マンガ人生。

 今、手塚治さんの自伝を読んでいる。手塚さんの子ども時代からマンガ家になることを決意するあたりまで読みすすめているのですが、一貫して手塚さんのマンガのメインテーマは「生命の尊厳」であるという言葉が胸を貫いた。なぜ、今、この段階で手塚さんの本を書店でチョイスしたのか、その理由は明確ではないが、現代の潮流の中で、いろいろな情報が飛び交い、いろいろなビジネスが展開されていく中で、なぜ、改めて手塚さんの自伝に手を伸ばしたのか?という自問です。

 冒頭はチビでメガネで運動音痴という手塚さんの子ども時代を象徴するお話から、いじめらっこだったが、マンガや映画との出会いで学校で特異な存在になったこと。戦争時代、究極の制約を受けた生活があり、貧困で夢も希望もボトムの状態で、手塚さんはどのような経緯・経験を経て「生命の尊厳」というテーマを会得したのか?というお話の渦中です。

 大阪の工場街で空襲を察知するために火の見櫓で空を見ていた時、黒い雲の中に空爆機の連帯を発見し、警報を鳴らすが時すでに遅し。焼夷弾の空爆が始まると、ただ、手塚さんは櫓の上でうずくまり、焼夷弾が櫓に落ちて来ないことを祈るだけ。視界の工場街はすでに火の海。油の焦げる匂い、生物が焦げる匂いの中、どん底の恐怖よりも、まだ、自分が生きているという幸福感があったとのこと。そして、終戦、市街地に出ると空襲を警戒して電灯を消したゴーストタウンが一変し、キラキラした夜の街に立ち、生きている実感を噛み締めておられた経験。これらの凄まじい経験がベースにあるからこそ、「生命の尊厳」というテーマにたどり着かれたのです。

 さて、現代、最先端を突き進む日本の「漫画文化」にこのテーマは流れているのだろうか?どこかで大切なテーマを失い、絵空事の仮想世界に心を奪われていないだろうか?自身の歴史を何回も振り返り、手塚さんの時代と比較して、その幸福な状況に高揚する一方で、本当に大切なテーマを置き去りにして芯を外したポップフライやボテボテのピッチャーゴロばかり打っていなだろうか?と言葉にならない焦燥が押し寄せてきた手塚さんの一冊(自伝)です。

 戦争時代を経て、東京でマンガ家の道を邁進されるあたりから今夜は読み始めることになるだろうが、冒頭の子ども時代からマンガ家を決意するお話は心が凛とした。恐らく、この部分を期待して手塚さんの書籍に手を伸ばしたのだろうと思っています。言葉にならない直感が、大切な意思決定に繋がり、その意思決定が得るモノ。飽和する情報に対してもこのスタンスでいたいものです。