縁と相性。

 中島みゆきさんが言っている。「縁のある人は万里を超えてやってくる。縁のない人は顔を見合わせて術もなく行き過ぎる」と。人間同志の相性って不思議なモノで、特定のパターンがあるようでないようで、規則性や方程式が非常にとりとめない。この不安定なモノに一喜一憂していると恐ろしく時間を無駄遣いしてしまうので、私はできるだけ直感で迅速に見切り、「ああ、この人は縁がないな…」と感じてしまうと、踏み込むことも無碍に共感を抱くこともやめている。

 子どもの頃、小学生の頃などはここまで実感がないので、何故こいつはここまで角が立つのか?いちいち、反論するのは何故か?私が嫌いなんだろうけど、私は好きでも嫌いでもないのだから無視したらいいのだが、なんか気になって気になってというふうに思い悩むことで時間を無駄遣いしてきたように思う。例えば、その彼が学級委員長に立候補する。私はクラスから推薦を受けて二人の投票になる。当然、皆から推薦された私が学級委員長になり、彼は落選する。こんなパターンがよくありました。私は学級委員長などどうでもいいのに。それは、中学でも高校でも大学でもあったし、当然、社会に出てからも頻繁に起こっている。どうも苦手なパターンなのです。私自身は決して、嫌いなタイプではないのですが、相手は私を受け付けないというケースです。大学の時にもとにかくすべて(発言に行動に)にぶつかってくる奴がいましたが、私は彼の言葉が耳に入りませんでしたし、彼の存在に対して術もなく離れていました。

 一方、万里を超えてやってくる人もいるわけで、出会うその瞬間まで縁もゆかりもなかった人なのに、ただ「バス釣りが好き」「山登りが好き」「デザインが好き」「映画が好き」ということだけで、瞬間的に親密になるパターン。これはとことん嬉しいケースで、自分の世界観に共感してもらえる瞬間はどんなことよりも嬉しい。デザインの仕事もこのような一期一会の場面が多く、長年お世話になっているクライアント様に対しては、絶対に妥協せず、とにかくいいデザインの成果を生み出すことに365日を費やしている。できれば、1年は730日欲しいぐらいだ。その反面、苦手な人に対しては、申し訳ないぐらい心を閉ざしてしまっています。歩み寄っても脈が0%なのですから仕方ないのです。こればかりは。

 ただ、私が勝手に相性がいい思い込んでいる節も否めないので、私自身の自己分析だけで、縁とか相性を語るのは危険です。あくまでも相関・相対のことですから、思い込みや先入観や既成概念や悪しきバイアスはいつでもリセットできるコンデションを維持したいものです。

 「縁と相性」、不思議な関係性です。