勤続疲労。

 「勤続疲労」という言葉を、確か、テレビで知った。どういう状況だったのかは覚えていないが、何気にこの言葉が気になった。本来は「金属疲労」なのに、「金属」を「勤続」に置き換えるセンスに良い違和感を感じたのです。

 しかし、「勤続疲労」って痛々しい。長年、人生をかけて会社組織の中で会社を支えてきたが、その疲労が溜まっている感じ、まるでそのイメージがサビで劣化した金属のようで、ちょっと触れただけでボロボロと崩れてしまうような状態をイメージしてしまいました。「勤続」が必ずしも美学ではなくなった時代だけに、さらにその劣化加減が増すのでしょう。「勤続疲労」ならまだしも、その「勤続」さえ予期せぬ想定外の要因で失った場合、疲労・劣化・萎縮のレベルではない。先見の明があるなしに関係なく、企業・自立・自営のルートを歩んだ人の方が結果、疲労度が軽かった。いや、疲労の解釈や順応性が備わっていたと解釈できるのかもしれません。

 私自身、29歳から、雇われてる立場ではなくなったので、「勤続」という意識が薄く、23歳で雇っていただけたデザイン会社でも、どうも「勤めている」という意識が欠落していました。大変生意気な生き方ですが、「常に独立する。いつか起業する。」という意識が強かったからかもしれません。だから、何事にも貪欲になれたのでしょうし、勤続意識が皆無だったのだろうと自己分析しています。

 「勤続疲労」という言葉、世の中的には流行っていませんが、私の中では2015年流行語大賞候補第1位です。