著作権の問題

 「クリエイターが創作活動するうえで、知らないと損する著作権をはじめとする法律や知識、ノウハウが盛りだくさん!「何が良くてダメなのか」「どうやって自分の身を守ればいいのか」「権利や法律って難しい」「著作権ってよくわからない」「そもそも著作権って何?」といった疑問に会話形式の堅苦しくない読み物でお答えします!」という切り口で出版されている書籍は多いし、メルマガでも「クリエイターの著作権」についての情報はよく届く。その都度、クリエイターとしてしっかり著作権について精通しなければいけないと思い、専門書やネットに記載されている専門的な方の記述を読むと、実例を引用したり然るべき法律を軸に白黒明確に結論を導いておられる。

 しかし、専門書に書かれている実例や専門家が明確に判断されたケースというのは、自分自身の捉え方ではちょっと別次元だったり、別世界のお話のように捉えてしまいがちです。「確かにそのケースならそういう結論が正しいだろう、でも・・・」とか、「そこまで明確に仕事が成立していてもそんなトラブルになるのだったら、自分自身が取り組んでいる案件はゆる過ぎる設定なのかな・・・」などと、メジャーなケースだから明確な判断ができるが、クリエイターと言ってもいろいろな状況があり様々な案件があるので、ひとつひとつを「著作権の法律(ルール)」で縛ってしまうと、本来のクリエティブの柔軟で自由な魅力が低下してしまうように感じてしまう。この捉え方は法律や厳格な契約に対して私自身の意識が低いことに起因しているからなのですが、なかなか、クリエイティブワークの本質は正しい、正しくないを明確に線引きすることができない、時には正しいことの中の正しくないことに魅力を感じてもらったり、正しくないことの中に正しいことを組み込み魅力を表現したり、もっとも優先すべきことは、いかに市場や消費者に適正な情報を成果物として伝えるか、こそが真価だと捉えているので、ある断片、ある一部の捉え方を本質だと定義して正誤を判断し、結論を導出するのは気持ちは一時的に晴れるし、明確な答えがでることは爽快な気分になるが、そもそも、創り手の気分を晴らすために、爽快な気分になるために何かを生み出しているわけじゃない。などと考えてしまう。

 創造とはある意味、「継続する苦悩」でもある。別段、苦悩だけが好きなわけではないが、なんでもかんでも座標軸に当てはめて、明確明白にすることだけに心を奪われてしまうと、クリエティブに大切な部分を殺してしまう危険性も高くなるような気がします。確かに正解を出せた時の達成感や充足感は一時的に心地のいいものですが、それは反面、断片的で偏狭で狭窄的な視点なのかもしれない。

 そもそも「著作権」と言えば、「問題ありき」というふうに反応してしまうのは、どこかピントがずれているように思える。これも無知ゆえのねじれなのでしょうけれど。ただ、私はクリエティブってのはちょとぐらい捻れていて無駄があって不完全で多面性のある方が魅力的だと思うタイプなのです。それが「人間的だ」「体温がある」なとど擁護しているのではなく、そもそも、人間が何かを正しく、人間の規定で整えようとすることでいい結果にならないことは歴史を振り返れば明白である。そうならないためにと、法律を何重に重ねていくが、歴史は明白である。捻じれを許容する能力も人間にはあるはずだから、どうせならその方向性で逞しく強い鋼のようなクリエイターでありたいと思います。