映画「ジュラシックパーク」

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 昨晩、久しぶりにDVDで映画「ジュラシックパーク」を観た。マイクル・クライトンの小説を新宿の書店で初めて発見して読んだのが1992年頃。映画を見たのが確か1993年だから、かれこれ23年前の映画である。マイクル・クライトンの小説はそれ以前にも好きだったし、よく読む海外のSF小説の中の好きな作家のひとりでした。しかもモチーフが「恐竜」となればそれだけで興奮し、書店で初めて上下巻を発見したときの感激は今でも覚えていて、その後もこの諸説は読み返しています。この夏に公開される「ジュラシック・ワールド」の公開のニュースをテレビで知り、昔の興奮を思い出しながら、そして、新作をいろいろと想像しながら鑑賞しました。
 まったく古さもなく、直線的なスピード感溢れる物語の強さもあの頃のまま、むしろ、改めてCGやクラフトで復活したティラノザウルスなど動きや存在感に改めて圧倒されてしまいました。20年以上前の作品なのに全く劣化していない映画。海外にはこのレベル・クラスの映画が圧倒的に多いように感じます。特にSFのジャンルは秀逸な作品が多いと思います。あと少しで発売日の「インター・ステラー」にしても壮大なドラマとサイエンスの融合は劇場で観て大正解でした。
 一方、日本の映画は何故こうもスピンオフが多いのか?テレビで俳優女優が登場して紹介するような映画はすべて「長いPV」です。旬なアイドルの脇を固める俳優らしき人達と一時の浮世を流す興行成績狙いの仕組みが生み出す映像作品。今、公開されている日本の映画、さて、20年後にどうなっているのだろう?絶対に観ることはないだろう長いPVを何故つくるのか?永遠に残る残すための映画を何故つくらないのか?つくれないのか?つくれない社会構造なのか?
 映画に登場した琥珀の中の蚊を見ながら、どこか自然の摂理を無視し、瞬間風速だけを想定した悪循環を感じました。観ないからつくらないという仕組みを根底からリセットするためには、手塚さんや石ノ森さんや宮崎さんのような人が次々と登場してこなければならいのでしょう。

 いやいや、「ジュラシック・ワールド」楽しみです。

 ちなみに上の写真は私が子どもの頃、すりきれるまで見ていた図鑑にあった恐竜の足跡で遊ぶ子どもの写真。ここから恐竜の虜になってしまったわけですが、人間は地球の歴史にどんな足跡を残すのでしょうね。