2015年04月 アーカイブ

まったく。

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 まったくもって、言葉で捉えようとする気持ちが消し飛ぶほどの圧倒的なイメージ。さらに、作家様ご本人(関野智子様)とも会場で出会えるというサプライズもあり、自分の浮かぶ言葉の貧弱さに、ただただももどかしさが募る。岡山県総社市、うん、あなどれない。「これが芸術だ!」などとも言いたくなくなるほどの存在感でした。これがアートに対する正しい反応なのだと思います。

 余談を言えば、造形作品が展示された屋内・屋外にまったくもってアートに無縁のご年配が、目の前の作品を無視してまるでゲートボール場のような会話をしておられた。会場内のベンチに座り、おにぎりを食べているご年配の皆様方の方が、よほどアートな存在だった。これは新しいタイプの呼吸する造形作品!?と思えるほどの違和感。どっちがアートなのか?と。まったく、不思議な空間でした。

言葉はいらない。

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 まったく、言葉で捉えるスキがない。

平田氏の作品と記念撮影

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 昨日は高速で岡山県総社市まで行ってきました。往復10時間の運転の疲れを見事に相殺する程の多くの刺激が総社(会場)には充満して漂っていました。目的を持って指針を持って動いていると、絶対に何かを獲得できるもの。例えそれが狙いでなくとも、それ以上の発見や出会いが多いのもその効果。平田氏の作品の前で記念写真です。いろいろな出会いがあり、人と人の間合いってタイミング次第なんですね。つまり、一期一会ってことを改めて実感しました。それぞれの作品の前に立つと作家の存在を感じます。いつまでもこの存在感を敏感に感じられる人間でいなくてはならないという緊張感もあり、もっと力を抜いて語り合いましょうよ!と呼びかけてくれる作品もありました。その場所にはその場所にしか存在しない量子・粒子があるようです。嗅覚次第なのですね。

いい天気でした。

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 福井県、前坂キャンプ場さんにて。とても気持ちのいい一日でした。

渓流の中。

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 昨日は福井和泉(九頭竜)に行ってきました。この写真は前坂キャンプ場前の渓流の水中写真です。カメラを水中につっこんでシャッターを切るだけなのですが、そのたった数秒で氷水のような冷たさに手が痛くなる始末。何回かトライしてこれがまずまずのカットでした。深い山の中、まだ、そこかしこに残雪が残り、新緑もまだチラホラでした。このゴールディンウィークにはこのキャンプ場でチェンソーアートの大会が開催されます。豪快な作品づくりのシーンを映像で撮影してこようと思っています。楽しみです。

 ふと、キャンプ場のフロント施設の片隅を見ると、猪の頭蓋骨を発見。う~ん、欲しい。

陽気な1年に。

 昨日、テレビで「陽気な国ランキング」というアンケート結果を紹介していた。ダントツ1位はブラジル。なんかよく分かる。ブラジル人の友人はいないが、印象として陽気のカタマリのようなイメージです。アンケート結果も45%で、このブラジル人に対する陽気な印象は国際的にも確定事項なんだろう。陽気にもいろいろあるから、陽気だからなんだ?というひねくれた捉え方もできるが、私は陰気よりも陽気な方が好きですし、何事にも陽気で楽天的でありたいと思っていますから、ブラジル人の本質的な陽気さ加減が大好きですし羨ましい。

 一方、日本人はといえば、お約束の最下位で4%だった。恐らく下位だろうなとは思っていたが、最下位だとは、ちょっと、ショックでした。恐らく「勤勉」「実直」「まじめ」あたりの印象が日本人の印象なのだろうし、その評価というか捉え方は適正だと思いました。しかし、最下位なのです。この結果を陰気な日本人はテレビで見て、不思議ポジティブ思考に捉えて「陽気=無能」「陰気=有能」などという閉鎖的な断片的な方程式で捉えているから、気質・本質が世界的に「4%」という評価として数値化されているのでしょう。

 奇しくも昨日は私の51歳の誕生日でした。多くの方からSNSを通じて「お誕生日おめでとう」メッセージを頂いた。ほんとに嬉しい。あまりよく存じ上げない方からも頂いたが、やはり、うれしい。あるデータで世界中のサーバに保存されている一番多い言語は日本語だということらしい。ブログやSNSがそれほど活発だということだろう。対面ではないモニターや回線を介したコミュニケーションが本質的に好きだという証拠。私自身、8年ほど前からこのブログを初めて、顔の見えない方とのオンラインのコミュニケーションを実感したのですが、楽しいか?楽しくないか?で言えば楽しい。楽しいのですが、その楽しさは対面で馬鹿言い合う楽しさや、山や湖に出かけて仲間達と騒ぐ楽しさとはちょっと異質で、確かに楽しいのですが、心が震えないという実感があります。「言葉」は感情を適度に刺激はするものの、本質的に「入ってこない」曖昧なモノです。それを感情で捉えるものの、自身の感情も存在していない曖昧なモノなので、感情ゾーンの「楽しい」からレベルが上がらない。嬉しくて感謝しきりなのですが、心が震えないのです。

 逆に私も誰かに同じことをしているということなのですから、デジタル全盛時代のコミュニケーションテクニックは難しい。まぁ、などと独り言を言いながらも、この1年、できるだけ陰気な感情はオフにして、陽気な一年にしたものです。明るく元気で活動的な51歳にしたいと思っています。

 というか、この文面がすでに陰気ですね。陽気テクニックがまだまだ未熟・未開だということです。

 まぁ、「決定を下す必要のない時は、決定を下さない必要がある。」ともいいますから、陽気に捉えていきたいと思います。何事も本質的に。

MACノート

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 娘のお下がりを仕事で使っています。決して快速ではないが、確認用として、また、MAC-OSに特化した機能を使う程度にはちょうどいいマシン。ほんとに欲しいのは「ゴミバコ君」だから、これは私のマシンの中では7番バッターぐらいの存在です。意外な場面で適正打を打ってくれれば監督(私)は満足です。

ニコン一眼レフ

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 これいいな。現在、キャノンを使っていてなんの問題もないのですが、「なんの問題もない」だけなのです。これが意外と実際、使い始めると言葉で表現できない違和感が生まれ、「愛着」になりにくい。仕事で活用するツールだから、「なんの問題もない」で充分なのですが、さらに、何かが足りない感覚になってくるのです。やっぱ、カメラはニコンかなというなんの根拠もないのですが、使いたくなるという仕組み。これがブランド効果なのか先入観なのか固定観念なのかバイアスなのか、言葉にはできないゾーンなのです。一度、モノホン実物を量販店の売り場で手にしてみようと思っています。

ああだの、こうだの。

 気がつけばもう5月まじか。昨年10月、大野ダムでチビブラックバスを釣ってから1匹も釣っていない。まじか!?いかん、非常にいかん。釣り場に行けていないのも非常にいかんし、釣れていない結果もいかん。こんな時はいろいろ余計なことを考えてしまうもので、新しい道具を揃えようとか、次、釣り場に行ったとき、大会の時には「ああしよう、こうしよう」に惑わさされて釣りにならない状況に陥るのです。素直に釣りを楽しめない状況を自分でつくり、自分の首を絞めている。頭デッカチになり、戦略ばかり考え過ぎて現場では空回り。悪循環である。恐らくこの心理状態でフィールドに行っても、いい魚に出会えることはない。釣りってそういうモノです。と、大したテクもタックルもないことが一番の要因だと分かっていても、自分を過大評価して、それが一周回って楽しいという摩訶不思議な趣味の世界。釣れれば楽しいが釣れなくても「楽しかった」という予防線・保険をかけている。「ああだの、こうだの」状態では特にこの傾向が顕著で、釣り場に行ってルアーはキャストしているが、実は釣りは成立していない。当然、釣れないから理由を原因を考える。考えたところで原因はひとつ。ルアーを投げているポイントにバスがいないのです。それを「ああだの、こうだの。」考えていることだけに囚われ、実際に手が動いていないのです。ああ、バス(ルアー)釣りって深い。
 意外とこの悪魔の方程式が仕事でも作用するから怖い。

やりよる!

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 Googleのヘッダーアニメ画像。なかなか、やりよるやりよる!このテイストはいい。アクトのトップページにもこんなテイストのアニメをつくってみよう。さて、何でつくるか?FLASHか?SHADEか?AFTER EFFECTSか?それともペン画か鉛筆でアナログパラパラ風か?チューブで白い紙にリアルな目玉焼きやワインのボトルを描いたりする映像を見たが、あれもいいな。Googleさんはほんとに楽しさのストライクゾーンが明確ですね。ディズニーを復活に導いたピクサーの社長が「哲学はアイディアよりも人」だと言っていた。正に!

ロープは押せない。

 もともと、思考を整理することが得意ではない私がたどり着いた思考術のバイブルの中に、「マーフィーの法則」という書籍がある。「理論で対応できることは理論領域だけ」なのである。お互いの曖昧な感情を理解し合うために、互いの理論コンディションを整えても、双方に曖昧な感情は遺留する。伝えられた(受け取った)情報だけをパーツに再構築したモノは歪でいつか分裂する。しかし、イメージで捉えた情報は時間の経過と共に心(頭)の中に刻まれ物語になる。伝えるためには理論とイメージを時間軸の上に並べ、物語にするしかないのです。だから、「ロープは押せない」のです。

大阪デザインフォーラム2015

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 日本の、大阪の、デザインの今が実感できることを期待しています。

 早速、下記のWEBサイトからエントリーさせていただきました。

http://www.oua-designforum.com/

ONE DAY

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 なるほど。

 ヘップバーンの映画は主要な作品しか観ていないが、アンさんはそのルートを超えたのかもしれない。これはとても偉大なことです。ファン心理というのは恐ろしいモノで、過去と今の比較をその利己的な偏見で捉える能力がある。この比較はもう比較ではなく、唯一無二の存在にまで引き上げてしまう崇拝なのです。勝手に本動や王道を自分の中に引くようです。「好き」以上、何かを捉える強い気持ちはなく、理論や慣習や法典が例えマントルのようにゆるがない絶対普遍の存在だったとしても、ファンは今、目に映る五感が感じる情報を絶対的な普遍だと捉える。って、そんなことはすべて後付けですから、こうもギコチナクなる。曖昧な感情を文章化しなければその熱量は冷めないのですが、共有したいとか反応が欲しいと欲張りになった瞬間、理屈が生まれ熱量が奪われる。

 なるほど、このワンシーンがその断片なのですね。

マーフィーの法則

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 22年前に買った本。デザインの仕事の醍醐味に取り憑かれた頃、ちょうどこの法則に出会った。この曖昧なようで真理のような法則、科学のような宗教のような文学のような哲学のようなこのテイストに、今も取り憑かれている。

 「失敗する可能性のあるものは、失敗する。」か。

 何故、このテイストは古くならなのか、最近、少し分かったような気がします。

リンゴの花02

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 我が家のりんごの木。昨年、初めて花をつけた。今年はさらに多くの花をつけている。見事に満開である。りんごは結実するのだろうか?楽しみです。

Self-confidence, have groundless.

 山頂が見えている、しかし、ルートが見えない。これは非常に不安な状況です。安全ルートが情報としてない状態だから、どんなリスクが行く手を阻むか予測不可能。しかし、山頂が見えているのだから、登るためのルートを切り開くことができれば、頂きに立つことができます。根拠はないけど自信がある状態を「無謀」「楽天的」「考えなし」と他人に思われても、自信があるのなら登り始めればいい。岩肌の登り方、雨風の対応策、熊の撃退方法、なんでもその場に出くわさないと起動しないテクニックがあり、困難なケースを乗り越えてこそ本物のテクニックが身につくというもの。

レミゼラブル

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 なんとまぁ、強烈な役どころでした。ただ、「へぇ~ラッセル・クロウもヒュー・ジャックマンも歌うんだ」みたいなおどろきが最後の最後までおさまらず、ずっと違和感を感じていました。しかし、重要なポイントはあくまでもアン・ハサウエィさん。悲哀と希望を混在させた演技とそのキュートさ加減のバランスは、うん、申し分なしでしで、美味しくいただけた映画でした。ワンシーンワンシーンが油絵のモチーフになりそうなほど、切なく美しい構図の絵づくりでした。次は現代の「恋愛モノヒロイン作品」を借りてこよう。プラダじゃない方の別の作品です。

バスボート!

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 こんなバスボートで釣りをできたら最高でしょうね。って、私はあまりエンジンモノには興味がなく、こんなボートに乗って琵琶湖でバス釣りをすることはステイタス感いっぱいなのですが、自分で買うという願望がありません。いつか「買ってもいいかな」という経済状態になれば検討するかもしれないですが、それでも私にはちょっと贅沢品です。そんなお金の余裕があれば恐らくヒマラヤに行くだろう。この疾走感は確かに心が震えますが、実際、バスボートの助手席に乗った時は別の心が震えましたから、ああ、私はこの商品に選ばれる人じゃないのかなと感じちゃいました。

南森町へ

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 昨日はお仕事で南森町と梅田へ。天気もよく気持ちのいい一日でした。

いい感じの琵琶湖

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 年間、四季折々、琵琶湖の表情は多彩です。すっきり青い空が広がり対岸がクッキリ見えている風景も好きなのですが、私はこの写真のような状態の琵琶湖も好きです。ガスで対岸が見えない、映画のファーストシーン、いや、ラストシーン用にスモークを炊いたような幻想的なイメージ。湖面にはさざなみもなく微風が吹き、小さく水面がうねっているイメージ。多彩な琵琶湖の一面の中でも、私が好きな琵琶湖のワンシーンです。

携帯ソーラーパネル

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 こんな商品があるんですね。ちょっと気になります。

ゴーンガール

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 まず、何故?フィンチャーは「ゴーンガール」だったのだろう。これが映画を観終わった時の素直な感想でした。この「何故?」の中には物足りなかったという実感も含まれているのですが、いやいや、あのフィンチャーの最新作品なのだから、「物足りない」と感じてしまう自分自身の鈍感さが問題で、もっとしっかり感じなければこの映画の本質は理解できない実感できないのかという感覚もある。映画の紹介情報を印刷物で確認すると「ミザリー」や「氷の微笑」が引き合いに出されていた。いずれも観ているのですが、これらの作品と比較すれば「ゴーンガール」の真価が実感できるのだろうか?とも考えました。

 しかし、まだ、確固たる分析もできないまま、やはり素人なんでしょう、物語の経過や主人公・登場人物の心理の経路を辿ることしかできません。もしや、フィクションのようなノンフィクションタッチを狙ったのだろうかとか?深層心理の探りあいが生み出す誤差みたいなモノと現実日常生活の隙間を描写したかったのだろうか?などとも考えていますが、まだモヤモヤしています。心から愛している最愛の人に対する想いと現実の違い。利己的な人間の本質が生み出す言動や行動の複雑さと予測不可能なパターンをフィンチャーはテーマに選んだのだろうかなどと考えています。複雑怪奇な映画でした。

11アンダー、5位。

 過去、マスターズや4大メジャーで優秀な成績を残した日本人の、その試合後の表情はとても清々しい偉業を達成したぞ!、という表情が多かった。確かに日本人の最高位レベルの戦いはテレビで応援していても最高にドキドキしたし、偉業であることには間違いないのだから納得。今回のマスターズで日本からの参戦は現在アメリカのトーナメントで戦っている松山君ひとり。当然、すでにアメリカで1勝しているその実績と、今シーズンの成績結果を踏まえてメディアもマスターズの優勝候補としてあげている。それ自体、すでに、日本人のこれまでの枠を超越していている破格な状況なのだが、本人にしてみれば、メディアの評価など関係なく、完璧にメジャーで勝つことを見据えている。

 明らかに過去の日本人が上位に食い込んだ時の表情と松山君の表情は違った。

 その象徴的なシーンが、4日間のプレイを終えた直後の松山君の表情です。芹沢プロが「お疲れ様でした。」と声をかけると、いつもの武骨な松山君のまま、ちょっと苦笑いで「ありがとうございます。」と一言。中島プロからの最高の賛美の言葉もあまりピンと来ていない表情。インタビユーが終わると同時に松山君の表情はさらに無骨さを増していた。このたくましい表情から、松山君はガチでマスターズの優勝を獲りにいっていたのだと感じた。

 いつか近いうちに4大メジャーで松山君が優勝した時、松山君はどんな表情をするのだろう?もしや、泣くのか?いやいや、今回の苦笑いと同じ武骨な表情で、メジャー2勝目を狙うことだけを考えているかのような表情で蛋白なインタビューになることだろう。

 饒舌なリップサービスもなく、特にメディアに対して英語でサービス精神を示すこともしない。なんとも侍なのですね。恐らく、21歳の伯爵に負けた悔しさだけが松山君の頭の中には充満していたのだろう。なんとも逞しい。

自己新。

 陸上をやっている娘が昨日の記録会で100mと200mの自己新を出した。冬の間、厳しいトレーニングを続けてきた成果である。自身も中学の頃は野球をやりながら大会の時だけ陸上(短距離)をしていた。高校時代も冬のトレーニングは厳しいトレーニングだった。私は野球のセンスがなく中学生の時に陸上の練習で太ももを故障したため、中学後半から高校時代はまったく、みじめな想い出しかないので、中学・高校と陸上を頑張っている娘が公式の記録会で自己新を出したことは、自分のこと以上に無類の喜びです。

 社会に出るといつも仕事に追われ「自己新」と無縁になる。当然、年収で一番になれるはずもないし、デザイン力で日本一になれる脈もない。毎日、仕事を頑張っているし、貪欲に知識やテクニックを向上させようと努力しているが、やはり「自己新」とは無縁の生活サイクルです。たまに山に登り体力・気力を曖昧に実感するレベルだから、何か具体的に挑戦したいと考えているが、適正な舞台もそうそうあるわけではない。だから、なんでもいいから「自己新」を意識できる挑戦をしたいものだと常に気持ちだけは虎視眈々なのです。

 年々、視力も知力も低下している中、体力も比例して決してずば抜けたモノでもないし、テクニックを磨こうにもひとつのテーマ・ジャンルに夢中になれる状況でもない。いずれにしても中途半端で曖昧な時間を過ごしていることが、なんとももどかしいです。

 これが一般的には普通なことなのでしょう。しかし、何か自分の好奇と熱意をぶつけられるステージが欲しいと思います。この歳になるとその選択肢も限定されますし、なんでも「ホドホド」「ボチボチ」レベルで終わりがち。突き抜ける感覚をなんでもいいので実感したいです。

 あ~あ、あと10日で51歳です。トホホ。

フリ、ボケ、ツッコミ。

 関西の「フリ、ボケ、ツッコミ文化」は世界に誇れるとても魅力的な文化です。私はベタな関西エリアで育ったわけではないですが、子どもの頃からテレビで観ていた漫才やお笑い人のテクニックはどこか自身の本質の中に組み込まれている実感がある。テレビコンテンツとしてのお笑いには関東と関西の二つのタイプが存在していますが、圧倒的に関西のノリは完成度が高い。何事にもホットな関西とクールな関東というスタイルはそのエリアに暮らす人びとの日常生活にしっかりと根付いた文化であり慣習だと言えます。ユーモアが分かる人と分からない人の決定的な違いはなんだろう?そんなことを考えて何の意味がある?で、だから、なんなのか?ユーモアのセンスが商売や学業にどんな効用・作用があるのか?考えれば答はいろいろ想起できるものの、そんなこと実はあまり意味がなく、あくまでも、たかが「ノリ」、されど「ノリ」なのです。この「ノリ」について東京で仕事をしている時はスイッチがオフだった。郷に入っては郷に従うのごとし、意味のないフリをしても有益なボケは返ってこなかった。
 東京から大阪に仕事場を変えた時、必然的にスイッチがオンになった。関西で暮らしている人の全員がこの機能を持っているかは疑問だが、老若男女、この機能は多かれ少なかれ装備している。このリズム・テンポ・コンビネーションを史実として残したいものです。
 海外のユーモアの文化も多彩ですが、関西の笑いのノリはいつか近いうちに体系的にまとめてみたいテーマですね。って、それはなんのフリ?お前はマジメかぁ!

物語01

 断片的な情報や理論ひとつひとつに背景やディテールなどの物語があります。誰かに何かを伝えようとする意図や狙いが情報や理論に心を宿す。時間経過や相互の関係性をしっかり伝えたいのならば、ただ、正論や情報の羅列や精査では工夫が足りない。例えそれが事実であれ想像の産物であれ。物語をつくる心が大切なのです。現在に残る多くの偉大な成果物の中には、逸話や武勇伝など物語として残っているモノが多いのもうなずけます。物語こそがこの情報時代に最も有効な伝える手段なのです。最近、ある書籍を読んだことがきっかけで、改めてそのことに気がつきました。「確かに」「そう言えば」「なるほど」という実感です。デザインの仕事に長年携わってきて、「伝える仕事」の価値を改めて実感しています。

ブラント博士。

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 4月7日にアマゾンからDVD「インターステラー」が届いた。特典映像満載の初回限定版ブルーレイイです。最近は映画館に行く機会が少なくなっていたのですが、この映画は予備知識も公開前の情報などもほとんど知らずに「ふらり」とチョイスした映画でした。それだけに凄まじく強烈に心が揺さぶられたという始末。映画を観て即予約したDVDでした。原作本も2回連続読みDVDの到着を心待ちにしたほどです。
 すべて素晴らしい作品だったので、何がどういいかなどと一般人が語れるはずもなく、ただただ、素晴らしいとしか言葉が浮かびません。映画館でも原作を読んだあとでも、DVDを観たあとでも。
 この物語の中でアン演じるブラント博士は多くのことを語り、多くのシーンでその秀逸な存在感をしめしておられた。こんな映画のヒロイン役ってハリウッド最高峰の映画の世界でも稀な機会だと思いますし、作品のテイストや意味・価値においても、計り知れない重圧があったことでしょう。こんなに可憐でキュートな女性が人類の未来を背負うなどと。
 さて、今日は少しフィードバックして「レ・ミゼラブル」を観ようと思っています。

伊庭内湖の同志

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 先週の日曜日、伊庭内湖でのバスフィッシング大会で出会った同志です。この大会はゲストプロ(超有名プロ)が参戦されたので、参加人数は58名。しかも、コンデションは春ということでタフ。そんな状況で56名のエレキの皆様にまじり手こぎが2名(2艇)。1台は私でもう一名がこの方でした。時折冷たい強い雨の中、手こぎで「やったろかい!」というモチベーションは素敵です。まだ、初戦ですから、今シーズンはレギュラー戦があと5戦。今年も頑張ってファイナルに出場できるように、共に頑張りましょう!おぉぉぉ!!!

長浜駅前「グラシアさん」

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 意外にも長浜の駅前に素敵なカフェを発見。ずっと前にオープンした駅に隣接する結婚式場と居酒屋さんだと思っていたが、ふと、別の入口を入ると素敵なカフェでした。なかなか落ち着く空間だったので、また、コーヒーを飲みに伺いたいと思います。意外と!?このタイプの素敵なカフェは長浜にはなく諦めていたので、ちょっと嬉しい発見でした。
 喫煙席もまた素敵。

春のサイン。

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 いつになったら芽が出るのかとちょっと心配していました。この球根は秋に1個だけ植えたので、もしや、冬の間に腐ってしまったのかなと。でも、ちゃんと春を感じて芽を出すんですね。この芽、買った時は覚えていたのですが、何を植えたか、何の球根だったかは忘れてしまいましたので、花が咲くまでお楽しみ。

桃の木、満開。

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 只今、我が家の桃の木は満開です。

リンゴの木

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 おっと!今年はつぼみの数が多そうです。

ギフト

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 死して鹿は角を残す。自分は何を残せるのだろう。

A4モノクロレーザープリンター

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 最近購入したキャノンのモノクロレーザープリンター。カラー出力は他にもインクジェットやA3Wのレーザープリンターや複合機があるのですが、ちょっとしたWEBサイトの参考ページや受信メール、そして、添付データなどを確認用にプリントアウトするのには小型のレーザープリンターが有効です。大型のレーザープリンターやインクジェップリンタートは、やはりカラー出力が基本だから1枚あたりの単価が高い。これらに比べてこのモノクロレーザーの1枚あたりの単価は20%程度です。印刷速度も速いし黒色だけだから綺麗だし、なによりもこの本体価格が¥8,000前後なのですから、ありがたいありがたい。
 文字データもモニターではじっくり確認できないし、いや、モニターでじっくり確認すればいいだけの話なのですが、やはり、ここは一旦、プリントアウトしないと実感がないのです。この仕事上の実感が意外と大切・重要で、用紙にプリントアウトしていれば、期日を手書きしたり、メモをそのプリントアウトに直接書き込むことでしっかりした自分用の資料になる上、頭の中にしっかり記憶できるというメリットがある。モニターのチラミで仕事上の確認作業を済ますことは非常に危険です。
 やはり、デザインという仕事のプロセス上、安価にプリントアウトする環境は整えておくと非常に有効かつ便利です。このプリンターとてもいいです。

スナイパーとフリーク二人

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 クリンスト・イーストウッドの最新映画作品の原作「アメリカン・スナイパー」。ノンフィクションではなく、実話であり自伝であるというこのリアリティーに惹かれてしまった。この著者、はたして英雄なのか悪魔なのか?
 「ゼロベース思考」については今年に入って読んでいる書籍の中にも3回(3冊)ぐらいに引用されていたので、とても気になっていた。アマゾンで購入しても良かったのですが、ふらりといつも行く書店さんで発見したので購入。うん、アタリです。
 フリーク二人の捉え方は世界中で共感を得たり物議を醸し出したりと、単なる興味本位かもしれなが、23ケ国で翻訳され750万部のヒットだから読んでおく必要がある。が、自身、必要性はあまり気にしていない。23ケ国も750万部もあとから知った情報だし、私自身は何よりも「ゼロベース」というフレーズに惹かれた購入した。序文から読み始めているがフリーク(変わり者)二人の切り口は素晴らしい。ちょっと、一般的な感覚や意識からはドン引きされるような内容のようですが、そのあたりは、逆に「ドンと来い!」でBIG WELCOMEです。
 世界にはホントいろいろな人がいていろいろな価値観があり、いかに先入観や固定観念やバイアスが悪しき繭(まゆ)なのかということです。私もそう思います。

リンゴの木

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 リンゴの木も新芽が出てきました。一般的にリンゴの木は何年目で実をつけるのか知りませんが、昨年は4回目の春で初めて白い花が3つ咲いた。期待したが結局、実になることはなかった。大きめとは言え、植木鉢レベルでは実はつかないのかもしれないが、5年目の春、さて、花はいくつ咲くのだろうか?そして、実はなるのだろうか?今年だめなら、もっと大きな植木鉢に引越しです。

桃の木

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 我が家の桃の木も3年目。今年は花の数が多い。さて、実はなるのだろうか。