雑談力と共感力

 どれだけコンピューター(人工頭脳)が進化しても人間の「雑談力」と「共感力」はプログラムで再現できないらしい。記憶力や整理力や様々な機能は圧倒的に人工頭脳が有利らしいのですが、人間の人間たる証として「雑談力」と「共感力」こそが決定的な違いだと、ある脳科学者がその著書で言っておられた。例えば、人工頭脳と人間が雑談らしき会話をしても、人間の思考の展開には到底及ばないというレベルで、人間らしさとは思考の展開・連携・結合であり、それは記憶をただ時系列に並べるだけの直線的な経路ではなく、複雑に絡み合った思考の綾なのだそうです。この過程で「不安」「焦燥」「憤慨」など喜怒哀楽が生まれ、その状況をまた多重な人格が捉えることで、人間らしさが生まれるのでしょう。いわばストレスもコンプレックスもアレルギーもシンドロームもこの接点で生まれるクオリアであり、でこそ人間だと。

 実際、私はあまり雑談が好きではありません。井戸端会議的な酒の席での無味乾燥な雑談が好きではありません。できることなら雑談が始まりそうな雰囲気の前にその場を退席したいと考えているタイプです。狙い・意図の明確ではない会話がたた退屈なのです。しかし、雑談力こそが人間らしさというこの著者の見解を知るにつけ、もしや、それを毛嫌いしている私は人間らしくないのかとも感じました。一方、仕事でパソコンは活用していて、初期のMACからだとほぼ27年ほどお世話になっている。当然、パソコンを使う主目的は仕事だから、余計なアプリもアイテムもハードから削除しています。なんせ、パソコンというツールの目的・成果に対するストレートで無駄のない仕組みが好きなので相性もいいのでしょう。パソコンがないと成立しない仕事をしているために必須アイテムだとは言え、初期の頃から初級者の頃から、パソコンに対するアレルギーはなく、興味を持って取り組めたことでいろいろ専門的な経験値が習得・蓄積できたのだと捉えています。時々、フリーズしたり故障するロジックでさえ、愛らしいツールです。また、プログラムを組む時も、言語(文法)にミステイクがあったり、一文字でも欠ければ機能不可になる正直さも好きです。期待値と反応の等価交換率が適正な部分がお気に入りなのでしょう。

 一方、バグの不確定要素の気分次第の多重多層なタイプの人との雑談は好まず、当然、共感もできないようです。不確定要素こそが人間らしさだと言えばそのとおりではありますが、やはり、私は偏屈者なのか、心底、繋がっていたいというタイプの人はあまり多くありません。