ポジション。

 例えば、ゴルフの練習場に行くとネットが広がる空間に練習打席が一列に並んでいます。ゴルフを始めた頃、吹田に住んでいたので吹田市の練習場や江坂の練習場に行っていました。クラブも会社の借り物でとにかくボールを打つ練習をする目的でした。初ラウンドを強引に上司に決められてとにかくボールを前に打つ練習。ぶっつけ本番でも仕方ない状況でしたが、一緒にゴルフを始めた仲間と練習場に通い、近くのショートコースでラウンド経験を実感するという準備をしていました。まともにボールは当たりませんし、クラブの知識もスイングの知識もまっさらなビギナー状態。当然、自信のカケラもありませんから、練習場に入るとすでに一列に並んで、ボールを軽快に打っている人達がとてつもなく上級者ぞろいに見える。そんな上手い人の間に挟まれて練習するのははずかしいので隅っこへいき練習をしていました。この状況ってゴルフに限ったことではなく、サラリーマンデザイナーの頃は経験が浅いと会議の席も末席あたりで目立たないポジションを選び、発言も控え気味。経験値のあるディレクターがグイグイと企画会議を進めるのについていくのが関の山。まともな意見も言えず企画主旨や会議の流れを経験することだけで精一杯。これはビギナーのポジションです。
 学生の頃も始めてのアルバイト先では経験者からの指示のまま言われたことを忠実にできるようにとだけ集中して、極力ミスをしないようにと心がけているだけでいっぱいいっぱい。業務の流れやトラブルの回避など気がまわるはずもない状況です。と、経験値が浅かったりスキルが低い時って、人って自然と控えめなポジションに身を置きます。逆に控えめなポジションにいる人を見ると、「あれ、この人は経験があまりないのかな?」とか、「まだこの人は自信がなさそうだから、応援してあげよう」などと勝手に思ったりするものです。
 経験やテクニックが身についてくると自然とそんな外のポジションから中心へ移動していくもので、ゴルフの練習場の場合は、上手い人の間でも、中央部分の打席でも、あまり回りの人達を気にせず打席を選びマイペースに練習するようになりますし、会議の席でも上の席や中心に自然と座るようになり、当然、意見や会議の進行に関するようなことにも配慮できるようになり、企画の流れに対してもいろいろな角度から意見を言えるポジションに座ります。このように趣味の世界でも仕事の現場でも自分のポジションっていうのは自身の経験値やテクニックを自己分析した上で決めてる傾向が強く、自身振り返ると武骨で無神経そうに見えて意外とビギナーの頃は空気を読んでデリケートだったと振り返っています。この「自信」ってあまり年齢に関係なく年配の人でも経験の少ない人は自然と受け手に回ったり、年下の人でも経験値や自信がある人とコミュニケーションしているとグイグイ提案や意見で切り込まれたりするものです。こんな時は空気を読みすぎて自分のポジションが分からなくこともあり、自分のポジションを見極めるってとても難しい。主張もしたいけれど恥じもかきたくない複雑な自我との和解点を見つけるのは非常に難しく、多様なケース・状況に合わせてこうあるべきだなどという処世術の書籍もたくさん読みますが、当然、正解のない世界ですから、自分なりに試行錯誤してアンテナを高くしてそれぞれのケースに合わせた自分の適正なポジションを見つける必要があるようです。
 家庭でも父親のポジションが昭和の時代から落ち気味だとテレビで報じられたり、新聞・雑誌で書かれたりしているのを読むと、「へぇ~世間一般にはそうなんだ。」と妙に関心しながらも違和感を感じたりするものです。自身の「父親像」など明確に持ってはいないし、とにかく自分らしく立ち振る舞いたいとしか考えていません。50歳になりデザイナーとしてクリエイターとして社会人としても、こうあるべきだというテンプレートは世の中にいろいろ存在しているようですが、この部分についてもあまり関心は薄いです。反発するつもりも容認するつもりもなく、常にニュートラルに自己評価をしながら、適正な関係性をそれぞれに築いていければそれがベストなんだ、それがベストポジションなんだと思います。
 いやいや、人間、50歳になるとこんなことばかり考えてしまうのです。ただ、20代30代の頃よりは少しばかり経験もありいろいろなテクニックもあると自負があり、こんなことを考えることが楽しくなっている実感もあります。

 ちょっと今日は長い独り言(心のつぶやき)でした。