天衣無縫

 継ぎ目がない天の衣のように素晴らしいという意味の言葉「天衣無縫」。私は学識・博学ではないし、専門知識が豊富で学歴があるわけではありません。取り立てて誇れるような公認免許も取得していないです。ただ、無類の読書好きだったことと、曖昧だけれどイメージを自分の感覚で捉えようとする努力については自負がある。51歳になって、改めて、言葉が好きなのか?イメージが好きなのか?と自問するが、本質的に「どっちも好き」となります。言葉に対しても、イメージに対しても、好奇・探求の志が収まる気配がない。多くの日本語をこれまでに書籍やメディアの情報から得ているはずなのですが、いつも、手元に国語辞典と英語辞書は欠かせない。インターネットの検索は偏っているのでキライ。また、仕事やライフワークで「英語」「中国語」「韓国語」に関わることが多いのですが、その都度、強く感じることは、日本語って素敵な成果物だと思います。日本人なのだから当然と言えば当然ですが、これほどに豊かなイメージと明察な論理が閉じ込められた成果物はないです。この「天衣無縫」という言葉もどういう状況で知ったのか、その状況さえ覚えていませんが、「天衣無縫」は何故か心に残っています。つまり、本質的な共感がなければ、イメージも言葉も自分に対して無益だということ。この構図・仕組みを発信する側から捉えると、イメージ過多になったり、言葉や論理に偏重することが、いかに違和感や摩擦を生み出しているかという考察になります。

 「天衣無縫」のような成果物を生み出したいものです。誰が生み出した言葉なんだろう?