インターネットの利便性

 そもそもインターネットの利便性を先に考えるのは本末転倒です。誰かが便利だと言ったかもしれないし、テレビや新聞や専門誌などで言葉になり活字になり「便利さ」の事例が飽和していたとしても、本人(自身)が便利さを実感していない状態で「活用しなければ」という捉え方だけで焦っても仕方ない。主体はあくまでも利用者本人なのです。ビックデータは確かにあるのでしょう。SNSは確かに活況なのでしょう。訪日中国人達は確かに多くの買い物をしているのでしょう。シリコンバレーでは火星居住計画が着々と進み世界の投資家達はその目論見に自らの資産の活用を日々考えているのでしょう。これらは誰でも入手可能な情報です。しかし、これらの情報が自分自身にどれだけ影響・作用されている?という効用・効果を見極めなければ、これらは巨大な「絵に描いた餅」なのです。理想や目標をたてるとき、どうしても、他人の成功事例を情報としてのみ、もしくは、イメージと言葉だけ捉えてしまうため(恐らく多くの人がそうだからそれが通例・慣例・習慣になり疑う視点が欠けている)、自らの実感をどこかに放置して、あらゆるビジネスプランが構築され、ただ、会議やプレゼンテーションに多くの時間を使って、大きな餅の絵を描いているだけなのでしょう。

 当然、絵に描かれた餅は食べられません。ただ、みんなで鑑賞して「ほぉ~」とか「へぇ~」とか井戸端会議になるだけなのです。この状態、この時間を繰り返している以上、新しい実感を得ることはできません。いつまでも0の状態で、絵に描いた理想像を追いかけている(いや、正確には追いかけていない)だけになる。

 つまり、インターネットの利便性はひとつ。「自分で使い実感すること」につきるのです。使って実感すれば、自分の五感や経験値・テクニックが刺激され、何か具体的な成果に向かって起動するコンディションが整うのです。あとは、スタートの号砲に反応し一気に駆け出すだけ。当然、スタートの号砲を鳴らすのも自身なのです。

 私がインターネットの利便性をあげるとしたら、基本的な情報収集目的では非常に有効です。専門的な情報ではなく、あくまでもインターネットの中に飽和している基本的・基礎的な誰でも入手可能だけれど、自分自身はたまたまその機会がなく、探究心がなく、入手・確保できていなった情報の検索機能と特定までの時間が非常に短いことが唯一の利便性だと捉えています。それ以外はあまり有効な仕組みだとは思っていません。一見、誰もが「便利だ!」と言っていることや価値観は疑うことを体感・実感できる、という意味に置いて、客観性と主観性のバランスを意識させてくれるとても優秀な指標・モノサシ・天秤だとも言えますが。