機会と習慣と備忘録。

何億光年、輝く星にも寿命があると教えてくれたのはあなたでした。

季節ごとに咲く一輪の花に無限の命知らせてくれたのもあなたでした。

有名な阿木さんの作品である。

人が何かを想うとき、行動するとき、常に「あなた」という存在がある。

養老さんが書籍の中で「現実」とはあなたの習慣に影響を及ぼすことに限られると言っておられる。

どれほどの才能があり類まれなる努力・鍛錬を重ねようとも機会がなければ成果は生まれない。
当然、評価も生まれないので、実感にはならない。

人間は1日に約6万項目の思い巡らせ、その中で平均3,000項目が新しいことらしい。たった5%のことなのだから、いかに人間は習慣の中で生きているかという目安になるデータである。

機会と習慣が思考の中に循環を生み、そのパターンの中で比較的頻度の高いものから実感が生まれ、その実感が生きるためのテクニックになる。機会もなく、習慣もなければ、それは有益な情報だとしても、現実ではないので身体は反応できずテクニックにならない。

このブログは自分にとって言わば備忘録のような存在で、忘れる前に備えようと書き出した。とはいえブログだから公開されて第三者の目に触れている。自身の備忘録がわりに書き出して蓄積した記事がこの記事で4,000本目。正直、ここまで続けるつもりはなかったが、私は、よほど、思いついたことを忘れるのが嫌な気質なのだろう。

これも機会であり習慣である。つまり、「あなた」に対して思考している証がこの4,000本の記事なのです。

よく、書籍で冒頭に「~に捧ぐ」という一文を見る。S.キングなどはよく「レイチェルに捧ぐ」などと書いている。そこを掘ったことがないので、キングにとってレイチェルがどのような存在なのかは未だに知らないが、小説の冒頭に指名するぐらいだから、レイチェルはよほどの存在なのだろう。

私自身も少なからず闇雲に暗中模索で書いているわけではなく、思考する行動する以上、必ずその対象となる「あなた」の存在がいます。ここでそれを特定するとこれ以上ブログを続けられない事態になってしまうかもしれないので、特定はしないが、それは絶対に自分の中にいる「あなた」に対して思考しブログを書いています。

FACEBOOKだって、「あなた」が存在しなければ覚醒する機会さえなかっただろうし、かのキリストだって、釈迦だって、かならず「あなた」がいたはず。だから、機会と習慣を経て歴史に刻まれたのだと思います。たかがブログでキリストさんまで登場させるまでもないが、まぁ、4,000本目記念ということで、はじめて引用しました。

AIが世界を網羅し、人間の知能を超えるだろう2050年、私は生きていないだろうからいいが、若い人たちはあと35年後の世界をたくましく生きていられるのだろうか?ムーアの法則にもカオスが宿りフラクタルな機会と習慣が生まれていることを期待したい。

最後にでもないが(まだブログは書き続ける所存)、「スギノさん、やっぱりこれからの時代はブログぐらいは書いておかないと、完全に取り残されますよ!」と言ってくださった沖縄の「あなた」に感謝して4,000本目のブログ記事を終わりたいと思います。

いやいや、便秘状態は辛かった。出た出た。