2015年06月 アーカイブ

6年前の富士山。

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 6年前、始めて富士山に登った。この写真は2合目の駐車場からの早朝の富士山です。この時が一番の好天候で終始快晴で風もほとんどなかったと記憶している。それから毎年いろいろな天候に洗礼を受け、5年連速アタックとなった。今年も明日から一般開山となる。勿論、6回目のアタックをするためにトレーニングは欠かしていないし、今年こそ余裕で登頂を達成し、お鉢を巡りたいと計画しています。昨年は8合目から終始暴風と雨の中登頂できたが、今年の天候はどうなることやら。昨年以上の状況は素人なりに想定しにくいので、サクっと6回目の制覇を達成したいです。

この万年筆はいい。

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 最近買った万年筆。これが人生5本目の万年筆。なめらかさ(書き味)といい、文字の太さといい、かなり満足しています。インクも青とか群青とかパープルとかいろいろ持っていますが、黒がいいですね。これが「中太」なので「細字」も欲しいところです。やはり、文字を書くのは万年筆が最強です。と、現在の結論です。

イメージナビさん

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 いつもデザインの仕事用にイメージ写真を購入しているイメージナビさんの写真データです。こちらは、「働く女性」イメージというカテゴリーのレンタル写真商品の参照用のデータですが、工具とデジタル機器と女性という組み合わせがどんなイメージに繋がるのか?この写真を見た人がどんな心情になるのか?させるのか?ということがデザインの仕事ではとても重要になってきます。仕事に活用するためにも自身がこのイメージをどう捉え、どう解釈しているかによって、このイメージ写真商品を生かすことも殺すこともできる。イメージとは曖昧ですが、強い印象を残します。デザインの仕事にとても大切なソースなのです。

映画「チャッピー」

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 2045~2050年頃、人工頭脳は人間を超えるらしい。これをシンギュラリティ(技術特異点)と呼ぶ。2020年に浮かれているわけにはいかない。世界記録を塗り替えるのは人間ではなくロボットになるかもしれないのだから。暗い未来への警告なのか、明るい理想への序章なのか?複雑な気持ちでこの映画を観れている人は、おそらく「こっち側」の人間だろう。

 ロイの言葉、「その時が来た。」が雨の屋上に静かに響くイメージです。

最強のふたり

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 人生には絶対的な「相方」「相棒」が必要です。それは、カミさんという存在ではなく、また、ビジネスパートナーという存在でもありません。「理解者」というとミニマムな気がしますし、「支援者」というニュアンスのような上下・優劣の関係でもなく。「相棒」という存在が強ければ強いほど、お互いを高め合うことができます。「相棒=ライバル」のような関係です。「友情」「愛情」で左右されるようなヒューリスティックな関係でもなく、自分自身の存在に対して決定的に対極にいる存在なのでしょうね。さて、開高さんは小学生の頃から知っているし著書もほとんど読んでますが、その相棒のことはよく知りません。「サントリーの社長」ってことですが、どんな方かは知りませんし、開高さんとペアになれるほどのポテンシャルがいかなものかとても興味があります。ただ、あまりプライオリティーの高い書籍ではないです。

 ということを考えながら、私の相棒は誰なんだろう?などと考えてしまいます。別に「最強」とかでなくてもいいので、「相棒」は大切にしなければなりません。SNSでお手軽に見つかる、見極められるような安易な存在ではないだけに、「相棒探し」こそが人生の最大のテーマだとも言えますし、「相棒探し」にこそ全精力・全エネルギーを費やしてもいいのだと思います。

映画「マイインターン」

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 次から次へと精力的な大女優さんです。低予算の映画に出たり、ビックネームを牽引したりと大活躍。そして、この10月公開の映画「マイインターン」では、デニーロとの共演が実現しました。う~ん、楽しみです。

ガラケーユーザー。

 未だにスマホユーザーではない私は、このままスマホが進化し続ければいつかガラケーが市場から消えるのでは?という不安がある。しかし、この7年間下降してきたガラケーユーザー数の推移は止まり、2015年年頭からそのユーザー数はわずかだが上昇しているらしい。猫も杓子もスマホ、家族割、切り替えキャンペーンを駆使してもスマホのユーザー数の増加は止まり、近い将来少しづつ下降しはじめるのではないかという危機感が3社にはあるらしい。そこで、ガラケーにスマホの機能を融合させる取り組みがされているようです。一方アップルはウォッチを開発して「スマホありき」の市場を安定させようとしているが、さて、このイタチごっこはどこでどう安定期を迎えるのだろう。

 この先、私は全くスマホを持つ気がないので、傍観しようと思っています。

 私がツールとして使いたいのは、あくまでも携帯する電話が使いたいのであり、別に電話にSNSと連動する必要もないし、心拍数を計測してもらう必要もない。このようないわば押し売り的な便利さをいくら啓蒙されても反応することは実際に難しい。また、腕時計についても腕時計の目的は時間を確認すること。追加の機能でSNSができたり、余計なアプリなど使っている時間はない。携帯電話は携帯電話、ウォッチはウォッチでいい。なんでもかんでも追加すること付加することイコール、「多機能」と捉える視点は持ち合わせていないだけ。つまり、「付加価値マジック」のネタに気づいていない人が多いという現実がスマホが活況な背景にあるでしょう。

 私がツールに求める性能は「多機能」よりも「高機能」です。また、ポテンシャルが低いことを「多機能」で補填・補完しているのだとしたら、結論として、お金でテクニックやポテンシャルは買えないよ!ということだろう。ある意味、実はこの現実はシリアス過ぎるので、黙認している方が楽チンだという大前提がスマホの商品市場像なのでしょう。マイノリティーなガラケーユーザーの意見(独り言)でした。

インターネットの利便性

 そもそもインターネットの利便性を先に考えるのは本末転倒です。誰かが便利だと言ったかもしれないし、テレビや新聞や専門誌などで言葉になり活字になり「便利さ」の事例が飽和していたとしても、本人(自身)が便利さを実感していない状態で「活用しなければ」という捉え方だけで焦っても仕方ない。主体はあくまでも利用者本人なのです。ビックデータは確かにあるのでしょう。SNSは確かに活況なのでしょう。訪日中国人達は確かに多くの買い物をしているのでしょう。シリコンバレーでは火星居住計画が着々と進み世界の投資家達はその目論見に自らの資産の活用を日々考えているのでしょう。これらは誰でも入手可能な情報です。しかし、これらの情報が自分自身にどれだけ影響・作用されている?という効用・効果を見極めなければ、これらは巨大な「絵に描いた餅」なのです。理想や目標をたてるとき、どうしても、他人の成功事例を情報としてのみ、もしくは、イメージと言葉だけ捉えてしまうため(恐らく多くの人がそうだからそれが通例・慣例・習慣になり疑う視点が欠けている)、自らの実感をどこかに放置して、あらゆるビジネスプランが構築され、ただ、会議やプレゼンテーションに多くの時間を使って、大きな餅の絵を描いているだけなのでしょう。

 当然、絵に描かれた餅は食べられません。ただ、みんなで鑑賞して「ほぉ~」とか「へぇ~」とか井戸端会議になるだけなのです。この状態、この時間を繰り返している以上、新しい実感を得ることはできません。いつまでも0の状態で、絵に描いた理想像を追いかけている(いや、正確には追いかけていない)だけになる。

 つまり、インターネットの利便性はひとつ。「自分で使い実感すること」につきるのです。使って実感すれば、自分の五感や経験値・テクニックが刺激され、何か具体的な成果に向かって起動するコンディションが整うのです。あとは、スタートの号砲に反応し一気に駆け出すだけ。当然、スタートの号砲を鳴らすのも自身なのです。

 私がインターネットの利便性をあげるとしたら、基本的な情報収集目的では非常に有効です。専門的な情報ではなく、あくまでもインターネットの中に飽和している基本的・基礎的な誰でも入手可能だけれど、自分自身はたまたまその機会がなく、探究心がなく、入手・確保できていなった情報の検索機能と特定までの時間が非常に短いことが唯一の利便性だと捉えています。それ以外はあまり有効な仕組みだとは思っていません。一見、誰もが「便利だ!」と言っていることや価値観は疑うことを体感・実感できる、という意味に置いて、客観性と主観性のバランスを意識させてくれるとても優秀な指標・モノサシ・天秤だとも言えますが。

2015年第3戦終了時のランキング。

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 なにはともあれ第3戦で10位になれたので、総勢82名(手漕ぎの方は5名)中、25位になることができました。あと、7月・9月・10月と3戦ありますが、手漕ぎのおっさんとしても、頑張って頑張って、シングル(総合9位以内)に登りたいと思っています。このようにランキングで明確に数値化されるってテンションがあがります。これもゲームフィッシングの醍醐味ですし、痺れます。第4戦(7月12日)も頑張ろう!

バケモノの子

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 ほぼほぼ、この作品についてはタイトルとコンビニで発見したこのチラシの絵しか情報がありません。しかし、監督が細田守さんということで期待をしています。この夏は「ジュラシック・ワールド」も公開されますし、楽しみです。

 ジブリが劣化し始めてしまった以上、日本のアニメ文化を牽引するのは誰なのでしょう?

お鉢巡り。

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 いつも富士山登山では5合目の段階で「お鉢巡り」をプランに入れているのですが、8合目あたりでどうでもよくなり、疲労困憊マックス状態で山頂に到着した瞬間、「さぁ!休憩したら下山!」となるパターンが例年続いている。山頂に到達するといつも「お鉢巡り」の体力的・気力的な余裕が0になるのです。しかし、今シーズンは6年連続6回目のトライです。自分の体力のことを十分に考慮したプラン化をたてて、今年こそ、お鉢を巡りたいと思っています。しかし、この気合は毎年のことなんですが・・・。しかし、しかし、今年こそ!

 具体的には、午前3時に5合目に到着。1時間気圧に身体を慣らして午前4時にアタック開始。6合目あたりでご来光を見て、午前11時頃に山頂到着というプランになるでしょう。

 あと1週間で富士山開山です。噴火しなければのお話ですが。

東レのライン。

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 これこれ!早速、5lb100m巻を購入しました。素敵素敵。

物語を書け。

 シリコンバレーの投資家が言っています。「人の心を動かしたければ物語を書け」と。昨今のインターネットに記載されているテキストにはそれがないと。断片的な情報や感想やつぶやきを書くために人生の大切な時間を浪費しているとSNSに警笛を鳴らしています。なぜならSNSの仕組みは本来「伝えるためのテクニック」が集積できない仕組みになっているからです。「つながっている」と誤解させられデバイスを購入させるためだけの仕組みであり、アプリも同様に新しい創造物・テクノロジーにはリンクしていないということ。当然、ブログも同位です。つたない文章力で一時的な目の前に起こったことを心地よく記述させる仕組みこそが本質的に人間が求めているからと、ザッカーバーグは捉えたのでしょう。まんまとそのトラップにがんじがらめになっているネットユーザーに「パワーユーザー意識」をすり込んだのもテクニックですし、それを実現させた技術者も強者です。冷静に捉えれば、SNSの中で何かが生まれるはずがない。人間はそんなに安易な構造の生物ではないのですから。とでも、その投資家は言いたいのでしょう。

 その著書に出会う5年前から私はSNSから離脱しました。その先にある鉱脈の希薄さを枯渇さを感じたからです。根拠も明確な理論もありませんでしが、この先は恐らく行き止まりだろうなと。

 「先人の来た道を歩むのもいいが、もし行き止まりだった時、自分をどのように納得させるかまで用意してい歩む人はいない。どうせ1回限りの人生ですから、根拠がなくとも明確な示唆がなくとも、自分の信じたルートを歩こう。覚悟して使命感を持って歩めば、トラブルの先に必ず未踏の鉱脈がある。」とも何かの書籍の著者が言っていました。手放しで賛同していませんが、恐らく、私も私のルートはそちらだと思います。

 もっともっと、「自分の物語」を大切にしたいです。

7パームスさんの第3戦無事終了!

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昨日はルアーフィッシングショップ「7パームス」さんの第3戦が開催されました。
朝から豪雨と雷雨でスタート時間が1時間30分遅れましたが、参加者51名はやるきまんまんです。普通の感覚ならこの雨と雷雨でテンションが落ちるものですが、ここに来ておられるメンバーの皆様にはそんなこと全く関係なし。皆様雨宿りをしながら、虎視眈々と臨戦態勢でした。

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ようやく雨は上がり、時折、ゴロゴロという音に黒い雲が流れてきていましたが、普通に皆様、バスのことだけを考えているトーナメントらしい雰囲気です。

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で、ダントツの優勝者がチームタグのシンさん!このバスを入れてトータルの採寸が149.2cmというぶっちりぎのスコアで優勝されました。シンさん、おめでとうとうございます!

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そして、私はいつもの「手漕ぎスタイル」で5匹を釣ってトータル87cmで10位の成績でした。検量に3匹持ち込んだ人は15名ですから、やはり、タフな大会だったと思います。

次のゲームは7月12日第4戦。昨年はこの第4戦で一番大きいサイスを釣って、第8位に入賞して、ギリギリでファイナル出場権を獲得しました。縁起のいい第4戦ですから、気合を入れないで!?昨日のような徹底的にマイスタイルで3匹をひねり出したいと思います。

次こそ、シンさんのような1匹を持ち込み上位に入賞したいと思っています。
51名の精鋭の皆様、本当にお疲れ様でした!ほんとにほんと愛すべきバスキチの皆様です。

大会はほんとに楽しいです。

仕事も釣りも。

 不謹慎なお話ですが、仕事とバス釣りはとても似ています。一生懸命、誠心誠意準備して取り組んでも、成果がぱっとしないのに、緊張感がふっと抜けた瞬間にグイっと反応があったりします。虎視眈々、悶々と戦略・戦術を仕込んで、反応をを期待して渇望しても獲物は、射程圏内をすり抜けていくのに、自然体になった瞬間に向こうから回遊してきます。もう、あがくのをやめて、待ちの態勢に切り替えても反応はない。焦れば焦るほど縺れるライン、迷う心。肩の力が抜けた瞬間、想定外のエリアからストーンと獲物がやってくる。なんとかしたいと思えば思うほど、ベクトルはエネルギーはどこかに抜けて行きます。仕事もバス釣りもまったくもって、難しい難しい。

好きな映画、好きな本。

 よくある質問ですが、意外とこの質問は的を得ていることが多い。デザインの仕事仲間でも、クライアント様相手のケースでも、この質問をひとつふたつして、その理由や根拠を教えていただくと、大体の人間性や気質や好みなどが分かる場合が多い。しかし、ぶしつけにもコンパじゃないんだから、いきなり、「好きな映画はなんですか?好きな本はなんですか?」とは聞けないが、タイミングさえマッチすれば、この質問は効果的です。

 もし、同じ質問をされたら、今ならなんと答えるだろう。

 「好きな映画は?」に対する答は「インター・ステラー」となり、その理由は「最高の父親と娘の物語だから。」となる。

 「好きな本は?」に対する答は「ピーター・ティールの「ZERO to ONE」」となり、その理由は「著者の気質が気にっているから。」となります。

 この答だけで、「ああ、こいつはSFが好きで娘がいるんだな」とか、「シリコンバレーで何が起こっているか興味があり、創造的な仕事に興味をもっているな」とかが推察できるんでしょうね。「好きな〇〇〇」も時代や気分によって変化するものだから、こうして、ブログに書き出すと、改めて自分のことが実感できますね。

倫太郎。

 昨晩、「Dr.倫太郎」の録画を観た。最終回だったのですが、仕事で観れなかったので録画したのです。堺さんの日野先生キャラはさすが秀逸だったが、テーマが心理学のお話だけに、物語として終わらせるにはこのスタイルになるのかなという印象でした。心理学をテーマにするということは、時代にマッチしているとも言えるし、根幹的なテーマだったとも言えますから、原作をチェックしたいという気持ちもありますが、ドラマの展開を思い返すと「愛」という言葉ですべてを収束する完結の手法で原作もまとめているのだろうと推測できます。心の問題を「愛」で結論づけることは、人間として大前提ではありますが、大前提過ぎて、しっくりコンパクトにまとまり過ぎていたなというドラマの余韻でした。堺さん、優ちゃん、小日向さんの演技力がなければ到底、一定の物語感を維持できなかったでしょう。などと、結局、充分に楽しめたテレビドラマだったということの証です。

 心が病むことについて、どう定義し規定し限定するかは非常に難しい問題ですから、この視点でこのドラマはとても挑戦的だったと言えます。「多重人格」「ギャンブル依存」「恋愛シンドローム」などいろいろなフレーズが登場しましたが、これらの言葉を肯定するのか否定するのか、観た人のポテンシャルが捉え方が試される挑戦的な物語だったと思います。いい余韻です。

ピーター・ティールは言っている。

新しい何かを作るより、
在るものをコピーする方が簡単だ。
おなじみのやり方を繰り返せば、
見慣れたものが増える、つまり1がnになる。
だけど、僕たちが新しい何かを生み出すたびに、
ゼロが1になる。

人間は、天から与えられた分厚いカタログの中から
何を作るかを選ぶわけではない。
むしろ、僕たちは
新しいテクノロジーを生み出すことで、
世界の姿を描き直す。
それは幼稚園で学ぶような当たり前のことなのに、
過去の成果をコピーするばかりの社会の中で、
すっかり忘れられている。

と、ピーター・ティールはその書籍「ZERO to ONE」の序文で語っている。

とにかく、このタイプの書籍に影響を受けやすい私は、
読み始めてから常にこのことが頭を支配し、
思考や行動ごとにこのことを意識しています。
ある印象的で刺激的な書籍に出会うたびに
自分をリセットしている感覚です。
しかし、このタイプはある別の側面では軸の定まらない、
思考や行動の方向性が確立しないという弊害をもたらす。
いや、本質的にふらふらしているタイプだから、
このタイプの書籍に感化されやすいとも捉えられる。

軸はどこか?基準面はどこか?という自問である。

これは正常な状態なのか否かを決めるのさえ、
ピーターなら「それが正常です。」と言いそうだ。

世の中が多様に変化して動的均衡の中で蠢いているのに対して、
人間が何かを確定させる意義はあるだろうか?
変わり続ける世の中に対して、何かアンカーを打ち、
固定させる意味はあるのだろうか?
思考の安定が安定した未来を引き寄せるとは限らない、
そんな保証は何もないのが正しい状況なのです。

それを、ピーターは0から1への意識に置き換えて
語っておられるのだろう。と捉えている。

現在、最後の章を読み始めているが、
最後の論理をどこに定着させているか
今、予測しています。

この1冊の物語が書籍にはそれぞれあって、
まるで、現実社会ではお会いすることのできないような偉人や著名人と、
対面でお話を拝聴できるような物語が書籍にはある。
エンドレスに続くデバイスのデジタル画面に
反応できないのは、恐らく、「終わらせていない論理」に
ロマンを感じられないからだろう。
その点、書籍にはドラマがある。

読み終えて、0のままか、1になるのか、
あと数ページへの期待が有象無象に高まります。

今日はお前さんかい!?

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 今日は、という日でした。

のどかな奥琵琶湖。

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 本日はとても穏やかな奥琵琶湖でした。

自然な生き方。

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 不自然なことばかりが起こるのは人間が自然さを失っているからでしょうと國明さん。一度、ありが島へ行きたいです。

SMILE QQ WATCH

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 このデザイン、かなり好きです。

103歳の芸術家。

 昨日、テレビに103歳の芸術家(書道家)の大おばあちゃんが出演しておられた。「こんにちは」と、ご自宅(工房)に芸能人がお邪魔すると玄関に、ガチのおばあちゃんがにこやかに登場。うん?この方が103歳?いやいや、この方は娘さんでした。そして、雰囲気漂う廊下を歩いて主人公のお部屋に入ると、しゃんと着物を着こなして103歳の大おばあちゃんが登場。

 聞けば、20代の頃、単身、ニューヨークに乗り込み書道芸術活動を展開しておられたらしく、その作品は日本国内はもとより海外の著名な美術館に多く所蔵されているらしい。ビートルズが来日した際、3日間宿泊したスペシャルスイートにこの大おばあちゃんの作品が飾ってあったことから、ビートルズの4名がいたくこの作品に感銘を受け、東京で筆を買って帰国したらしい。特にジョンは日本文化の魅力をその一枚の作品からインスピレーションを受けて、帰国しても書動に対する興味を高めていったらしい。

 また、毎日使っている巨大な硯があり、これは1100年代、中国の宋時代のものらしいとのこと。それを東京の画材屋で発見した大おばあちゃんはその硯を買いたい欲しいと店主にお願いされました。しかし、店主は看板アイテムだから売れないと言ったそうです。どうしてもあきらめられなかった大おばあちゃんは、「店主さん、硯というのは飾って鑑賞するものではなく、毎日、水を入れて墨をするモノですよ。このままお店に飾っておくだけではこの硯が可哀想です。大切に使いますから、譲ってください。」とおっしゃったそうです。うん、痺れる言葉です。

 それら一連のお話を普通にソファに座ってしっかりお話をされている103歳の大おばあちゃん。まだ、この時代に仙人と呼ばれる人が現存しているとしたら、恐らく、このような方のことを言うんでしょう。

 そのロケの中、最も印象的な言葉は「作品(書道)など自由でいいのです。伝わればどのような表現でもいいのです。作品を気に入って買って頂き、そのお金で芸術家は生きているのです。だから、芸術家は自由でいいのです。むしろ、自由でなければならないのです。」というニュアンスでした。この理屈も理論もすべて超越した言葉の爽快さ。こういう人生は素敵です。私はちょうどこの大おばあちゃんの半分の年齢です。51歳になり、世の中的には、様々な思考やベクトルが、沈静化・安定化に向かうのが常の年齢ですが、いやはや、51歳などただの折り返し地点だったとは。

ゆりの花。

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 そうか、蕾の段階でどうも白じゃないなと思っていたら、やはり、赤でした。3月頃に大きな球根を植えたのですが、何の球根だったか忘れてしまって、ようやく芽が出てきて「ゆり?」ということが分かり、そのままスクスク大きくなって蕾が出たのがつい最近。こんな立派なインパクトのある花が咲くとは、かなり感動ものです。植物っていいですね、無口だから。

Be Freak!

 以前(10年以上前)、U2が来日した時、エッジさんがカメラに向かって右手でピースサインをしながら、「Be yourself!」という言葉を放っていた。このイメージが頭に焼き付いて、アクトのサイトにも転用している。「自分らしくあれ!」というこの言葉には心が震えた。さらに、最近あるシリコンバレーの偉人の著書を読むとそこには、「変人であれ!」という言葉が書かれていた。日本では変人は協調性がなく、孤立して阻害されるイメージがあるが、その逆風や空気に依存し、埋もれて生きるか、そこから離脱するかは自分次第、つまり、「自分らしくあれ!」ということだろう。で、最近は「Be yourself!」をワンステップ、レベルアップさせてこう思っている。「Be Freak!」と。当然、こう考える捉える解釈するにはそれなりの自身の気質や経験が功を奏し、作用している証なので、別段、このイメージ、この言葉に違和感はない。逆に「そうでないってどういうことか?」とリミッターをとりたてて外す感覚はない。まるで、古い友人に会ったような感覚です。既視感の極みです。

 だって、「先人が歩んできた道はもしかして行き止まりかもしれない。ならば、自分の信じた道を歩こう!」って、正にです。それ以外に正論はないと思っています。

さぁ!スタート・ミー・アップ!

 メタノイア、逆から読めば、アイノタメ。

インフォグラフィック。

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 最近、お仕事で「インフォグラフィック」に携わらせていただいているのですが、なかなか奥が深いデザインの仕事です。ちょっと、パンフレットの説明用にとか、WEBページの補足説明ようのグラフィックなどはよくやりますし、単純にグラフの3D化なども制作することが多いのですが、本格的に最新の鮮度の高い情報をインフォグラフィック化するというのは、ポイントが多く、しかも、デザインのクオリティーは落とせないという意味で奥が深い仕事です。

 どうやら、デジタルデバイスで閲覧する時などは小さい限られた画面の中で、数値化された情報とイメージをデザインで融合させて表現する。そして、訴求力や印象度を高めるという狙いがインフォグラフィックスの真骨頂なのですが、この数値化された情報を左脳が担当し、イメージの部分を右脳が担当してなどと杓子定規に考えている時間もなく、自身の直感とイラレのテクニックに任せ、まず、ラフスケッチをスケッチ帳に描き、アイディアを出し設計してから、直接イラレの作業開始。というプロセスで取り組んでいます。数値化されたデータを適正に効果的にグラフィック化する仕事と、言葉にすればただこれだけの短さですが、実際、データをどのように見せて表現するかを理解して、さらにその設計にデザイン的なアイディアや工夫をする。ほぼこの思考と作業を同時にイラレでやっているので、思考やアイディアはなんとかなるものの、そのイメージをダイレクトにイラレで再現するテクニックとなると、これが、なかなか奥が深いのです。逆にイラレのエキスパートだったらこの作業が効率がいいかといえばそうでもなく、やはり、理解力と着想力が必須になります。

 なんの根拠も確固たるデータもありませんが、私のイラレの作業速度は国内でもトップクラスだろうと勝手に思っているので、早いマシンと鮮度の高いアイディアを生み出す着想力があれば鬼に金棒だなぁ~と勝手にひとりでほくそ笑んでいます。まぁ、そんなたわいもない自己評価はさて置き、現代の情報化時代におけるインフォグラフィックスのニーズはどんどん高まっていくのでしょうから、どんどん、このテクニックを研磨して高めていきたいと思って取り組んでいます。

 イラレのテクニックについて余談ですが、イラレは26年前に英語版で習得した経験があり、現在使っているCCまですべてのバージョンを仕事で使ってきました。さらに、文字入力はブラインドタッチで通常の文字入力検定規定数の2倍以上の文字を入力します。さらに、最近はWINが中心なのでショートカットの際に左手の小指が起点になるので、手のサイズの関係上、中央から右寄りのキーボードはさすがに右手を使っています。しかし、元々左利きなので、基本、右手でマウス、左手でキーボードとなり、この両手の作業上の頻度の割合が2:8ぐらいで作業をしています。つまり、作業中、ポインターでオブジェクトを選択する、大まかにオブジェクトを移動する、各ツールを選択する以外はすべてキーボードのショートカットでつくるからです。恐らく、推測ですがこれがソフトウエアでデザインの仕事をする最速で適正なオペレイト手法だと勝手に思っています。

 昔、大阪でクライアントの仕事場で簡単な仕事をした時のお話ですが、デザイナーが30名ぐらいいる制作会社様ですが、社内で最速で作業できるチーフの方が私(当時28歳)の作業スピードを傍らで見ながらひとこと「画面しか見ないのですね。」と言っておられました。代理店の制作会議でも、会議の進行や複数のディレクターの指示を同時に画面でオペレイトしながらオブジェクトを仕上げていたので、このテクニックが習得できたのだと思います。ライブペイントとかイベントでよくやっていますが、もし、「ライブオペレイト」をイベント企画でお考えの方はご一報ください。ライブオペレイト演者のインストラクターをさせていただきます。

8万円!

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 「アマゾン輸出」というテーマの書籍を読み、その仕組みを読んでいるだけなのですが、いろいろなオンラインでの、しかも、海外を相手にビジネスを展開する場合の注意点やノウハウ・テクニックが書かれています。とにかく、以前と比較して海外へのオンラインショップでの販売網の構築のしかたが簡単になり、特にアメリカでは登記も物流倉庫もかなり完備さているらしい。だから、一般の企業よりも個人で得意な販売商品情報をもっている方が有利だとも書いてあった。実際、やってみればそんな簡単にできないだろうという疑心もあるが、こればかりは実際、ガチでやってみなければその実感は得られないし、当然、実績(売上)など絵に描いた餅となります。ただ、やはり、実際登録してランニングコストがかかる以上、少なくとも元は取りたいとケチケチ思考が起動してしまいます。やらなきゃ何も始まらないと頭で理解していても、実際、躊躇してしまう現実。

 恐らく、過去の自身の傾向として「迷っているならやる!」というパターンがあるので、「やる」ことは覚悟できているのですが、さて、そこで何を売る?というステップで迷っています。その書籍には「自分の得意分野」という表現があったので、改めて自分の得意分野を整理しているのですが、一番、具体的な好きな分野となると、いろいろあるのですが、「映画」という分野が最初に浮かびました。でも、「映画に関する商品」を仕入れるとなると元手も必要ですし、チョイスを誤ると出鼻をくじかれる。そこでやはり石橋の音を聞きたくなるという現状です。

 日本のアイテムでフィギアは一世風靡している安定した分野ですが、さて、その市場はいかなものかとリサーチしてみると、このバットマンのキャラである「キャットウーマン」のフィギアが8万円で在庫切れでした。う~ん、これを買うのうか、とその分野の購買意欲の高さを改めて痛感しています。しかし、8万円あればこれは確かに買う。

存在させること。

 「どれだけ小さいビジネスを展開しても、存在していないことよりも圧倒的に有利だ。」という言葉をある書籍で読んだ。

 当然、前後関係があるので、ここだけ抜粋しても意味不明だが、ベンチャービジネスあれ、マスメディアに紐づいた流通ビックビジネスであれ、個人で細々と展開している狭小・ニッチビジネスであれ、存在していないプランや構想やアイディアや理論の段階ではいずれも意味も価値もないということ。その段階で空論に時間を浪費するぐらいなら、まず、何をさておき、存在させることを最優先するべきなのです。まだ、この段階では理論・概念ゾーンを脱していないが、実際、自身、ある成果物を存在させるためにいろいろな準備をしている段階なので、あとひと皮をむくために何をしなければならないかを吟味しています。

 何かを踏み出すために、大切な何かを犠牲にするぐらいの覚悟と本気が必要なんだと思います。むしろ、長年デザインの仕事をして存在させることには長けているつもりでも、いざ、主体的にいい意味で利己的に何かを成そうとする場合は、躊躇したり疑心が生まれたりするもの。これほど自分は警戒心があったのかと驚く始末。慣れない世界、精通していない分野に挑戦することも、結果、本質は変えられないということに気がついた今日この頃です。逆説的に言えば、本質しか存在させられないということです。ここを探るのにいろいろな分野のエキスパートの方の尽力を賜った。ひとりで考える限界点、ひとりで動ける射程範囲もよく実感できたので、あとは、私の本質がどこに狙いをつけて何を存在させるのかというルートのみにしばらく集中したいと思っています。

愛すべき4人。

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 さすがに、土曜日の大阪城ホールは違和感があった。横浜スタジアムの時はけっこう、うん、けっこうおじさん・おばさんも会場にいたからです。しかし!大阪城ホールはちょっと状況が違った。ほぼほぼ、若者たちが大阪城ホールの空間を埋め尽くし、恐らく私のようなおじさん(51歳)はちょっとさすがに「この場所にいていのかな?」という空気がある。そんなことあまり気にしないタイプなのですが、さすがにその空気があった。

 まぁ、そんなことはさて置き、この愛すべき4名の若者のエネルギー(魅力)の仕組みを51歳ならではの経験値!?と切り口で分析してみようと思います。51歳だって楽しいものは楽しいのです。そこに理由とか根拠は要らないのですが、どうも、なんとかこの年齢になると、どうしても記したいのです。(おっさんなので)

 まず、こう考えてみました。魅力的な人間には4タイプの特質があり、ひとり目は「表現者」。思考もふるまいも言動も常に表現者なのです。このタイプはボーントゥー「表現者」なので、先天的とか天性と言われる部分で何をどうしても「表現者」の資質に溢れてしまうタイプ。二人目は永遠の「リーダー」です。寡黙で言葉はちょっと足りないが中心的存在のタイプ。当然、人に対する気遣いや思いやりが秀逸で気配りは完璧。しかも、多くの人からの信頼を集め、存在感もあるタイプ。三人目は「天才」と呼ばれるタイプです。何をするにも好奇心・探究心・研究心があり、それに行動が伴うタイプ。必然的にそのテクニックは追随を許さない至高の存在。しかし、気負わず気さくで人間的な愛すべきキャラタイプ。つまり、天才。そして、四人目は素朴な「馬鹿」。しかし、これがとことん「馬鹿」。そして、どこまでも愛すべき「馬鹿」。という自由奔放にして直感的で感覚的で行動で示すタイプ。恐らく、魅力的な人間はこのどれかのタイプに当てはまるのだと思います。その4タイプが全部そろった「ONE OK ROCK」だから、当然、愛すべき4人であり、こんなおっさんでも心が震える存在であると。おっさんならではのワンオクの魅力分析でしたが、まぁ、そんなこともさて置き、海外ツアーを大成功させて、いっぱいいっぱい世界の魅力を取り込んで、さらに魅力的なライブを次の機会に観せて感じさせてほしいと思っています。51歳、ワンオクを語る年齢としてはかなりギリかな。

カスペルスキー恐るべし。

 あるエキスパートの方からオススメのセキュリティーソフトを教えていただいた。まずは試しに1ヶ月限定の無料ダウンロードを試してから正規版を購入したらというアドバイスでした。長年、パソコンのセキュリティーはノートン一辺倒だったが今回プリンターのドライバーを自動更新でブロックさせてしまうという致命的なトラブルを発生させたので、別のセキュリティーソフトを検討する流れでした。

 無料のラインセンスが切れる1週間前、「そろそろライセンスが切れますよ。今なら割引キャンペーンをしているので、こちらへ。」的な画面が毎日定期的に表示されたが、普通ならこれらの表示はめんどくさくなり非表示に変えてしまうところ、カスペルスキーからのこの定期的な表示はとても紳士的な印象を受けた。そのまま画面にそって「プレミアム版」を購入した。現在、インターネットにつながっている機器はタブレットをいれると8台フル稼働しているので、台数が限定されるのはあとで管理が大変になるからです。ライセンスを購入して、無事、無料版を正規版に上書き完了したのですが、まずは、無料版でインストールする本体の全データ、約3,600,000個をフルスキャンする。すると、なんと、7個のウイルスの影響を受けたデータが検出され、それを無料版で削除。そして、正規版をインストールしてアクティベーションコードを入力しサーバ確認を完了し、すべての設置作業が完了した。当然、再起動して私のメインマシンはほぼ完璧にセキュアな状態になりました。

 すると、なんと、カスペルスキー恐るべし、システムの起動から、アプリ・ソフト関連の体感速度が倍以上になっている。どうも、画面の転換が早い、文字表示、グラフィック表示の残像が残るような感覚があったのでよくよく一連の動作確認をすれば、確実に2~3倍にすべての速度がアップしています。いかに、ノーマルの無防備な状態ではインターネットから余計な情報や自動アクセスをして、システムが過食気味になって肥満化しているかという証です。当然、アプリは劣化し強制終了や破損の可能性が高くなる。私のメインマシンはそこそこ強力なエンジンを16発積んでいるので、そのレスポンスがこれで最大限発揮できる状態になったということでしょう。素晴らしい!

インスピレーション。

「突然ひらめく考えをインスピレーションといいます。似ている言葉で、「直感」や「第六感」がありますが、少し意味合いが違います。「第六感」は、人が元々持っている感性のことで、シックスセンスと呼ばれています。これは、「直感からのひらめき・瞬間的に浮かぶ思いつき」という意味になります。元々「吹き込まれたもの」という意味の言葉です。その意味から、「霊感」や「閃き(ひらめき)」という意味にもなります。創作活動をする人が、突然名案を思いついた場合などによく使われます。「インスピレーションが沸いた!」などのケースです。霊感は霊や神様・仏様などを感じたり反応したりすることですから、心にふと感じる、その不思議な感覚のことをさします。」

 この文章は「インスピレーション」という言葉を検索して1番にヒットした説明ページの文章です(少し整理しています)。語源では「吹き込まれたもの」という表現をしていますから、突然ひらめくが、突然何もない状態から新しい考えが生まれることではないようです。どちらかといえば「突然、思い出す。」というニュアンスになってしまうようです。ならば、「インスピレーション」はただの「記憶」「知識」なのか?ということでもありません。すでに頭の中にあった記憶を突然、思い出すことがインスピレーションだとすると、創作活動をしている人が生み出す秀逸な名案もただの記憶や知識の欠片だったということになります。また、神様や仏様でインスピレーションを説明するのはかなり断片的で偏重がありますし、「心にふと感じる。」という表現も曖昧です。最後に「不思議な感覚のこと」としているため、結局、インスピレーションは「不思議なこと」という、言葉でありながら、結局、「不思議」で処理されてしまっている不思議です。

 このように言葉はある一定の周期で意味や理論が回遊しているので、歴史や文化や慣習などの状況や条件やルールの中にある回遊ルートを見極めなければ、本来の言葉やその組み立ててた成果物である文章や理論は崩れる、というか、そもそもしっかりと構築できていなかったということになります。

 例えば「ペンは強し!」というニュアンスは文字にしてアウトプットすればそれが仮に偽りであっても、現実として存在するという意志になり、ただの頭の中に在る思考と比較して影響力が非常に大きいということを伝えようとしているフレーズです。しかし、この表現(フレーズ)でさえ、「強さ」という部分を少し掘り下げていけば、かなり曖昧なニュアンスです。それを、どのように解釈して捉え、認識するかによって言葉は千変万化に変容します。ゆえに、「インスピレーション」という言葉が効果的で便利で重宝するのかもしれません。

トモヤさんの一発。

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 昨日は人生2回目のONE OK ROCKのライブに行ってきました。やっぱ、ロックはいいです。

 場所は大阪城ホール。多くの若者が開演前に大阪城ホールの近くでウロウロしている感じ、とてもいいです。ライブは新しいアルバム「35」を中心に素晴らしい構成と演出で盛り上がりました。あのライブ感はライブ会場にしかないリアルで、写真や映像では絶対に伝わらない、タカさんはそれを「バンドという物体(生物!?)」と表現していたが、正にです。日本の音楽シーンがどんどん劣化・鈍化・退化してく中、ビジネス優先の音楽コンテンツだから、当然、ワンオクがその存在感を示すのは容易い。しかし、たやすい反面、その状態をキープするのも大変でしょう。類まれなる4名だからこそ、いつまでもそのままの4名でいてほしいしそれが可能なのでしょう。世界へ行ってもワンオクはワンオク。杖をつきながらヨボヨボになっても、チケットが手に入れば、私はワンオクの会場に行きたいと思っています。小粒で安易なパッケージ音楽コンテンツが生産され続ける以上、ワンオクの国内の最高位は変わることはないでしょう。ただ、それでは4名も寂しいわけで、当然、ファンも同じ気持ちです。本質的に世界が認めたワンオクだから、いつまでもそのままで普通に「らしく」進化していってほしいと思います。

 トモヤさんの日本刀のようなキレキレのスネア一発は惚れれば惚れるほど切れ味が増し、ロックの魅力が改めてドラムの成せる技なのだと改めて実感しています。また、次、日本に帰ってきたら行きたいです。

さつまいも。

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 苗屋さんのおばちゃんに言われるとおり、3日間水につけておいたがそれほど根は出てこなかった。ここ数日いい雨が降ったので、このタイミングで土に植えた。確かにおばちゃんの言葉どおりに少し枯れぎみ。でも、おばちゃんのアドバイスではこれでいいのでしょう。ただ、このサイズの植木鉢でどこまでさつまいも本体が成長するか想定不可能です。何事もやってみなければ分からないので、このままこの苗君には頑張ってほしい。

ゆりの花。

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 球根は植えたが花の種類をずっと忘れていた。ようやく葉が出て蕾が出てきて、「ああ、ゆりだったのか。」と。かなり、立派なゆりの花が咲きそうです。

聞く。

 よく、私の話は長く諄いと言われる。もっとシンプルに伝えてほしいと言われる。下手すると知識や経験値の羅列になり「めんどくさい自慢話」になってしまうのです。私はただ一生懸命伝えたいと考えていろいろ話すことが全く逆効果なのです。さて、このようなケースでどこで折り合いをつければいいのか?これが一番の悩みどころ。ケースによってはシンプルにと努め、要点のみを伝えるがそれでは伝わる人と伝わらない人がいて、説明しようとしている分野に精通している人なら1を言えば、そこからオートマチックに思考を広げて認識していただけるんですが、この1がどうしても伝わらない場合はマイナスから話を始める必要がある。ただ、1とかマイナス1とかというニュアンスで言葉や理屈が数値化できて適正な引用が可能な場合のみで、さらに、1とマイナス1について説明が必要なケースでは、必然的に言葉が複雑になりディテールがモリモリになり、結果、長く諄くなる。この悪循環をどこで見極めてどのように伝えようとするのかに迷う。

 「これこれこうだから、ポイントは3つで~」などと言えばいいのですが、これこれの最中に分からない人は質問してくる。まだポイントまで話していないから~などという思いは一旦保留し、これこれのこれから説明が必要になる。これが恐らく言葉で伝える際の限界点なんでしょう。シンプルに、時に複雑に言葉を想起するとき、必然的に相手のポテンシャルも見極めなければならない。特に、日本語の構造は伝えようとするときに言葉の意味の広がりが少なく、英語のような広がりがない。この構造に悪い意味(悪いケース)で慣れ親しんでいるため(勿論、私も含めて)、言葉(文字)で伝えようとするとき、相当の心情が作用して論理が崩される。最近、ある書籍で「あいまいな楽観主義」というフレーズに出会い、改めて言葉の力の限界点を探っています。

 一方、イメージで伝える、イメージで理解するというケースではこの限界点はどうだろう?感覚やニュアンスやフィーリングの部分です。デザインの仕事ではこのイメージの効用を熟知しておく必要があり、イメージを成果物などで伝えようとするケースでは、つくり手がどこまでイメージをイメージとして理解しているかで伝導率に優劣が生じる。この一見「イメージでイメージを伝える」と言葉にしたが、この伝え方には千差万別新羅万象支離滅裂喜怒哀楽が連動しているため、整理すれば、機能が低下・鈍化し、突き詰めて研ぎ澄ませば曖昧になるというジレンマが生じるので、結果、言葉と同様に、シンプルさと諄さの矛盾ありきで立ち向かわねばならないのです。

 そこで、改めて「聞く」という行為ですが、このブログを読んで(聞いて)どの程度の理解度を得られましたか?また、ここまで書いてどれだけ言葉にできたかな?ということ。つまり、相対的な接点をひとつひとつのケース毎にしっかり習得・会得することでしか「聞く力」は長けないのです。無人島ならこんな苦労はしなくていいのですが。

0から1へ。

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 「ビジネスに同じ瞬間は二度とない。」正にです。

できるデザイナー。

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 ある印刷会社様の人事を担当しておられる方からのご相談。
 
 「ウチも印刷だけは競争力が弱いのでデザイン力を上げようと、できるデザイナーを補強しようとしているのですが、なかなかできるデザイナーが来ないし、育たないのです。会社負担で人材を育成しても、一人前になったら、できるデザイナーは独立してしまうし・・・。常に会社に高いデザイン力をキープさせる方法って何かあるんですかね?」ということ。率直に私自身、この問題をどう受け止めればいいのかという部分から悩みます。私が「できるデザイナー」だなどとおこがましいことを言っているのではなく、やはり、デザイン力というのは会社組織の問題ではなく、個人レベルのお話になります。「ああ、こいつはできるなぁ~」というデザイナーの条件って何だろう?と改めて考えています。そういう意味、捉え方で言えば、大手の有名広告代理店の手法は理にかなっていて、完全に金看板を背負わせて、アワードへの参加を推進しネームバリューと金看板の磨き方に長けている。これを個人で展開しようとしても、限界点が低いのです。当然、できる人はそれ相当の契約(信頼)と代価を勝ち取っているのですから。まして、デザイン力を補強したいと願う会社であれば、現状と理想の間にはかなり深い谷があると言わざるを得ない。やはり、この谷を埋めるのは人なんですねという結論に達して、結果、このご相談に対して「人の問題は難しいですねぇ~」と結論があいまいになってしまいました。

 ただ、ひとつ原理があるとすれば、「できる人」は必ず「できる人」とつながっている。それも、会社組織とかコミュニティーに属する属さないに関係なく、とてもいい感じでつながっているものです。よく、ボランティア団体や社会を活性しようという方針で集まった団体からの一見、志の高そうな根拠のないお誘いを受けるが、当然、私の心は震えない。震えないというか、その説得力のなさ加減や「責任と覚悟」が感じられない言葉の羅列に、逆に背筋が寒くなり震えます。

 つまり、「できる人」はできる人同士でつながっている。「できない人」は必然的に群れているという普遍の真理に対して、自分自身の座標をどう設定するかで「できる」「できない」が決まってしまうような構造・仕組みなのかなと思っています。これは覚悟のいる決断ですから、依存するならとことん、自立するならとことんいく覚悟が必要です。当然、「できるデザイナー」を育成したいなら、とことんやるしかないのでしょうね。

第5位。

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 「デザイン アクト」で検索すると、1ページ目の第5位にランクされました。21年前、この社名を考えた時、当然、「アクト」なんて名前は日本全国、無数にあるだろうと想定していましたし、デザイン関連でなくとも「アクト」って普通な印象でしたが、狙い的にはこの「普通」が一番強いと捉えていましたから、難解な意味不明のヨコ文字を並べたり、哲学的で感覚的な理屈先行のネーミングよりも、普通で氾濫しているけど、重要なことは個々の会社(個人)のポテンシャル次第なんだから、そういう時代が来るだろう、来てほしいと願って「普通なネーミング」をチョイスしました。それから21年、まだ、正解だったか否かは実感としてありませんが、「デザイン アクト」で検索結果が第5位ならばまずまずかなと捉えています。

 N,Y,に滞在していた頃(21年前)、通っていた大学のルームメイトがつけてくれた私の愛称「KHUZ(カズ)」もこうしてドメインで有効に作用しているわけですから、どんな些細なことでも、自分で決断して動いた軌跡は確実に残るということです。

新しいプリンター

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 5年前に購入設置したプリンターの保証期間が終わるため、新しいカラーレーザープリンターをリサーチしています。いろいろメーカーも検討したのですが、やはり、「OKI」さんかなと思っています。そこで、具体的な機種はどれか?となると、このあたりかなと絞り込んでいます。結果、5年前は本体に80ほどかけ、保守料金も30ほど支払っているのが、このプリンターならば、保守料金込みで30を切ります。たった5年でそこまで下がるのかという驚きです。まぁ、使う立場からは嬉しい状況なので、しっかり仕様やランニングコストも検討して導入したいと思っています。

 5年前と同じ費用ならば、あと、最新のMAC本体とNIKONのハイスペック一眼が購入できるということになります。アクトはつくるツールを充実させるべきなので、周辺機器が安価で多機能になることはとても嬉しい状況です。ツール選びは毎日仕事で使うモノだからとても重要です。

 デジタルデータでデザインの仕事の確認作業が円滑にできるようになったのですから、プリンターなどのハード機器関連はできるだけコストを下げたいです。

さつまいもの種苗。

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 てっきり、さつまいもを栽培するには種イモがあって、それを地中に埋めておけば勝手に芽が出て茎が伸びてイモができると思っていた。何故、今、さつまいもなのかと言えば、テレビである研究者がこれからは省エネムードがさらに加速する。自家発電などエネルギー問題と二酸化炭素の問題はより大きく深刻になるだろうと言っていた。彼の推測・仮説らしいが2050年には人口の増大と資源の枯渇と二酸化炭素の問題で人類は致命的に激減するらしい。当然これらは連動しているから、地球上から食料が枯渇し衛生状況が悪化しウイルスが好む環境になるなどの要因で。まぁ、仮説ですから根拠やデータも明確ではなさそうでしたが、確実に言えることは、2050年まで今の調子で資源を使い続けても地球のポテンシャルは安泰だそうで、その研究者の言葉を信じるなら、今、地球・世界規模で騒いでいる資源関連の情報は別の意図のためのゴシップかメディア操作なのかな?とさえ思えた。

 二酸化炭素の問題、エネルギーの問題、日本の自給率の問題を一気に解決するのは、「さつまいもの栽培」だと断言されていた。別段、エネルギーの問題や二酸化炭素の問題を深刻に受け取っているわけでないが、「栽培が比較的簡単」「いろいろな食べ方がある」「スペースがあればその分だけ増える」という、さつまいもの繁殖力の強さにただ惹かれたのです。かぼちゃ、すいか、とうもろこし、ブルーベリーと惨憺たる結果だったので、今年はさつまいもに挑戦となったのでした。

 で、これがその種苗。そのまま土に植えれば勝手に繁殖するよと、お店のおばちゃんが言っていたが、もし、しっかり土に根付かせたいのなら、3~4日水に入れておくと葉はしおれてくるが、茎から根が出てくるので、根がしっかり出てから土に植えるとより安心ですねとのことでした。だから、こうして肥料をいれた容器に入れているのです。さてさて、これでほんとに根は出るのだろうか。

 話は前後するが、エネルギー対策に何故、さつまいもが有効なのかと言えば、「メタンガス」の原料になり、メタンガスを家庭用の調理器具や給湯器に活用しようという研究や技術開発がかなり具体的に進んでいるらしいのです。実際、さつまいもをどんな機械・機器にセットしたら「メタンガス」を効率よく発生するのかという情報まではリサーチできていませんが、まずはこのシーズンはさつまいもの栽培に挑戦しようと思い立ったのでした。

 う~ん、確かに葉が枯れ出したぞ、大丈夫かな?

マンガ人生。

 今、手塚治さんの自伝を読んでいる。手塚さんの子ども時代からマンガ家になることを決意するあたりまで読みすすめているのですが、一貫して手塚さんのマンガのメインテーマは「生命の尊厳」であるという言葉が胸を貫いた。なぜ、今、この段階で手塚さんの本を書店でチョイスしたのか、その理由は明確ではないが、現代の潮流の中で、いろいろな情報が飛び交い、いろいろなビジネスが展開されていく中で、なぜ、改めて手塚さんの自伝に手を伸ばしたのか?という自問です。

 冒頭はチビでメガネで運動音痴という手塚さんの子ども時代を象徴するお話から、いじめらっこだったが、マンガや映画との出会いで学校で特異な存在になったこと。戦争時代、究極の制約を受けた生活があり、貧困で夢も希望もボトムの状態で、手塚さんはどのような経緯・経験を経て「生命の尊厳」というテーマを会得したのか?というお話の渦中です。

 大阪の工場街で空襲を察知するために火の見櫓で空を見ていた時、黒い雲の中に空爆機の連帯を発見し、警報を鳴らすが時すでに遅し。焼夷弾の空爆が始まると、ただ、手塚さんは櫓の上でうずくまり、焼夷弾が櫓に落ちて来ないことを祈るだけ。視界の工場街はすでに火の海。油の焦げる匂い、生物が焦げる匂いの中、どん底の恐怖よりも、まだ、自分が生きているという幸福感があったとのこと。そして、終戦、市街地に出ると空襲を警戒して電灯を消したゴーストタウンが一変し、キラキラした夜の街に立ち、生きている実感を噛み締めておられた経験。これらの凄まじい経験がベースにあるからこそ、「生命の尊厳」というテーマにたどり着かれたのです。

 さて、現代、最先端を突き進む日本の「漫画文化」にこのテーマは流れているのだろうか?どこかで大切なテーマを失い、絵空事の仮想世界に心を奪われていないだろうか?自身の歴史を何回も振り返り、手塚さんの時代と比較して、その幸福な状況に高揚する一方で、本当に大切なテーマを置き去りにして芯を外したポップフライやボテボテのピッチャーゴロばかり打っていなだろうか?と言葉にならない焦燥が押し寄せてきた手塚さんの一冊(自伝)です。

 戦争時代を経て、東京でマンガ家の道を邁進されるあたりから今夜は読み始めることになるだろうが、冒頭の子ども時代からマンガ家を決意するお話は心が凛とした。恐らく、この部分を期待して手塚さんの書籍に手を伸ばしたのだろうと思っています。言葉にならない直感が、大切な意思決定に繋がり、その意思決定が得るモノ。飽和する情報に対してもこのスタンスでいたいものです。