犬的なアプローチ。

 「犬の収集癖」で検索するとこのような記事がヒットしました。

 「自然界で生きる動物の場合、いつ食べ物が食べられるかわからないため、あまった食料を隠して後日掘り起こすことがあります。これは後々自分で食べるためであって「大事なもの=隠す」という習性でもあります。ペットとして飼われている犬の場合は、しっかりと食事を与えられているためこのような動作が見られることは少ないものの、かわりに大事なものであるおもちゃを隠す傾向が強くなります。人間にとっては一見ガラクタと思えるようなもの(片方だけのサンダル、ペットボトル、壊れた植木鉢など)も、犬にとっては大事なコレクションのひとつなのです。」

 なるほどなるほど。「人間にとっては一見ガラクタ」という部分、何故かどこか共感します。他人から見ればくらだいないモノに価値を感じる感覚は本能だと言ってしまえばそれまでですし、趣向と捉えれば利己的な価値観になります。

 昨晩、地上波初ということでハリウッド版の「ゴジラ」がテレビで放送されていました。この地球上にゴジラが存在する可能性をつきつめれば限りなく0に近いのでしょうが、さりとて、0%でもないはず。原爆・水爆の影響が自然の生態系にどのような悪影響を及ぼしているか、及ぼしてきたかということについて人間はいつの時代も振り返り検証してきましたが、結果、巨大な未知の生物が海中や地中に潜んでいるかもしれないという可能性(仮設)は個人的にとても刺激的です。ムートーとゴジラの戦いにただ翻弄されている人間を人間が描いている以上、別段、ゴジラは救世主でもなければ人類の宿敵でもない。ゴジラに根拠も理由も理屈もないのですから、という設定です。

 ゴジラがムートーの小さい方(オス)をその尾で粉砕し、大きい方(メス)を放射能で狩った時、映画の登場人物達は「人間の味方だ」「地上神」「救世主」だと言いますが、それはゴジラにしてみれば全くの無意味です(という設定)。ゴジラはその本能(嗅覚)のままにどこかから現れ、自然界の法則のまま、相手を迎撃し駆逐しただけなのですね。日本のクリエィティブ「ゴジラ」がいい感じでひとり歩きを始めた瞬間でもあります。

 五感で捉え本能で受け取っている様々な情報に対して、言葉にならない理論化されていないゾーンをもっとしっかり捉える必要があるのかもしれません。犬がその本能でガラクタを集めるように、言葉にできない心のゾーンを開きたいものです。そしてそのゾーンを活用し、犬的なアプローチで自身のクリエティブ(仕事)に活用したいものです。