く野心家タイプ」など魅力的な学生さんが多いようです。ただ、いつの時代も学生ゾーンから社会へとフィールドを変える時に伴うエネルギーやノウハウの強化は必要不可欠なようで、これは誰しも通るルートなのだなと、自分自身が社会に出る前の不安な期間のことを思い出していました。
 しかしながら、今こうして自身デザインの仕事をできている体質・脂質の根幹・根底には芸大生だった4年間があったからこそ成立できているわけですから、自分の道を決める、人生を切り開くテクニックとは、高校生から社会に出るまでの大学時代や専門学校時代の期間にしっかり鍛えて蓄えておくことがもとても需要なのだと改めて再認識しました。センスと知識とテクニックとモチベーションがあれば独学でもいい、という捉え方もできなくはないですが、じっくり自分を見つめる期間として、大学・専門学校という期間は大きな意味・価値があるのだと思います。もし、それがなければ何も始まらなかったかもしれないのですから。
 大阪モード学園の建物の前で講師の方が出てこられるまでのひととき、そんなことを回想していました。

MacでWindows10!?

 「MAC-OSでWINDOWS10を走らせましょう!」というメルマガがソフト開発会社から到着していた。パソコンが売れない状況とスマホも停滞気味、さらに、タブレットもあまり振るわないし、アップルはウオッチを開発するしで、デジタル機器開発者達の販売ルートは打つ手がなく閉塞感が漂っています。すべてのルートがすでに飽和状態なのだから、どんなデジタル機器を開発しても市場の反応が鈍くなる。そもそもWINDOWS10はWIN-OSで走らせたらいいのに、なぜ、MAC-OSで?「直感的」という売り言葉には、少しハードルの高さを感じてしまうのでしょうが、仕事中にそうそう直感を使うことって実際ないですからね。「直感的」って刺激しておいて、現実は重いシステムの保険だったりすることに、MACユーザーもWINユーザーも気づいているのです。携帯性とネット環境との連携を活用するためのタブレットやスマホデバイスも無料ゲームコンテンツは頭打ちだし、SNSでは結果、ビジネスモデルとして正しく生育しなかった。極一部の金字塔を見上げて、アプリを開発している人もそれはそれで脈があれば自由でいいだろうし、クラウドとかビックデータにぶら下がって「進化」と「機能性」に過敏に反応したところで、結局、「新しいモノ」を消費したかっただけ。だから、もう、MACとかWINとかではなく、そろそろビジネスもライフワークも本質的なテクニックの時代に回帰し始めていくと思います。「ワークシフト」「パラダイムシフト」などと提唱され久しいですが、本当の探求の道は、電子機器のスイッチをオフにした瞬間に見えるルートなのだと思います。
 光がまぶしく明る過ぎて見えなった道とでも言いましょうか、ようやく灯台の足元を見なければいけない時代になるとでも言いましょうか。

何故?本を読むのか。

 よく「スギノさんは何故?そんなに本を読むのですか?」と聞かれる。理由は明確で本が好きだからである。仕事で学校に行くと、昔(小学校や中学校の頃)の感覚が蘇り、自然に図書館を探してしまう。今日も中学校の広報誌の打ち合わせで中学校に行ってきたのですが、広報の編集会議が図書館で開催された。15分ほど早く事前に担当の先生と軽い打ち合わせをするために行ったのですが、必要な校正を渡したらそのまま編集委員の皆様が到着するまで図書館にいた。ベストセラーから専門書や中学生向けの図書がならんでいる。本棚に整然と収まっている書籍を見ているだけで気持ちが高揚する。知っている著者やまったく知らない著者、日頃から気になっているテーマ・分野の書籍から、興味のないジャンルまで、図書館にいるだけで心地いい。ひとつアフリカの奴隷が主人公のノンフィクションを手にする。嵐の大西洋。船の倉庫に押し込められた47名の黒人奴隷。勇敢な主人公は鉄の手錠を付けられた素手で、船の床のゆるみかけた釘を抜き出すことに集中する。力を込めて釘を捻るために指の先は切れて血が出てもなお、力を込め続ける。血だらけになりながら釘を床から抜きその釘で手錠を外し、他の黒人達の手錠も外す。そして、怒れる黒人達は倉庫のドアをやぶり、白人達を・・・というところで編集会議の時間となり、その本を棚に戻した。
 もし、打ち合わせとか仕事でなければ、そのまま図書館でその物語を最後まで読みたかった。
 本が好きだから、本を読むのです。それが空想でも史実でも記録でも独り言だとしても、本はいい。何故ならすべて完結させている(完結させようとしている)美しさと心地よさがあるのです。と同時に完結できなかった著者の悔いが文中のどこかに必ずあり、その悔いを読者は引き受ける責任がある。それも含めて本の魅力です。
 主人公の黒人はその後、自由を取り戻したのだろうか?

たくさんの友達。

 日本の人口が1.2億人。各県単位、市町村、または会社組織に自治体、各学校の学年単位から、親戚関係など様々な規模(人数)の属性があるが、SNSでよく使われている「たくさんの友達」とはどの程度の規模を指すのだろう。石器時代、ひとつの部族はマックス150人だったらしいし、アフリカなどの原住民の部族の単位は30~100人単位。核家族化が進みひと家族が3~4名、3世代なら4~6名となる。この規模で現代人は仕事をして日常生活を過ごしている。
 さて、この現代の「たくさんの友達」とはどれぐらいの人数だったら一般的に心地いい数値なのだろう?SNSの中の友達の数、ツイッターのフォロアーの数、実際記憶しているリアルな友達の数。「友達」の価値を決める優先事項が「よりたくさん」ではないはず。さらに、インターネット上の「知人」を「友達」と認識するための条件とは何だろう?お互い「いいね!」を一回でもスタンプしたら「友達」なのか?お互いラインのIDを持ち、端末同士つながっていれば「友達」なのか?原始の時代、文明もなく大自然の中で暮らしていた人々のコミュニティーの単位は150人だった。そこから人間の本質は変わっていないのだから、当然、具体的に意識できる人数は現代でも150名ぐらいだろうと思います。進化したの文明なのですから。さらに、その中で自分の「友達とは?」と目をつぶり頭の中に浮かぶ顔は7名ぐらいだ。この数値が多いのか少ないのかは気にしていないし、「友達の数」をそもそも気にしても仕方ないと思っています。さすがに「友達0人」は厳しいかもしれないし、私が「友達」だと思い込んでいるだけで、相手にしていればただの「知人」だということも充分にありえる。だから、結局、「友達のたくさんさ」を気にしても仕方ないのです。
 つまり、「たくさんの友達」というフレーズを突き詰めて考えると、曖昧であり正解はないので、気にしても意味がないという結論に落ち着くのです。
 原始の時代、さて、「友達」という価値観はあったのだろうか?もしかして、「友達」も文明のワンピースかもしれないですね。

「インターステラー」DVD

interstellar_dvd.jpg

 早速、アマゾンでBDを予約しました。発売日が待ち遠しいです。

お値段がつく情報とは。

 すでに情報は氾濫している。マスメディアの枠を超え、そのスピード感さえ凌駕するマイメディア。これらの飽和した情報の中に、さて、お値段がつく情報があるか?という最大のテーマ。これがSNSの持つ現代の最重要問題です。マスメディアがマイメディアの後続に収まってしまっている以上、先行する情報の鮮度は高いとして、です。鮮度がビジネスに変換されるためにはそこにかならず「なぜ?」や「どうして?」が必要になってきます。端末から無作為にあふれる情報を価値ある情報に変換する術(テクニック)が必要なのですね。このリテラシーはどこにあるのか?ネットにある一方通行の情報ではディテールがない。どれだけ鮮明な画像であろうが、奇抜で飛び抜けた映像であっても、常に伴う「なぜ?」と「どうして?」が解決されなければ正解に遠い。
 「知る」ための仕組みや文明はこのまま増幅・増殖すればいいし、ビックデータがサーバに蓄積されること自体は有益なことだが、そのデータに属性を持たせ整理・精査され、有益な情報だけを抜き取るテクニックが必要なのです。
 一見、マスメディアから受けていた啓蒙が解れマイメディアが代行していると捉えることもできるが、実は、情報は解れたままなのです。しかるべき誰かの情報である根拠や背景に信頼度を見いだせるか否か。つまり、情報の分析・分解と再構築のテクニックが必要なのです。このテクニックがあってこそはじめて飽和する氾濫する情報を有益な情報に変換できる。ただ、本来、このアプローチにはマニュアルも正解もないので個人の備えているモラルや能力がこれを誘うという仕組み。
 代価の基準や相場は現在いたるコミュニティーで生まれつつある過渡期だけに、分析力や編集力や再構築力を高めておくことが、情報のお値段と密接に関係がある。
 ややこしい分析をしましたが、これまさに「デザインの仕事」でずっとやってきたこと。つくる人の条件にドンピシャでマッチします。より少なく、そしてより良く。ひとつひとつ丁寧に情報を解いて紡いで解いて紡いで。

感情的になるとは?

 こころの状態を自分のこころが感じている以上、なかなか正確(客観的)に捉えることが難しいです。ただ、客観的という言葉の使い方を知っているだけにとてもさらに複雑です。通勤途中、日常生活、会社での仕事現場、常にこころは何かしらの波風をたてていて、あらゆる情報や状況に敏感にレスを返しています。不満、怒り、不快、いらいらなど絶えることなく常に。これらをすべて拒絶してシャットダウンすればこころは晴れるのでしょうか?そうでもないようです。こころが感じる刺激にはいいことと悪いことがあります。そして、脳(こころ)は常に自己評価において優先順位を瞬時に判断し、本質(好み、損得、正誤)を見極めています。そして、優先順位の下位を忘れていく仕組みです。いつでもニュートラルな状態を維持することができれば、「あんな失敗」や「こんなトラブル」や「もっと追求できた」こともあるでしょう。しかし、こころは自由に情報に対して上下し浮沈を繰り返す。感情的にならないなために、こころのスイッチをオフにすればいいだけだということに対しても当然一喜一憂喜怒哀楽が作用しています。
 ただ、ひとつ確実なことは感情の起伏は時間の経過と共に自然とおさまるということです。イライラもワクワクも時間の経過が解決しフラットなレベルにしてくれるということです。しかし、感情的なスイッチが入り、さらにその感情を増幅させるタイプはこの感情がおさまることなくいつまでも不安定な状態を続け、さらに大きな失敗やトラブルを自分で招いていると言えます。
 「まぁ、いっか!」と気分転換をするテクニックが高い人は状況判断が早く対応力のあるタイプです。いつまでも同じことを根に持ち理屈や道理で世の中に対する遺恨を保持している人は、気づきも有益な実感も快活で軽快な思考も自分で放棄しているとも言えます。こころは時間と共に自分の本来のレベルに沈静化してくモノ。氾濫飽和する表面的な情報の中から本質を見極めるテクニックがあれば、いつでもベストコンディションであらゆる状況に対応できるでしょう。「そんなの理想だ。そんなに簡単に処理できれば苦労はしないよ。」という道理や理屈から一旦距離を置き、自分のこころのニュートラルポジションから情報や先入観を捉え、日常生活を仕事を人生を前向きに送りたいです。

 私自身、どちらかと言えば、「堪忍袋の緒がない。」タイプなので、この努力はひと一倍こころしていますが、なかなか難しいです。ヨーダのように本質のフォースを使いこなすためにも、常にこころとこころのバトルは続くのです。

固定台到着。

metanoia150212.jpg

 本日、工房にすえる作業用固定ツールが到着。さてこれで準備ができましたので、まず、「ナイト」をつくりたいと思います。

ワンオク「35」最高でした。

 ワンオクのニューアルバム「35」があまりにも素晴らしかったのでその感動をモチベにして、イラスト(ペン画)を描きました。

 まず、鉛筆で下書き。

works15021101.jpg

 ペンを少しづつ入れていきます。

works15021102.jpg

 デフォルメをしながら描いているのでアレンジを加えていきます。

works15021103.jpg

 これ以上描いていくと真っ黒になるので、ここでストップ。

works15021104.jpg

 あとは気が向けばカラーインクなどで彩色していきますが、まずは完成。下描きからここまで約3時間です。

424回のテクニック。

 納豆を究極に美味しく食べるためには納豆をかき回す回数が424回がベストだとのこと。実験の結果、この回数(定数)が割り出されているとしても、この回数に魯山人を組み合わせるのはいかなものだろう?まぁ、魯山人と言われても個人的にあまり興味はないから424回の信憑性に疑問を抱くのだが、魯山人ありきの人ならば、もしくは、「魯山人です。」というテイがベクトルにマッチしているタイプなら、この424回は究極の数になるという仕掛けなのだろう。納豆は美味しくいただきたいタイプだが、個人的には約30回ほどでいいと思います。

 ただ、424回を納豆を高速でかきませるテクニックとなると美味しい美味しくないに関係なく、確かに優れたテクニックだと思うし、私のように無頓着から約30回ほどかき混ぜて美味しいと感じるタイプと、しっかり424回かき混ぜて「美味しい」と感じたいタイプの間にはテクニックの重要性に明確な温度差がある。テクニックって「狙い」や「目的」に合わせて上下に変化する。それは個人差だから仕方ないのだが、狙いや目的が同じ、もしくは、同じ以上を目指しているのならテクニックも同様に「以上」を同軸で求める必要があるようです。「より早く」「より深く」「より広く」に限らず、テクニックを追求することとは、結果、「狙い」と「目的」次第なのです。

 やはり、より美味しく納豆を食べたいのなら、424回がベストなのだろうか?

H.T.M.L.METANOIA#001

metanoia150207.jpg

 ハンドメイド工房用のツールを集めています。まずは石と木を削って研磨して加工して作品づくりから始めたいと思っています。

ドラゴン映画パンフレット。

dragon_150207.jpg

 アマゾンで映画「ドラゴンタトゥーの女」の中古パンフレットを発見。早速、購入しました。探したぜ!この一冊。この質感、手元に置いておきたい一冊です。

35 ONE OK ROCK

ONE-OK-ROCK-TOUR-2015.jpg

 2月11日待望の新アルバムがリリースされる。当然、アマゾンで予約しているから11日にDVD付きで到着する。さらに、ツアーが決定しているので大阪城ホールにも行く。日本の音楽シーンが放浪・迷走・劣化している中、彼ら4名の邁進・猛進・直進は止まらない。さらにこの新譜でそれが加速することは間違いないだろう。その軌跡と奇跡をライブ会場で実感できること、これが唯一無二の実感であり、決して、デジタルデータがデバイスを介して伝わる情報ルートの太さには収まらない、その場所にある膨大なリアリティーを個体の五感と体感で感じたい。その後でどんな野となり山となるかは考えず、自身が思う方向へのみ足が向けるよう、余計なリミッターを排除すること。がんじがらめのSNSのITリテラシーにちょっとでも窮屈さや退屈さを感じている人ならば、順回転のトルクが見えるはずだ。見たいモノと見ているモノの相違点、聞きたいモノと聞こえてくるモノの相違点、味覚も嗅覚も触覚も同じ。いやいや、今から大阪城ホールライブに対する無類の期待が高揚が止まらない。

九頭竜湖駅のつらら。

kuzuryuko_eki150204.jpg

 昨日は打ち合わせで福井県和泉村へ行ってきました。2メートル近い雪の壁にはさまれながら車で走っていると、自分の身長ほどのつららがいたるところにできています。このつららはJRの九頭竜湖駅のホームで発見したつららです。日中は少しづつ溶け始めて雫が落ちていましたが、夜になればその雫が氷りさらに長く太くなっていくのでしょう。北陸自動車道の福井インターから車で約1時間の福井和泉村。北陸方面からも岐阜方面からも車で2時間以内圏という、大自然を満喫するにはちょうどいい距離感。エリア限定ですが三葉虫の化石に容易に出会える場所もあり、アウトドアを満喫するには最高のゾーンです。

 この九頭竜湖駅もレトロ電車マニアの人達の満喫スポットらしいです。いろいろなタイプの旅人が集い交流している素敵な素敵な福井和泉村です。

ナルト完結。

naruto150204.jpg

 「ナルト」が完結した。この15年間、これほど楽しめた漫画は他になく、子どもの頃ならまだしも、大人になってから、ここまでも心を引き寄せられ続けた作品だっただけに、この完結は非常に寂しい。また、新しい岸本先生の作品を楽しみに待ちたい。

 この15年を振り返るといろいろな展開がありましたが、その中でも私個人のベストの戦いはこの3つです。

 第3位はナルト 対 ペイン(長門)
 第2位はイタチ 対 カブト
 第1位はサクラ+チヨ婆 対 サソリ

 この他、魅力的な登場キャラが目白押しだったのですが、私個人のベスト3はこの3つです。

 また、第1巻からゆっくりと読み返したいです。このレベルの物語にはもう出会えないだろうから貴重な貴重な完全永久保存版です。最終コミックスを買うまで封印していたジャンプ本誌のバックナンバー5冊もやっと封印を解けます。

山ノ下湾へ。

biwako150201.jpg

 冬の琵琶湖も美しい。雪の合間に見せる想い表情も私は好きです。3月になればバス君とまた琵琶湖で遊びたいですし、バス釣りを通じていろいろなプロフェッショナルな人達との情報交換は楽しい。楽しくしっかりルールを守りモラルを意識してバスフィッシングを今シーズンもいっぱい楽しみたいです。2015年も1ヶ月が過ぎてしまったがまだバス君の顔は見れていない。来週あたり、このポイントで一匹目に「あけおめ!」と言いたいものだ。とても魅力的なフィールド、山ノ下湾の午後の風景写真でした。

失敗作。

daishippai150131.jpg

 いくら最新のパン焼き機でもイースト菌を入れるのを忘れるとこうなるというサンプルです。これは誰の作品か?それは絶対に口が裂けても、お伝えすることはできませんできません。

NEVER GIVE UP!

golf150131.jpg

 ほぼ年1回の恒例の極寒ゴルフ。この季節にゴルフをやろうってんだから寒いのは仕方ない。仕方なないがあまりにもこの状況はボトムだ。早朝、長浜を出発する時から雪が降り出し、コースに到着するとボボボタン雪。コースは一気に真っ白に。コンペを予定しておられた団体は続々とキャンセルして帰っていかれた。支配人クラスの人に「今日は無理ですかねぇ~」と恐る恐る聞くと、「いやいや、雪雲は薄いですし、日がさせば雪は溶けますし、グリーンは雪が小降りになれば水をまきますから、今の段階では100%クローズではないですね。」と、ほぼ100%クローズ感満載のコメント。しばらく待っていると確かにボタン雪は止まり雪の粒が小さくなる。しかし、風が吹き出した。気温は1度。スタート待ちの人たちも半分ぐらい帰っていくなか、私はストーブにあたり身体を温めながらテンションを切らないようにしていたら、不意に青空が出て雪も確かに溶け始めた。アナウンスがあり今からグリーンを整備しますから、1時間遅れぐらいでスタートしますとのこと。しかし、雪はしんしんと降り続ける。
 結果、予定通り1時間遅れでスタートできたのですが、ほぼ全面雪が残り、フェアウエイは半分以上、水たまりができているし、そうでないところも芝生は枯れてそのままヌルヌルの地面というセッティングで18ホールをラウンドしました。時折、3回ほどボボボボタン雪に見舞われグリーンは真っ白になる。パットのボールは雪だるま状態。風も雪も結果止むことはなく18ホールが終了。

 ゴルフ場の配慮でランチチケットとコーヒーチケットに合わせて新品のボールも2個サービスで頂いた。にしても、クローズ紙一重のラウンドでした。こんな状況でまとなゴルフはできるわけもなく、悲惨なスコアでしたが、なんかここまでひどい状況になると、逆にモヤモヤすることもなく、吹っ切れた精神状態でハイ状態になり楽しかったという捉え方もできなくないかなという一日でした。

 やはり、ゴルフはフカフカのフェアウエイから緑色のグリーンを狙いたいものです。

 メンバーの皆様、本当にお疲れ様でした。皆様と一緒だったから楽しく、最後のホールまでネバーギブアップで18ホール目にたどり着けました。ありがとうございました。

 もう、これ以上のボトムな状態・状況でゴルフすることはないだろう。ちなみにスコアはジャスト100。このスコアがいいのか悪いのか誰にも分かりません。

 10ヤード先が雪で見えない状況でショットを打つ経験。なかなかできるものではありません。