釣り大会

 一般的に魚釣りのイメージは「待ちの体制」が多い。釣りの記事を書く機会を得て、ほぼ1年間、釣りについて専門誌に記事を書いてきました。釣りのジャンルはブラックバス釣りです。この機会を得て、釣具店の人や釣りを生業としているプロの方に取材をしたり、まったくバス釣りをしない人とバス釣りの話をする機会が増え、より、一般の魚釣りのイメージは「待ち」なんだと感じた。1本の竿で糸に浮きと針と餌をつけ、魚が餌を食いに来るのを待つ釣り方です。この釣り方は自身子どもの頃に近くの海でよくやっていた。目的は釣るためだったが、釣れた魚は自分で捌いて調理して食べていた。だから、「待つ」釣りのことは少し理解しているつもりです。そんな待ちの釣りを一通り経験してブラックバス釣り、つまり、ルアーフィッシングに出会った。疑似餌と呼ばれるルアーを餌の代わりに糸に付けて水中に投げるのです。ルアーは魚の形をしたり餌に似せた素材でそれぞれ独特の動きをする。その動きを利用してブラックバスを反応させ、ルアーをくわえさせるまでがこの釣りの醍醐味でありテクニックなのです。ルアーは人工物ですから、水中に投げているだけでは動きませんし、ブラックバスにとって本来は食性の対象ではなく、あくまでも擬似なのです。ロッドを巧みに動かしてルアーをまるでバスが捕食する小魚やえびの動きをさせて、バスに口を使わせる釣りなのです。だから、餌釣りのように水中に餌を投げればあとは食いつくのを待っている釣りではなく、常にキャストとロッドアクションを繰り返して、ルアーを動かしていなければなりません。餌の釣りが「静の釣り」なのに対して、ルアー釣りは「動の釣り」なのです。
 そんなルアー釣りをして楽しんでいた頃、バス釣り大会への誘いがありました。まだビギナーだった頃で、ようやくコンスタントにルアーでバスが釣れるようになった時期だったので、釣り大会に参加しても、自分のテクニックや知識では到底上級者に勝ち目などなく、惨敗をするのが嫌だったので、躊躇しましたが、自分のテクニックや知識で競うことがとても楽しげに思えて、参加することにしました。当然、結果は惨敗。一定時間にバスを釣る競技大会ですから、競技時間が終了すると検量します。自分が0匹なのに、上級者の人たちは見事なサイズのバスを釣ってこられる。同じ時間で同じような道具を使っているのにこの歴然とした格差になるのは何故?何故?何故?という状況です。釣り大会の魅力は自分の力量が明確に分かることですが、そんな競技スピリッツを持った釣りの愛好家が集まるのも大会ですから、競技が終われば良き戦友なのです。どのポイントでどのルアーでどのように釣れたかをお互いに情報交換し、次の大会までに自分の戦略を練り上げ、足りないルアーや道具を探求する。これが楽しくて楽しくて完全に釣り大会にのめり込んでいきました。
 釣りを愛好する人の中には、時間を決めて釣果を競うことは釣りとして楽しくないと捉える人も多く、ひとりで、もしくは気の合う釣り仲間でゆったりと釣果を楽しむことが好きな人も多いです。恐らく、バス釣り仲間達も私と同様にそんな釣りを経て、バス釣りをしている人もいるでしょうから、釣りを通じて釣果を競うことが好きだった私と同じようなタイプが釣り大会には集まってくるのでしょう。釣果を競うって気質や気性と関係があるのだと思います。一事が万事、落ち着きのない私のような気性にはこのバス釣りはドンピシャで、競うことで深くなる友情や友好が何よりも好きなようです。
 また、8月にはいつも行っている大野ダムでバス釣り大会があるのですが、大会で優勝したいことは当然ですが、それよりも虎視眈々と優勝を目論みフィールドに集まる皆様とのひと時が無類の楽しみで、全力で釣果をひねり出していきたいと思っています。相手は水中の魚。どれだけ人間が意気込んでもその意気込みがブラックバスに伝わるはずもなく、開始早々、意気消沈することもしばしばですが、それでも、釣果を期待しルアーを動かす「動の釣り」は私の気性とどこまでもマッチして、楽しくて楽しくて楽しくてなのです。

 昨晩、見た映画「アメリカン・スナイパー」のクリス・カイルがシーンの中で言ってました。トリガーを引く時は意気込んではいけない。無心であるべきだと。呼吸を整えて、呼吸に呼応するように指をただ引くだけなのだと。バス釣りも同じです。