2015年03月 アーカイブ

伊吹山へ。

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 ここ数日の暖かい気温で白いモノがなくなりかけています。伊吹山とて冬場は危険だからと、カミさんに解禁してもらえませんでしたが、白いモノがなくなればサクっと登ってこようと思っています。冬場もトレーニングは欠かさなかったので、サクサクっと。

素敵な練習場。

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 土曜日ラウンドするコースの練習場です。素敵素敵。しっかり打ち込んでラウンドへ。

ぶれる。

 「方向性がぶれる。」「戦略がぶれる。」「スイングの軸がぶれる。」と言いますが、一度、確定したかに思えたことが何故ぶれるのか?ビジネスの現場でも日常生活の些細な場面でも、ゴルフのスイングについてもこれは大きな問題です。大企業が経営方針について各部署で会議をし、そこで決定した案を上層部に持っていく。役員会や株主総会でもその経営方針案について議論・協議し、最後はトップが結論を下すという流れ・構造でも、ワンマンなトップがいる企業と、各派閥が蠢いている企業とでは、当然、議論・協議の密度や速度が異なり、最終的に確定する経営方針の質も異なる。2つのタイプのトップを比較して、どちらがいいのか悪いのかではなく、本来は企業の本質と組織力とトップの資質がマッチしていれば、恐らく企業の経営方針が大きくぶれることはないのだと思います。
 しかし、個人スポーツ競技の世界やクリエイターの世界では、社員も役員も株主もいないので、常に決定は自分一人でしなければならない。特筆して「スイングの軸がぶれる」という引用で言えば、絶好調のプロゴルファーがパットやドライバーや体調管理やメンタル管理を理由に絶不調になることはよく聞く。あんなに綺麗な理想的なスイングをしていたのに、予選を突破できなくなる。いつでも優勝争いをできるような油ののっているような体制に見えて、スコアは見事に浮沈を繰り返す。これは何がぶれているのだろう?プロゴルファーの生活リズムや練習の質など詳細は分からないが、プロとしてスポンサーを背負い、成果を出すべく努力するレベル・クラスのプロでさえ、簡単にぶれるのです。
 私の実感で言えば、もがいて苦悩すればするほど、ぶれてほしくない部分がぶれる。守ろう、確定しようとすればするほど、理論も体感もほつれ、ぶれはじめる。こレが確証だ!とガッツポーズをした瞬間からその確信がぶれるのです。だから、いつの頃かあまりガッツポーズはしなくなった。よほど嬉しいとき感動的な時ぐらいに右の拳を固めるぐらい。このような小さな努力もむなしく、心やテクニックや理論・理屈は常にぶれる準備をしているのです。ひらきなおることもできず、さりとて、固めることもままならないこの心やテクニックのぶれとはどうつきあうべきなのか?永遠の課題、永遠のテーマです。これを解決・解消してくれる本を入手したいです。

 でも、ぶれたくないという一心でリサーチし購入した本って応急処置には有効なのですが、結果、ガッツポーズと同じで読み終えた瞬間から次のぶれが生じる。だから、次へというこのループも止まらない。結局、ぼぉ~としているのが一番よく、情報を遮断して孤立している人が一番ぶれない仕組みなのかなとも考えてしまいますが、心で生きている以上、マシンではないので完璧にぶれを停止することはできません。逆にぶれや摩擦や誤差やバッファを利用して前に進む思考力やテクニックを見つけることができ習得することができれば、それがベストテクニックなんだと思います。自分のニュートラルポジションが実感できればそのテクニックが見えてくるような感覚です。

クーリエ・ジャポン5月号

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 「頭のいい人」の条件が変わったとのこと。仕事が消える時代に必要な「頭の良さ」とは?「クリエティブな人」を育てる米国の大学の授業を覗いていみた。トップランナー7人に聞く「私が考える頭のいい人」。情報に踊らされてしまう人、不要な情報を「捨てられる人」。あなたも「頭がいい人」になれる!と、なんとも刺激的なフレーズのオンパレードである。恐らく理論タイプ・記憶力タイプから臨機応用なクリエティブタイプへの進化を啓蒙しているのだろう。ただ、仮に世界が捉える頭のいい人の古い条件と新しい条件が変わったとしても古い条件でも新しい条件で頭がいいとされる人はいたはずで、まず、古い条件で新しい条件の頭のいい人が「頭がいい」と呼ばれなかった評価されなかった理由を紐解いてほしい。単純な肯定否定ではなく、何がどのようになんのために変化・進化したのかという流れをまず知りたい。古い条件の時代以前には、いったいどうだったのか?もしくは、古い条件と新しい条件は長い時代の流れの中で交互に浮沈を繰り返しそのサイクルの中で次は「新しい条件」なんだとしたら、重要なポイントは頭のいい悪いではなく、この変化にある。時間の経過と共に時代の流砂と共に変化は必然だろうから、古きを知り新しきを知ることや、捨ててはいけないモノ(変化してはいけないモノ)と、捨ててもいいモノ(変わらなければいけないモノ)の違いを明確に分析してほしい。と、そんな内容をこのマガジンには期待します。今の段階ではこの雑誌は「買い」だが、書店でチラミしてあまりにも断片的な実例の列挙だけで編集としての考察が軽ければ買わないだろう。

ある意味エキスパート。

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 アウトドアにデジタルツールを持ち込み活用している人はアウトドアのエキスパートなのか?デジタルツールのエキスパートなのか?どっちらだろう。エキスパートというのは何か得意で特異な分野に秀でている人のはず。しかし、現代ではアウトドアでデジタルツールを活用する人をエキスパートと呼んでしまうのもアリなんだ。確かに登山していて遭難したりケガをして救急の連絡は携帯電話を活用しなければならないし、GPN機能のあるスマホがあれば道に迷っても正しいルートを確認できる。しかし、どこか何かおかしい気がする。雑誌が特集で「アウトドアで役立つデジタルツールの本」などキーワードを放てば、アウトドア思考の人間もデジタルツール思考の人間も引き込め一石二鳥なので切り口としては非常に有効。しかし、モノホンのアウトドアのエキスパートとデジタルツールのパワーユーザー達は、この相反する切り口の提示に正しい反応するのだろうかという疑問が私は拭えない。そもそもこのマガジンの主旨は何なのだろう?アウトドアファンをデジタルツールの世界に引き寄せたいのか?デジタルパワーユーザーをアウトドアに誘いたいのか?いやいや、いずれも中途半端なアウトドアにもデジタルツールにも精通していないユーザー層に訴求するための切り口なのか?
 雑誌でよく「アナログvsデジタル」なんて切り口をよく見かけるが、なんで「VS」なのか?分けたいのかひっつけたいのか?とにかく混在混同させて、一旦、思考をとりあえずシャッフルさせて、やっぱ、私達の言っていることが正論でしょ!?と持っていきたいのだろうか。だとしたら、この切り口を打ち出した人達が一番のエキスパートだ。
 恐らく、この記事を書くためにどこかの山でスマホやタブレットが実際、役に立ったのだろう。「おお!これは役立つツールだ!」今回のテーマはこれでいこう!的な編集会議があったのだろう会議室で。いやいや、アウトドアなんだから、どこかの山でお互いに活用してみて、「やっぱり、アウトドアにはデジタルツールだよね」ってことになったかもしれない。いずれにしてもこの感覚は、どういう意味が適正なのか私には不明だが、ある意味エキスパートな人たちだと思います。

 どこからデジタルツールでどこからアナログツールなのかって判断に迷うところですし、感覚的に個人差もあるでしょうが、エキスパートなんだから迷ってちゃダメでしょ!?ってこと?そもそも、どこから先が「役立つ」なのか?どこまで精通していれば「エキスパート」なのか?ということの疑問のようなので、ここまでいろいろ心にひっかかってしまうと、逆に書店でこのマガジンを探してしまいそうです。

釣りが面白い理由。

 以前に糸井重里さんのバスフィッシングに関する書籍を読んだことがある。バスフィッシングが何故面白いのかについて糸井さん独特の切り口でご自身がビギナーの頃から手記をためておられ、釣り場に通う時の思いやブラックバスを釣り上げ、上達していく流れを書いておられた。少し古い書籍だったので、テクニックは少し現在の主流から古い印象を受けたが、糸井さんのバスフィッシングに対する熱意やこだわりは書籍の随所にちりばめられていた。
 現在、琵琶湖を中心に時間をつくってブラックバスを釣るためにフィールドに出向くのですが、経験はそこそこあるものの、深くは探求していないので釣果はそれに見事に比例している。バスボートで毎週琵琶湖に出撃している仲間やエレキで週末ごとにフィールドのチェックを欠かさない釣り仲間などに比べると、私のバスフィッシングに対する取り組み方や姿勢は「ボチボチ」レベルなのだと思います。つまり、タックルも「ボチボチ」、頻度も「ボチボチ」、熱意も「ボチボチ」、だから、釣果が「ボチボチ」なのです。
 そんなバスフィッシングライフなのですが、大会となればテンションがあがります。バスフィッシングに突っ込んでいる仲間達は大会にいい結果を出すために毎週フィールドに通い、ポイントとチェックして、リグやタックルの研究に余念がない。一方、私はすべてが「ボチボチ」だけど、「勝ちたい」というバランスの悪い姿勢で欲望だけでテクニックやタックル装備が伴わない状態。当然、勝てる脈は限りなく0%に近いのですが、それでも大会当日は勝負師の一員のような顔で湖に乗り出す始末。
 釣りが面白い理由はこのように、「突っ込み方」に個人差があり、バスフィッシングをする目的やスタイルも千差万別なのが面白い最大の理由だと捉えています。同じ条件はまずありえないし、それぞれのタックルやテクニックや経験値も千差万別。ブラックバスを釣りたいという思考も目的がいろいろあり多種多様。でも、目的は「ブラックバスを釣る」ことただひとつ。
 どのような気持ちでどのような工夫でフィールドに入るのかは十人十色だけれど、狙う獲物はブラックバスオンリーというこの様々な理由とひとつの目的が、アングラー意識の不思議な協調性というか共感・信頼関係を生み出しているのです。何をどう工夫してどんな幸運に恵まれようが、釣れたブラックバスはリアルに1,200g!とか55cm!とか見事に数値化され、ビギナーズラックの55cmも、エキスパートの55cmも同じバス君なのです。
 世の中(琵琶湖周辺)には世界レコードを目論見、突き抜けた釣りを展開しているハンターもいれば、タックルやルアーのチューニングやコレクションに余念のないアングラーもいる。いずれも頭に描くのはブラックバス。
 一方、ブラックバス達はそんなアングラーの想いや狙いなど無関係で水の中でひたすらご自身の人生、いや魚生をまっとうしている。あるエキスパートアングラーが「バスフィッシングって結局、どんな試行錯誤をしようが、出会いと間合いなんですよね。」と言っていた。全く、バスフィッシングは面白過ぎるのです。

ACT-WEBをリニューアル

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 ようやく、新サーバに移転しドメインの移管が完了。そして、これを機にWEBサイトデザインを一新しました。まだ、本体リンクページ内は作成中ですが、この中にこれまで盛り込めなかった情報をいろいろいろと掲載・公開していきます。やりたかったことがたくさんあるので、やっと入れ物が完成した実感です。新しくデザインテクニックに関する記事や情報などもアクトの公式ブログもつくったので、このノギスブログと合わせていろいろ新しい情報を発信し紹介していこうと思っています。

気持ちいい~!

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 実は勝率はまだ20%前後なのですが、こうして華麗にチェックメイトが決まるととてもスッキリします。プログラム相手にとは言えなかなか楽しいチェスゲームです。これからどんどんレベル(現在レベル10段階の2レベル)を上げていき勝率も高めていきたいものです。チェスは楽しい。

ポジション。

 例えば、ゴルフの練習場に行くとネットが広がる空間に練習打席が一列に並んでいます。ゴルフを始めた頃、吹田に住んでいたので吹田市の練習場や江坂の練習場に行っていました。クラブも会社の借り物でとにかくボールを打つ練習をする目的でした。初ラウンドを強引に上司に決められてとにかくボールを前に打つ練習。ぶっつけ本番でも仕方ない状況でしたが、一緒にゴルフを始めた仲間と練習場に通い、近くのショートコースでラウンド経験を実感するという準備をしていました。まともにボールは当たりませんし、クラブの知識もスイングの知識もまっさらなビギナー状態。当然、自信のカケラもありませんから、練習場に入るとすでに一列に並んで、ボールを軽快に打っている人達がとてつもなく上級者ぞろいに見える。そんな上手い人の間に挟まれて練習するのははずかしいので隅っこへいき練習をしていました。この状況ってゴルフに限ったことではなく、サラリーマンデザイナーの頃は経験が浅いと会議の席も末席あたりで目立たないポジションを選び、発言も控え気味。経験値のあるディレクターがグイグイと企画会議を進めるのについていくのが関の山。まともな意見も言えず企画主旨や会議の流れを経験することだけで精一杯。これはビギナーのポジションです。
 学生の頃も始めてのアルバイト先では経験者からの指示のまま言われたことを忠実にできるようにとだけ集中して、極力ミスをしないようにと心がけているだけでいっぱいいっぱい。業務の流れやトラブルの回避など気がまわるはずもない状況です。と、経験値が浅かったりスキルが低い時って、人って自然と控えめなポジションに身を置きます。逆に控えめなポジションにいる人を見ると、「あれ、この人は経験があまりないのかな?」とか、「まだこの人は自信がなさそうだから、応援してあげよう」などと勝手に思ったりするものです。
 経験やテクニックが身についてくると自然とそんな外のポジションから中心へ移動していくもので、ゴルフの練習場の場合は、上手い人の間でも、中央部分の打席でも、あまり回りの人達を気にせず打席を選びマイペースに練習するようになりますし、会議の席でも上の席や中心に自然と座るようになり、当然、意見や会議の進行に関するようなことにも配慮できるようになり、企画の流れに対してもいろいろな角度から意見を言えるポジションに座ります。このように趣味の世界でも仕事の現場でも自分のポジションっていうのは自身の経験値やテクニックを自己分析した上で決めてる傾向が強く、自身振り返ると武骨で無神経そうに見えて意外とビギナーの頃は空気を読んでデリケートだったと振り返っています。この「自信」ってあまり年齢に関係なく年配の人でも経験の少ない人は自然と受け手に回ったり、年下の人でも経験値や自信がある人とコミュニケーションしているとグイグイ提案や意見で切り込まれたりするものです。こんな時は空気を読みすぎて自分のポジションが分からなくこともあり、自分のポジションを見極めるってとても難しい。主張もしたいけれど恥じもかきたくない複雑な自我との和解点を見つけるのは非常に難しく、多様なケース・状況に合わせてこうあるべきだなどという処世術の書籍もたくさん読みますが、当然、正解のない世界ですから、自分なりに試行錯誤してアンテナを高くしてそれぞれのケースに合わせた自分の適正なポジションを見つける必要があるようです。
 家庭でも父親のポジションが昭和の時代から落ち気味だとテレビで報じられたり、新聞・雑誌で書かれたりしているのを読むと、「へぇ~世間一般にはそうなんだ。」と妙に関心しながらも違和感を感じたりするものです。自身の「父親像」など明確に持ってはいないし、とにかく自分らしく立ち振る舞いたいとしか考えていません。50歳になりデザイナーとしてクリエイターとして社会人としても、こうあるべきだというテンプレートは世の中にいろいろ存在しているようですが、この部分についてもあまり関心は薄いです。反発するつもりも容認するつもりもなく、常にニュートラルに自己評価をしながら、適正な関係性をそれぞれに築いていければそれがベストなんだ、それがベストポジションなんだと思います。
 いやいや、人間、50歳になるとこんなことばかり考えてしまうのです。ただ、20代30代の頃よりは少しばかり経験もありいろいろなテクニックもあると自負があり、こんなことを考えることが楽しくなっている実感もあります。

 ちょっと今日は長い独り言(心のつぶやき)でした。

藤原ゴルフクラブ

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 うん、この最初の5ホールがこの日のスコアを決める大切・重要なホールになりそうです。素晴らしいコースです。楽しみ楽しみ。頑張ってベストスコアを更新しよう!

映画「ジュラシックパーク」

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 昨晩、久しぶりにDVDで映画「ジュラシックパーク」を観た。マイクル・クライトンの小説を新宿の書店で初めて発見して読んだのが1992年頃。映画を見たのが確か1993年だから、かれこれ23年前の映画である。マイクル・クライトンの小説はそれ以前にも好きだったし、よく読む海外のSF小説の中の好きな作家のひとりでした。しかもモチーフが「恐竜」となればそれだけで興奮し、書店で初めて上下巻を発見したときの感激は今でも覚えていて、その後もこの諸説は読み返しています。この夏に公開される「ジュラシック・ワールド」の公開のニュースをテレビで知り、昔の興奮を思い出しながら、そして、新作をいろいろと想像しながら鑑賞しました。
 まったく古さもなく、直線的なスピード感溢れる物語の強さもあの頃のまま、むしろ、改めてCGやクラフトで復活したティラノザウルスなど動きや存在感に改めて圧倒されてしまいました。20年以上前の作品なのに全く劣化していない映画。海外にはこのレベル・クラスの映画が圧倒的に多いように感じます。特にSFのジャンルは秀逸な作品が多いと思います。あと少しで発売日の「インター・ステラー」にしても壮大なドラマとサイエンスの融合は劇場で観て大正解でした。
 一方、日本の映画は何故こうもスピンオフが多いのか?テレビで俳優女優が登場して紹介するような映画はすべて「長いPV」です。旬なアイドルの脇を固める俳優らしき人達と一時の浮世を流す興行成績狙いの仕組みが生み出す映像作品。今、公開されている日本の映画、さて、20年後にどうなっているのだろう?絶対に観ることはないだろう長いPVを何故つくるのか?永遠に残る残すための映画を何故つくらないのか?つくれないのか?つくれない社会構造なのか?
 映画に登場した琥珀の中の蚊を見ながら、どこか自然の摂理を無視し、瞬間風速だけを想定した悪循環を感じました。観ないからつくらないという仕組みを根底からリセットするためには、手塚さんや石ノ森さんや宮崎さんのような人が次々と登場してこなければならいのでしょう。

 いやいや、「ジュラシック・ワールド」楽しみです。

 ちなみに上の写真は私が子どもの頃、すりきれるまで見ていた図鑑にあった恐竜の足跡で遊ぶ子どもの写真。ここから恐竜の虜になってしまったわけですが、人間は地球の歴史にどんな足跡を残すのでしょうね。

新社会人。

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 新社会人の皆様が新しい職場での希望に胸をふくらませていることでしょう。不安と期待の混在した複雑な心境なのでしょう。これまで学校で得た知識や経験を糧に各自のポテンシャルが試されるのでしょう。頭で考えれば、気負わずニュートラルに冷静に沈着に謙虚に軽快にという言葉が数珠のように連なって心の中に呪文のように浮かんでいることでしょう。失敗を恐れず大胆に若者らしく大きな目標に向かってなどと、50歳のおやじが考えることなどさて置き、現代の若者達はときに冷静に、ときに情熱的にこの社会を分析・洞察しておられることでしょう。だから、おやじもこの季節には冬に蓄積したガスを抜くべく、何歳になってもリセットできる体制をkeepしたいと自身を無理苦理、発奮・高揚させています。固執するのも簡単ですし、経験だけに重点を置き後ろ体重になることも簡単です。しかし、春なんだから、気持ちも身体も発起し前体重にしようと思っています。
 学生の頃は何かと複雑な優劣のモノサシにさらされ数値的な比較に一喜一憂、喜怒哀楽が多かったことでしょうが、社会に出ればベテランも中堅も新社会人も同じステージ上でフラットです。最後はポテンシャル勝負の世界なのですから、その覚悟さえあれば渡る世間の鬼たちからいい評価が得られ、気がつけば自身がたくましい鬼になっていることに気がつくでしょう。いつもこの季節は新宿のドアーズのドアの前に初めて立った日のことが思い出されます。

春っすね。

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 今年は雪の多い冬でしたが、いよいよ春がやってきました。毎年この時期になると感心するのですが、秋に葉が枯れ落ち、冬には雪を受けながらじっとしていた植物が、少しづつ新芽を出し活性が上がります。この季節は生命感をふとした街の風景の中に発見してしまいます。毎年のことなのですが、植物はそのサイクルを絶対に崩さない。このサイクルを繰り返しながら少しづつ少しづつ幹や根を太く大きくしているのです。そんなことを考えているだけでも、しんみりと春を感じてしまいます。はじまりとか別れの繰り返しに感傷的になる前に、淡々と季節と共に「繰り返す」という単純なことを人間はもっと意識するべきなんじゃないのかなと思います。
 人間の心や身体はちょっと動き過ぎるのかもしれません。

北欧テイスト

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 北欧テイストのデザインには独特のテイストがあり、「お洒落さ」や「いい感じ系」の代名詞のように捉えられてる。実際イケアの店内を購入目的でなくともぶらぶら歩いているだけで、不思議と心地いい気持ちになります。もう理屈や道理ではない「心地よさ」が北欧テイストのデザインにはあるのです。では、純和風と北欧風の違いは具体的に何だろうと考えてみると、配色だったりフォルムだったり機能性だったり、また、その組み合わせ方にポイントがあるようです。しかし、この部分についても明確に文字にして違いを列挙することは難しく、やはり、テイストやフィーリングなど非言語の部分で「どこか違う」としか解釈することができません。ヨーロッパやアメリカのデザインの歴史はいろいろな分析や書籍を読んでも体系化されていることが多く、「ああ、そうなんだ。」とデザインとその言語的評価を比較して、自分自身の自己評価と比較してきました。頭で考える部分と心で感じる部分なのでしょうが、この捉え方をしている段階ですでに頭で考えているわけですから、同じように北欧テイストの心地良さを分析・洞察するモードではないとなります。ただ、北欧風デザインを生み出している人にしてみれば恐らく「北欧風デザインをつくるぞ!」とは意気込んでいるわけではなく、自然体で心が感じた絵柄やフォルムや色彩を個々のテクニックで生み出しているだけとなるでしょう。本質の部分というか、先天的な生まれ持った感性に後天的な気質が融合しその独特のテクニックを得て、そこから生まれてこそ、はじめてテイスト感やフィーリングが醸し出せるという仕組みなのでしょう。
 2次元の世界から3次元の世界へ創造のステージを変える時にもこの本質と気質を充分に実感できていなければ、世の中に飽和する情報や数多のテンプレートにその本質や気質が影響を受け、本来のテイストへたどり着けないまま、中途半端なチュートリアルレベルの完成度に失速していくのでしょう。その失速感に支配されないように、独自のスタイルと感性で最後まで自分の狙い通りの成果物を生み出せるまで疾走するために、推進力としてのテクニックは必須となるのだと思います。
 実際、北欧テイストのデザインを自分のデザインの仕事に転用しようとしても、本質で受け入れられていなければ取り込めるはずはありません。恐らく、海外の方が日本のデザインや生活様式に無類の興味を持たれるのはその本質に心が惹かれている証なのでしょう。インターネットで世界が小さくなりこれまでの情報技術では知ることが触れることができなかったテイストを視覚的に聴覚的に知る機会が増えましたが、本質を感じ取る、つまり、その成果物が醸し出す空気感や作者の狙いを伝えるにはまだ微弱な伝達経路だと思います。目視し手にとり鼻で嗅ぎ耳で聞くことでしか本質のスイッチはオンにならないような仕組みなのだと思います。

加速装置。

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 元来、何事もそそっかしく、おてんばな気質の私は、思考も行動も落ち着きがない。東京で仕事をしていた頃は会社の同僚に「堪忍袋の緒がない。」と言われたように切れるまでもなく、どうやら、気質的には「堪忍袋」本体のようなところがある。いやいやこんな気質では失敗の連続だし、いつか致命的なミステイクを犯すかもしれないと、慎重に謙虚に優等であることを目指してはいるが、いかんせん、本質はおてんばなもので「折り合い」が難しい。では、この気質が仕事面でどう作用しているのか?という疑問がずっとありました。だから、このタイプの書籍が気になるのでしょう。この書籍は読めば、「そんなつまらないことを考えず、あなたはあなたの気質のままどんどん加速してくださいね。」とでもいう内容を発見できたら嬉しいのですが。さてさて、この書籍は「じゃ!どうする?どうしよう?」ってマイティーロングフォールな気持ちになるのです。

 とは言え、結果、やっぱ買うのですが。

マグネット。

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 カミさん曰く「しょうもないモノ」が私の身の回りには多いと。しょうもないのか否かは価値観の違いとしても、自分自身が心を動かされたモノに対して、しょうもないと評価されるのは自分自身の感覚や判断力に罵声を受けているようで辛い気持ちになる。この商品の価値が分からないのはセンスがないからだなどと気分次第の水かけ論で鎮静することは簡単だが、そうではない、「しょうもないモノ」という評価について、デザインの仕事やアート的な捉え方や解釈論理を適用すると、共感できない表現や機能性はすべて「しょうもないモノ」となる。しょうもないという評価は劣悪なのか?拒絶なのか?無関心の対象として評価されているのか?など、ここをなんとか自分の中で整理したいのですが、ここも実際よく分からない。「価値がある」と「価値がない」の間にはどれだけの深いクラック(氷の亀裂)なのだろう。例えば、私自身は「酸素」はしょもなくないモノだし、「ダイヤモンド」もしょもなくない。しかし、「カーナビ」「ブランドの時計」「高額なフレンチ」はしょうもないモノと解釈してしまう自分のような資質(捉え方)は、やはり、一度、クラックの中へダイブして確認してくる必要があるのだろう。若い頃なら、クラックをジャンプ一番、飛び越えることができたのだろうが、この年齢(50歳)ともなればその跳躍力はない。さらに目視確認できないそのクラックの暗部が無性に気になる年齢でもある。勇気を振り絞りクラックにダイブして虎の子がいればいいのですが、氷層まで戻れず凍死の危険性もあるわけで非常に難しい判断なのです。まだ、凍死はしたくない。

新MACノート到着。

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 確かにどのパソコンメーカーにもない空気感がMACにはある。現在の仕事のプラットフォームはWIN90%:MAC10%の割合になってしまったが、一見の容姿には秀逸なクリエイターを高揚させる何かがある。以前、その何かがデザイン性だと思っていた頃はWINの機能性を劣等と捉えていた。感性で勝負している人間が機能性に走るのはいかがなものか?と。しかし、MACの機能性が劣悪だったというわけではなく、結局、メディアから送り出させる戦略イメージと単純な価格比較でWINに移行したわけで、改めて新しい最新のMACノート本体を見ていると、その美しいデザイン性と質感に高揚してしまうのは、デザイン性や機能性の単純比較ではなく、それらを含めた存在感の違い、質量とでも言うのか、気配とでも言ったらいいのだろうか、とにかく、ツールとしてデザイン性や機能性のその先にある何か特異な刺激を感じる。しばらく冷却期間があり自分の中のMAC感が少し枯渇していたのかもしれない。
 言葉にならない、道理や理屈では解釈できない部分を刺激するMACはやはり秀逸なツールなのです。

ガーディアン達。

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 宇宙を守るガーディアン達。なんとも特異で印象的なキャラ達です。最初は「とりあえずチェックしておこう」レベルでレンタルしたDVDでしたが、鑑賞後はこのキャラの魅力にかなり、かなりトリツカレテしまいました。「なぁ~んだ、CG使ったアライグマじゃん!」「へぇ~、木のキャラって意外だけど・・・」ぐらいの映画を観るまでの印象でしたが、いやいや、いやいや、なかなか、これが、なかなかのキャラ設定なのです。
 とてつもなく強い宇宙の支配者が登場して、宇宙船がドンパチやって、結果、意味不明の強烈なビームを放ち、悪者が爆発する、みたいなスペースアドベンチャーノリだと思っていましたが、それぞれのキャラが際立つ感じや、全体の映像のノリやセンスがこれまた秀逸。映画を観るまでは、どんなことがあってもこの作品はDVDは買わないだろうと思っていましたが、最近、ジワジワと「DVDの購入もアリかな?」とボディーブローのように効いてきている作品です。
 迂闊にも、想定外にもハマってしまった非常に「味のあるSF作品」でした。

アン・ハサウェイ

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 あと3週間後に到着する予定のDVD、映画「インター・ステラー」のヒロイン、アン・ハサウェイ。これまで出演された映画の役柄をチェックすると、いろいろなタイプのヒロイン役を演じています。強い女性、繊細な女性、キュートな女性、妖艶な女性。映画を楽しむ時、ヒロインの存在はとても大きいと思います。興業成績や監督や製作会社からの想像できないような高い複雑な要望や期待を背負ってカメラの前に立つという女優というお仕事。世界トップレベルの作品に出演するって、幸運も実力も世界トップレベルなわけで、容姿の美しさと人間的な女性としての内面の魅力もすべて含めて、兼ね備えて併せ持っているということの証なのでしょうね。バットマンシリーズで魅了されてから、今後の作品の展開がとても気になる女優さんです。
 映画「インター・ステラー」DVDの到着が楽しみです。

伊庭内湖初日。

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 3月15日(日)、早朝に能登川の伊庭内湖に行くと、昨年、いっしょに大会に参戦していたエキスパートがぞくぞくと集結。「新年、あけましておめでとうございます!」と、今シーズンのワクワクする初日を共感しました。今年もこのフィールドで全6戦が秋まで開催されるわけですが、私も今シーズンはなんとか全戦に参加していい結果を絞り出したいです。そして、11月のファイナルに参戦できるように頑張りたいと思っています。
 という意気込みの伊庭内湖初日でしたが、釣果は0匹。バイトもなかったですし、くにさんのエレキの裏にちょこんと乗せて頂き、フィールドに出ただけという結果でした。でも、いよいよ始まるんだという実感が湖面に出ると湧き上がります。初戦は4月5日(日)ですので、気負わずにいい釣りをして、いい結果を出したいと思っています。

琵琶湖にて

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 3月14日(土)は釣り仲間の方のバスボートで琵琶湖に出ました。朝から雨模様で湖面は少し荒れ気味でしたので、バスボート湖面を走っているとそのスピードと波の上下で水平に走るジェットコースター状態でした。まだまだ加速しそうな勢いの中、顔にあたる雨が痛くて寒くて人生2回目のバスボートは大変、貴重!?な体験でした。釣果はこの季節は期待できないので、結果、3時間ほど釣りをしましたが、ノーバイト・ノーフィッシュでした。また、暖かくなったら爆釣を期待しております。本当にありがとうございました。
 しかし、バスボートってほんとにバスフィッシングのステイタスシンボルですね。

常識を疑う。

 日経新聞の一面にこんな記事がありました。「働きかたNEXT常識を疑え 豊かさ・充実感・・・若者移る」というタイトルの記事でした。その概略は東京から飛行機と列車で6時間、人口が10年で2割減った過疎の町で古本のネット販売をする32歳のお話。東京から1時間半の浜松市で創業16年のソフト開発会社。この会社は海外の大手を顧客に事業を展開している。また、札幌から地元に戻り起業した39歳の男性は「自然に近い環境でライフスタイルを提案したかった。」という思いで洋服店を展開している。このオーナーの考え方やビジネススタイルを発信源に移り住み雑貨店やカフェを開店する動きが活発なったらしい。その展開が話題となり町の人口が増えた。東京から移住し2013年にホテルの運営をはじめた34歳の男性は「仕事は忙しいけど家族と過ごす時間を増やせた。」とのこと。

 東京の魅力を感じなくなった若者が仕事のやりがいと豊かな生活を求めて地方に移っているという主旨の記事だった。明治大学教授の小田氏はゆとり、充実感、人生に何を求めるかという発想を持つ人にすれば、地方は新たな仕事に踏み出す格好の舞台となるとこの記事をしめている。

 最近の若者が地方へ移住し独自のスタイルで仕事とやりがいのある豊かな生活を求めているという
ことを知り共感を感じました。地方への移住ということは定年退職した年配層が悠悠自適の生活を求めて移住するというニュアンスではなく、仕事も生活も田舎でリセットしようとするスタイルのようです。自分自身、同じような考えて21年前に滋賀県に移住したことも時代は変われども同じ目的でした。「仕事とやりがいのある生活」が何故東京では手に入れられなかったのかについては明確にその理由を思い出すことはできませんが、ただ、いつの時代も「常識」という考え方・捉え方があり、常識を疑って地方に移住したわけではなのですが、「東京」に対する期待を持ち移住したモノが、次の段階で「地方」に期待する思考に変化した何か理由があるわけですから、その部分がとても興味があります。

 振り返ると自分自身、いろいろな葛藤があり迷いや不安もありましたが、「東京」を離れた、「都会」を離れるにはデメリットもあったでしょう。しかし、メリットも自分自身で実感できていたから行動できたのだと思います。その行動に確固たる自信や戦略があったかと言えばそうでもなく、迷いや不安の方が大きかったはずです。この記事に紹介されている30代の皆様も同じ迷いや不安を抱えて移住し、現在、新境地を切り開いておられるのでしょう。つまり、「「逞しい人」とは常識を疑い行動できる人」なんだとこの記事を読み感じました。

伊庭内湖初戦4月5日(日)

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 4月5日(日)に開催される7パームスさんのバスフィッシング大会の会場、伊庭内湖をグーグルマップで見ると意外と狭いエリアのように見えるのですが、手こぎボートで5時間、ブラックバスを追いかけているとあっという間に過ぎてしまいます。

 釣れた時はサイズが上がらない、釣れない時はどこにキャストしても反応がないという、楽しい5時間のゲームフィッシングなのです。釣れても釣れなくても「釣り」なのですが、同じ日、同じ時間帯に40~50名のアングラーが同時に出撃して、釣れる人と釣れない人が明確に分かれてしまう現実の中にいることが、ゲームフィッシングの楽しさのひとつ。

 まだ私は2013年の10月の大会と2014年の5回の計6回しか伊庭内湖の大会に参戦していないので、暗中模索状態です。それでも2015年は初戦からしっかり参戦する予定です。気まぐれなブラックバス相手にその日の釣れるパターンを一投一投、丁寧に探しながら、上位の結果を目指すしかないのです。一見、こんなめんどくさい挑戦は無謀極まりないとも感じますが、この地道な挑戦がいつか必ず来るだろう勝負を決めるビックバスへの伏線だと妄想すると、それだけで楽しい。そのビックバスに出会うために、ただ気持ちを込めてポイントにキャストするだけなのです。

 ビックバスに出会うための唯一無二の「マジックキャスト」をもとめて、このフィールドにバス釣りバカ達(私も含む)が集うという仕組み。あと1ヶ月、楽しみです。