虫の虫か。

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 虫の嫌いな人が私のまわりには多い。

 野菜が嫌いな子どものように生命を脅かす植物の毒素に対する警戒の本能だという説があるが、虫も同位である。圧倒的な驚異よりも身近で日常的な驚異・恐怖を受け入れられないのだろう。これを養老さんは人間の「都市化」と過去に読んだ著書で表現しておられた。「自然」の対義である「都市」。頭の中で思考していることがすべてで仮想空間も含めて、イマジネーションの世界が本人を支配している状態を指している。これが情報化社会の本質構造である。特に言語による論理化についても、同様に言葉や言動に操られやすい思考派・理論派の人間は、本当の虫や植物の驚異も自然の驚異も思考で恐怖ゾーンに安易に追いやり、封じ込め、代償としての安心・安泰を手に入れている。トゲのある言葉、痺れを誘発する論理、毒を込めたひと噛み、いずれも苦手ゾーンに追いやり、安全な空想・夢想、つまり、御伽噺の世界だけの喜怒哀楽に余念がないタイプ。一方、自然、アウトドア、アウトサイドには何がある?そこには驚異と恐怖しかありませんから、思考から行動へ、そして、思考への循環を常に繰り返している人は驚異の実態を実感できている人だから、それを間際で食い止められるテクニックと知恵がある。しかし、虫が怖い、野菜が嫌い、正解がない、絆大好き、などと都市化されたシステムに酩酊している人は、寸止めテクニックがないために、いいも悪いもなく突き抜けてしまうのです。ここから先は危険だからという境界線の実態を知らないで、ギリギリまで、つまり、自分の限界点を目指すことはできません。

 「虫の虫」か、なんとも清々しく心地よいタイトルだろう。