ピーター・ティールは言っている。

新しい何かを作るより、
在るものをコピーする方が簡単だ。
おなじみのやり方を繰り返せば、
見慣れたものが増える、つまり1がnになる。
だけど、僕たちが新しい何かを生み出すたびに、
ゼロが1になる。

人間は、天から与えられた分厚いカタログの中から
何を作るかを選ぶわけではない。
むしろ、僕たちは
新しいテクノロジーを生み出すことで、
世界の姿を描き直す。
それは幼稚園で学ぶような当たり前のことなのに、
過去の成果をコピーするばかりの社会の中で、
すっかり忘れられている。

と、ピーター・ティールはその書籍「ZERO to ONE」の序文で語っている。

とにかく、このタイプの書籍に影響を受けやすい私は、
読み始めてから常にこのことが頭を支配し、
思考や行動ごとにこのことを意識しています。
ある印象的で刺激的な書籍に出会うたびに
自分をリセットしている感覚です。
しかし、このタイプはある別の側面では軸の定まらない、
思考や行動の方向性が確立しないという弊害をもたらす。
いや、本質的にふらふらしているタイプだから、
このタイプの書籍に感化されやすいとも捉えられる。

軸はどこか?基準面はどこか?という自問である。

これは正常な状態なのか否かを決めるのさえ、
ピーターなら「それが正常です。」と言いそうだ。

世の中が多様に変化して動的均衡の中で蠢いているのに対して、
人間が何かを確定させる意義はあるだろうか?
変わり続ける世の中に対して、何かアンカーを打ち、
固定させる意味はあるのだろうか?
思考の安定が安定した未来を引き寄せるとは限らない、
そんな保証は何もないのが正しい状況なのです。

それを、ピーターは0から1への意識に置き換えて
語っておられるのだろう。と捉えている。

現在、最後の章を読み始めているが、
最後の論理をどこに定着させているか
今、予測しています。

この1冊の物語が書籍にはそれぞれあって、
まるで、現実社会ではお会いすることのできないような偉人や著名人と、
対面でお話を拝聴できるような物語が書籍にはある。
エンドレスに続くデバイスのデジタル画面に
反応できないのは、恐らく、「終わらせていない論理」に
ロマンを感じられないからだろう。
その点、書籍にはドラマがある。

読み終えて、0のままか、1になるのか、
あと数ページへの期待が有象無象に高まります。