美味しいカルピス。

 ブログ記事4,000本まであと10本を切ったあたりから記事を書くことに構えてしまい、ちょっと、いつもより良い内容を書かねばなどと、「4,000本記事達成」に対して自分勝手にプレッシャーをかけている状況です。たかがブログ、されどなのです。いつもの感じで自由にお気楽に書いてきたつもりでも、やはり8年間っていう長さと4,000本という数は自身、それなりに意義として捉えている証なのだと捉えています。

 とはいえ、だから、気の利いたいこと、内容のあることを書きますよという意味ではありません。

 この猛暑の折、カミさんに「今年の夏はまだカルピスを買ってきていなので、そろそろ買ってきて!」と言ったらら、すでに水と混ぜてあるカルピスを買ってきた。いつもの原液は高ったのでという理由で。いやいや、安易なこの凶行に言葉を失う。

 えっと、すでに水で薄めたモノは正確にはカルピスとは言わない。何故、今もカルピスが原液で販売されているのか?人気があるのか?を少しだけ考えれば、カルピスを水で薄めた状態で買ってくることはありえない。メーカーの勝手な水との配分で薄められた原液が、それなりのパッケージに入れて販売されているのです。おかしい。通常、醤油やワインや出汁が同じことをされていればユーザーは怒るはずです。「勝手にパワーユーザーの美味しい配分を無視して水と混ぜないで!」と。カルピスも同じである。時には濃い目で飲みたい時、適量で飲みたい時、薄めで冷たく冷やして飲みたい時、たまには温めてホットカルピスで飲みたい時、牛乳に混ぜて、かき氷に原液をかけてなどなど、いろいろな楽しみ方が、すでに「水で薄めたカルピス」ではできないのです。

 また、カルピスには通常の白色と合わせて、グレープやオレンジなどがあります。これもやはり原液でなければなりません。グラスに大きめの氷を入れて、カルピスの原液を入れて、水を入れる。最初はちょっと濃い目だが氷が溶けて適量になり、最後は氷が溶け切り薄くなる。このグラスの中での微妙な変化こそが原液のカルピスの楽しみ方であり本来の美味しさなのです。グレープ味やオレンジ味などはそのバリエーションとして完璧な布陣なのです。

 つまり、人の味覚とは、他人に「はい、この割合で!」と決められる、決められては困るモノなのです。はい、この割合が美味しいからあとは冷たく氷を入れて飲んでくださいね!と言われても、原液と水の割合いをそっちで勝手に決定して、ユーザーが美味しいか美味しくないかについては考慮せず、あとは、冷たくするために氷を入れてくださいと言う。薄くなることは仕方ないというわけである。何やら、漱石の「硝子戸の中」を読んでいるからか、しょうもないこと、どうでもいいことにイチイチこだわってしまっている。恐らく、もうすぐに入手する又吉さんの「火花」を読むためのコンディションづくりだとも言える。

 と、カミさんに「カルピスの美味しさ」について長々と伝えたら、「分かった分かった!次はちょっと高いけど、原液を買ってくるわ!」とちょっとキレぎみだった。美味しいカルピス、カルピスの美味しさを知っているのと知らなないだけで、これだけの価値観に意思決定に格差が生まれるのです。悲しい現実です。

 早く美味しい本来のカルピスを飲みたい。(ブログ記事4,000本まであと8本)