怪物。

 いろいろな分野に怪物と呼ばれている人が存在する。現在、日本の芸能界では明石家さんまさんもその怪物のひとりだろう。相当、上のクラスの番組でMCを務める人達からも最高のリスペクトをされ、テレビ業界、芸能界をゴジラのように闊歩する怪物である。自分自身、芸能界やテレビ業界とは全く無縁の人間だから、その驚異の本質を知る術はないが、少なくともその他の芸能人、文化人、お笑い芸人の人たちの言葉を総合すると、間違いなく明石家さんまさんの怪物レベルは尋常ではないと捉えています。

 あの「しゃべり」は向かうところ敵なしだろうし、実際、テレビで拝見する部分だけを捉えても、あのライブ感は突き抜けた話術としか言いようがない。それでいて絶対的な好感もある。

 リズムやテンポをつくりながら、大きな流れを生み出す話術。現場の空気を微妙に察知しながら、相手の言葉や表情を瞬間的に判断し、その裏にある真意さえ観察・分析する観察眼。長年の現場経験だけがその高みへとさんまさんを召喚させてきたのでしょう。勿論、素養・才能・気質があってそうなったのでしょうが、その努力も凄まじいらしい。とにかく、仕事の合間にさんまさん自身もテレビを見て芸能人をチェックしておられるそうですし、仕事が終わっても後輩達と飲み歩き、情報収集を怠らないそうです。だから、口々に他のMCの人たちからは、「天才」ではなく、努力の人という意味で「秀才」と呼ばれているそうです。ご本人はそんな努力のことなどは微塵もお話にならないが、ただのよくしゃべる元気なおっさんではないのである。

 そういう部分にあこがれている自分もいて、知識や知恵や理論を記憶の中からチョイスして言葉にする能力よりも、自然に現場で習得したテクニックをその場その場で臨機応変に使い分け言葉にする能力の方を高めたいと思っています。同じ言葉だが、圧倒的な鮮度が違うのです。

 さんまさんはよく「生きているだけで丸儲け」という表現をされるが、この言葉がいろいろな仕事や日常生活の場面でふと頭をよぎることがあります。本当の貪欲さとは物資や理論・知識の蓄積に適用するのではなく、気質や心情の中にある本質に装備しなければならないのです。生きているとは、いつか必ずやってくる死の瞬間まで変化し続けるということなんです。ほんとに偉大な怪物である。

 一見、「適当」で「いい加減」で「ちゃらんぽらん」で「おてんば気質」で「世渡り上手風」でありながら、その場その場で最大のライブ感を成立させているわけですから、過去の正論に固執し、予測不可能で曖昧な未来に束縛されないためにも、今(現在)をガチで生きること。そんな理想のスタイルをテレビ中のさんまさんの姿に見出しています。とても素敵な怪物です。表現者、つくり手としてひとつの理想形だと思います。