大阪デザインフォーラム

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 奇しくもこの日、大阪は選挙だった。都構想は不思議な結果になったが、より明確に浮き彫りになった結果だとも言える。それは「世代意識の格差」だろう。保守的な連中と変化・進化を求める連中の世代間の谷がより深くなった、明確になったと私は捉えている。大阪でさえ、大阪ですらそうなのだから、地方に目を向ければこの構造はもっと深刻で明確である。つまり、日本の構造改革、というよりも、確実に新陳代謝が新しい成果を生み出そうとしているエネルギーを感じた。これは非常にいいことだ。何故いいのか?変えようとする世代に明確な「覚悟」が生まれるからだ。選挙では負けたが、この敗北感が確実にエネルギーになるからだ。古き良き大阪を守った人たちは、古き良き大阪と共に朽ちていく覚悟があるということです。

 さて、本論はここではなく、「大阪デザインフォーラム」。母校である大阪芸大のデザイン科の皆様が主体的になり企画・推進・運営を展開しているとても魅力的なフォーラムです。今回が第9回目ということで歴史もある素晴らしい取り組みです。さすが、母校である。

 会場に入ると上下黒の学生スタッフの皆様が各所に配置し一般参加者を手厚く迎えてくださった。私的にはこれで十分なのである。このディテールを五感で感じられただけでこの日、この場所に行く価値があるのです。あとは、いわば、オプションみたいなものです。

 まず、12分間のオープニングがあったが、内容はともかく、音響設備が悪かった。フルート奏者が二人に演者一人。この状況を魅力的に魅せるためにはもっと徹底的にPAとスピーカーの設定を吟味するべきだ。とにかく音が悪かった。

 そして、芸大サイドの挨拶。内容よりも、一発目の挨拶なのだから、もっとそののどをなんとかして、ベストコンディションで話してほしかった。あなた「たん」が絡みすぎ。次はもうひとり芸大の関係者の挨拶。内容は特筆するものはなかったのでスルーするが、とにかく、その身長にマッチしたジャケットを買うべきだ。8cmほどジャケットの丈が長い。

 そのあとで広報の代表者が新鮮なコメントをしていた。初々しい挨拶がとても心地良い。

 次に、福島氏と菅野氏の基調講演である。見事にタイプの違うご両名。お二人とも恐らく講演のプロではないのだろう、ちょっと講演の組立が緩い。前後関係の組立が資料映像やチップスに引っ張られすぎている。逆に結果そのスタイルが「ああ、この二人は最前線のデザイナー、クリエイターなんだ」という実感がありました。講師とはいえプロではないのだから、痺れるような講演構成内容でもドンビキだから。少し前後関係や脈略や論理がずれているところも含めて楽しかったし、語彙のチョイスもぎこちなかったがそれもこの二人のディテール・魅力として楽しかった。以上。

 ただ、ひとつ講演の内容を聞いて思ったことは、ご両名とも「デザイン」で何かムーブメントや新しい価値を生み出そうとしておられることが、私は不自然に感じた。デザイナーなんだから、クリエイターなんだから、当然、デザインで何かを生み出し、デザインありきで何か思考・起案・行動をして生計をたてていることは分かるが、あまりも「デザイン・デザイン」を連呼されるとちょっと疲れる。「デザインデザイン」が「主よ~」「南無阿弥陀仏」に聞こえてくる。デザインとはそうではない。結果、デザインなのである。確かに本を売るために、属している代理店の株を上げるために、アワードでたくさんトロフィーを獲得してます!的なこと、被災地に多くの支援をしてます!的なことを言うのは自由だが、そこに固執するのは「つくり手」としてカッコ悪い。学生の皆様なら、それらは「キラキラしたモノ」かもしれないが、本質は絶対そこにはない。この考え方・捉え方は地方でデザインの仕事しているモノの僻みでもあり妬みなのは明白なのですが、私は逆にそれがモチベーションになると捉えて地方に移転した。都市圏で大手代理店が大企業の予算で何かを作ればそれはキラキラするでしょう。実際、若い頃はキラキラの末席で「その気」になりかけた。しかし、「それは違うな!違うぞ!」と29歳の時に感じたので、今、長浜にいる。その判断を「都を落ちた」と捉えられることが多いが、それを本質が望んだのだから仕方ない。過程(プロセス)は大切だが今がすべて。当然、その先も描いている。
 
 そんなことを感じた「大阪デザインフォーラム」でした。

 しかし、あの芸大の代表者、「たん」がからみすぎ。