マグネット。

magnet_gazo150316.jpg

 カミさん曰く「しょうもないモノ」が私の身の回りには多いと。しょうもないのか否かは価値観の違いとしても、自分自身が心を動かされたモノに対して、しょうもないと評価されるのは自分自身の感覚や判断力に罵声を受けているようで辛い気持ちになる。この商品の価値が分からないのはセンスがないからだなどと気分次第の水かけ論で鎮静することは簡単だが、そうではない、「しょうもないモノ」という評価について、デザインの仕事やアート的な捉え方や解釈論理を適用すると、共感できない表現や機能性はすべて「しょうもないモノ」となる。しょうもないという評価は劣悪なのか?拒絶なのか?無関心の対象として評価されているのか?など、ここをなんとか自分の中で整理したいのですが、ここも実際よく分からない。「価値がある」と「価値がない」の間にはどれだけの深いクラック(氷の亀裂)なのだろう。例えば、私自身は「酸素」はしょもなくないモノだし、「ダイヤモンド」もしょもなくない。しかし、「カーナビ」「ブランドの時計」「高額なフレンチ」はしょうもないモノと解釈してしまう自分のような資質(捉え方)は、やはり、一度、クラックの中へダイブして確認してくる必要があるのだろう。若い頃なら、クラックをジャンプ一番、飛び越えることができたのだろうが、この年齢(50歳)ともなればその跳躍力はない。さらに目視確認できないそのクラックの暗部が無性に気になる年齢でもある。勇気を振り絞りクラックにダイブして虎の子がいればいいのですが、氷層まで戻れず凍死の危険性もあるわけで非常に難しい判断なのです。まだ、凍死はしたくない。